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2019.01.18
コラム

第635回 「13通のはがき」 執筆者・大谷達也

 こんにちは。剣道、準硬式野球担当、そして陸上競技、ラグビーでチーフを務めさせていただきました、3年生の大谷です。更新が遅くなってすみません。先日の箱根駅伝ではスポーツ東洋へたくさんのご協力、そしてお声掛けをいただきました。誠にありがとうございます。


   さて先日、1月15日に我々3年生の集大成となるスポーツ東洋87号が発行されました。皆さんご覧いただけましたでしょうか?1面は4区で区間新記録を更新した相澤選手!非常にインパクトのある紙面が出来上がったと思います。当初は私が撮影した写真を使う予定でしたが、残り2日でチーズ大好きおばさん(社3=花咲徳栄)が撮った写真に差し替わりました。一生恨みます…。


 それはさておき…今回の87号を持って私たち3年生は引退です。この3年間でたくさんの記事を書いたり、紙面のレイアウトを組みました。そのたび「見開きすごかったよ!」とか「こんな記事待ってた!」と反応をいただくと、本当にうれしく、活動のモチベーションになっていました。そんな中、新聞が発行される度に欠かさず感想を書いたはがきをくれた人がいました。私の祖父のことです。


  祖父は戦争体験を本にしたり、自身を題材として新聞社にコラムを寄稿しています。私が小さい頃は両親の仕事が忙しかったので、毎日のように祖父母の家に預けられていました。幼いながらに日常生活で祖父の文書に触れる機会が多く、今こうして文を書いているのも祖父の影響が大きいのかもしれません。


  私が大学に進学し、スポーツ東洋に入って初めての紙面制作が終わった頃、祖父から1通のはがきが届きました。「新聞に達也の名前が載っている、すごい」と一言。とても簡素な内容でしたが、とても嬉しかったことを今でもおぼえています。


  それから新聞を発行するたびに1通のはがきが届きます。下の写真は80号を終えた後のはがきです。



  いつも変わらずシンプルな内容ですが、祖父の文字はとても特徴的で、慣れている私でもすべてを解読するのに時間を要します。それがまたパズルのようで面白く、いつからか新聞作成が終わったあとの楽しみになっていました。


  新聞の感想が書かれたはがきの数は1年の7月号から続き、今では13通にもなります。気はずかしく、返信を書いたのは1度だけ。電話もあまりしません。また、私は大学進学を機に上京しているのでなかなか会うことができません。それでも祖父からのはがきは、まるで祖父がそばにいるような、そんな安心感がありました。


  スポーツ東洋87号が私にとって最後の新聞制作になりました。そろそろ、祖父から14通目のはがきが来る頃かと思います。最後くらい、返信を書いてみようかな。