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2016.08.18
コラム

第525回 はっきりもっと勇敢になって 執筆者・藤井圭



岡村靖幸は歌った。「同じような日々はもうすぐ過去」と。


中高生時代の私には全く理解ができませんでした。

毎日同じ時間に起床し、同じ道を歩いて、同じ仲間と同じ場所で勉強をする。ただその繰り返しの毎日に私は冷めきっていました。


そんな日々の中で、私が価値を見出したもの。それがスポーツです。



埼玉に住んでいることもあり、家族揃ってサッカーチームの浦和レッズを応援しています。幼い頃は、家族に連れられてスタジアムへ行き、学生になると自分の稼いだお金で足を運んでいました。スタジアムを初めて見たときは、あの迫力に驚いていました。

 いざ試合が始まると、両サポーターからの大声援が胸を響かせ、さらに選手たちの激しいプレーに圧倒されます。サッカーに限らずスポーツは勝負の世界。選手は勝利のために、ファンやサポーターはそれを信じて共に戦っています。ゴールが決まった瞬間に何万人という人が一斉に立ち上がって歓喜に沸く。隣に座っていた知らない人同士がハイタッチをしてお互いにゴールを喜び合う。あの感動を覚えてしまったら、もうやめられません。これはテレビでは絶対に味わえない。足を運んだ人だけが得られる、普段の日常とは全く違ったスポーツの感動です。
試合終了とともに分かれる勝者と敗者。享楽と悲壮の狭間で初めて見た光景は、まさに芸術でした。言うなれば試合前のピッチは、作品が生まれる前の真っ白なキャンバスであり、試合こそが芸術作品。「この感動を伝えたい。もっと多くの人に知ってほしい」と、少しずつ私の心は変化していきました。



 それから数年経ち、このサークルに入ります。自分から直接選手や監督へコメントを取っていますが、初めの頃は物凄く緊張しました。それでも先輩方のアドバイスや多くの経験を得て、勇敢さを身に付けたのです。自己主張をするタイプではなかったけれど、自分のやりたいことや、好きなものを口に出して言えるようになりました。
幼い頃から身体が弱く、自分が選手だった時期もそれほど長くはありません。それでも私はスポーツが好きです。好きなものには正直でありたい。スポーツから得られる感動は、どんな人にも平等に与えられるのです。


先日、競歩の松永大介選手の地元である横浜市磯子区の杉田劇場というところで、リオ五輪のパブリックビューイングが行われました。試合時間は真夜中であるにも関わらず、松永選手の同級生や松永選手を幼い頃から知っている方々がたくさん集まっていました。
結果は惜しくもメダル獲得とはなりませんでしたが、7位入賞という大健闘を見せ、地球の裏側で見守る地元の劇場は、大きな歓声に包まれたのです。
松永選手が1面を飾った今年4月に発行した第73号を配布すると、劇場にいた多くの人たちから、1部くださいとお声をかけていただきました。その新聞を見て、すごい!かっこいい!と言ってもらえたあの空間は、本当に幸せでした。それは何も新聞を褒めてもらえたことだけではなく、スポーツというものが、松永大介選手を通じて、磯子区という“まち”へのつながりへと発展し、その架け橋としてスポーツ東洋も力になれたからです。最後に涙ながら取材を受ける松永選手のお母様を見て、とても感動しました。これを伝えることが、私たちが必要なことだと改めて感じました。



スポーツでの感動をもっとたくさんの人に伝え、さらに大きく発展したい。このサークルを始めて、いろいろなことを考え始めました。気付いたら頭の中では、このサークルや、それ以外のことでもいっぱいになっていたのです。



 そんな現状を見つめ直していたら、コラムのタイトルでもある岡村靖幸の歌の歌詞が、ようやく理解できるようになりました。






同じような日々はもうすぐ過去。
いや、もうすでに過去だ。