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2016.10.30
射撃

[射撃]特集:「素晴らしい」4年生が引退 “実力派”主将と“頭脳派”副将の軌跡とは(第2弾)

引退の日を迎えた二木(左)と靏田


 10月20日から4日間に渡り開催された全日本学生ライフル射撃選手権大会(通称、インカレ)。1年のうちで最も規模が大きく、学生最高峰の大会だ。毎年この大会を最後に4年生は現役を引退する。今大会も二人の4年生が東洋大学射撃部に別れを告げた。

 最高学年という1年間の大役を務めた彼らを、小山コーチは「優秀な4年生。素晴らしい代だった」と褒めちぎった。主将でエースの実力派二木(法4=金沢辰巳丘)と、副将としてチームの運営に尽力した頭脳派靏田の4年間を振り返る。


第2弾 靏田壮人

チーム改革を託された“頭脳派”副キャプテン

 4日間を通して、東洋大からは計19名の選手が出場したインカレ。そこに副将である靍田の名前は無かった。しかし、多くの選手が活躍する裏で、彼の陰ながらの功績があった。

 二木が実力で引っ張る主将なら、靍田の役割は副将としてチーム運営の柱になること。“自主性の確立”という方針の中で靍田は「このチームのジェネラルマネージャーという気持ちでやってきた」と胸を張る。「選手たちがいかに撃ちやすい環境をつくれるか」にこだわった。

 副将に任命されたのは当時では異例の2年時の冬。そのときの4年生から「部の抱えている問題を改善してくれ」とチーム改革を託された。まず取り掛かったのは学業面や透明性のあるお金の運用など、それまでおろそかになっていた部分の改善。そして、部の罰則であった「丸刈り」も廃止し、新しい射撃部作りにも力を入れた。それから4年生になると唯一の同期である二木が主将に就任。言葉巧みな靍田とは対照的に寡黙でクールな二木。正反対な二人だが息はぴったりだった。「二木がまず『これをしたい』と言うと、それが骨格になる。その後、肉付けするのが自分の作業」と女房役として主将をしっかりサポート。“チーム1の頭脳”を活用し様々な改革を行った副将を、小山コーチも「今の時代に合ったチーム作りをしてくれた」と称えた。

射撃へ「育ててくれてありがとう」

 靏田が射撃を始めたのは高校1年のとき。その理由は「大学進学を狙えるから」といったもの。競技人口の少ない射撃で全国大会に出場し、スポーツ推薦での進学を目指す選手は少なくない。彼もまたその一人だった。高校3年で福岡県代表として国体に出場。徐々に結果を残すと、狙い通り東洋大へのスポーツ推薦を勝ち取った。

 だが、順風満帆の射撃生活も束の間、大学の射撃は甘くなかった。思うような結果が残せず、悩まされる日々。さらに最終学年となった今年は、抱えていた乱視が悪化。的がぼやけてしまう状況は、射手としては致命的だった。ついには「射撃で大学に来たので、最後は入賞したい」という夢も、かなわなかった。

 それでも彼が口にするのは「自分をここまで育ててくれてありがとう」という射撃への感謝の言葉。「射撃自体は不完全燃焼だが、それを差し引いても得たものはある。部活を通して得たものはすごく大きい」と4年間を振り返る。思いがけずに始めた射撃が、気づけば自身を成長させる糧となっていた。


 仲間のことを第一に考え、チーム運営に尽力した副将としての2年間。華やかな実績はなくとも、今年の射撃部を陰で支えた。

 「何か残せてたらいいな」。

 靏田は謙遜しながらも笑顔で話した。


◇靍田壮人(つるた・まさと)

法学部4年。1994年8月8日生まれ、福岡県立太宰府高校出身。卒業後は資産コンサルティング業界に就職予定。座右の銘は「合戦そのものはそれまで積んだ事の帰結。合戦に到るまで何をするかが戦」。憧れの人物は地元・福岡の実業家で、出光興産の創業者である出光佐三。趣味は芸術鑑賞。好物は京懐石。173cm、82kg。O型。


TEXT/PHOTO=伊藤空夢