Article

記事


2016.12.22
硬式野球

[硬式野球]特集7日連続独占インタビュー~選手が語る激動の秋~ 第1日 笹川晃平主将

11季ぶりの優勝へ開幕5連勝とこれ以上ないスタートを切ったが、後半戦は競り合いを落とし、最終カード・日大との直接対決で胴上げを目の当たりにした。しかし、1部復帰初年度ながら春秋ともに優勝争いを演じ、復活を印象付ける1年となった。激動の秋を終えた今、選手たちは何を思うのか。そんな彼らの生の声を7日間に渡ってお届けする。


第1日は笹川晃平主将(営4=浦和学院)


※写真は随時掲載いたします

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

――4年間を終えて、今は何をされていますか

お世話になった方にあいさつに行ったり、先輩方と食事に行ったりしています。周囲の方と触れ合う機会が増えました

 

――亜大戦で負ったけがは回復しましたか

フェンスにぶつかったとき、肋骨が折れていました。あまりに痛くてうづくまってしまったが担架で運ばれているときに「自分がここで交代して誰が出るんだ」と思っていたので、すぐにグラウンドに戻りました。それからの試合は痛み止めを飲んでだましだまし試合に臨んでいました。折れた骨はもうくっつきました。怪我していた分取り組めなかった期間があったので、いまは時間を取って自分の練習もしています


――日大の胴上げを目の前に、涙を見せなかった理由はありますか

そのときそのときの自分のベストを尽くしていたから、やってきたことに自信があったし後悔はなかった。それが結果に伴っていなかったことは反省ですし、努力が足りなかったとは思うがやれることはやっていた。悔しい気持ちもありながら、もうこのユニフォームを着られないと思うと悲しかったが、(明石さんに)隣であれだけ泣かれるとどっちがしっかりしなきゃいけないから(笑)明石は涙もろいので、そういうときはあまり泣けなかった。負けた実感が湧かなくて、次の日から5年生が始まるんじゃないかと思うくらいでした。すっきりした気持ちや終わってないんじゃないかという感覚もあり、いろんな気持ちが混ざっていた。終わったのか…とぽかーんとしていました

 

 ――この4年間を振り返って、どんな大学野球生活でしたか

楽しさ4割、苦しさ6割。3,4年の春は結果が出ず、監督にずっと怒られてなんとか見返してやろうとやってきた4年間だった。楽しさの4割は最後に三冠王と騒いでもらってみんなに興味を持ってもらったり、ベストナインを受賞して喜んでもらったり、色んな人と関わることができいい時間を過ごせた。東洋が二部から一部にあがらせてもらったことや、この一年はなんとか残留できたこと、優勝争いができたことも含め、いい思いができました

 

――苦しさ6割の中には、主将としての責任の重さは含まれていますか

重圧というより、春は勝手に個人の目標を優先してしまった結果になっていた。それは自分が勝手に苦しい思いをしただけだったので、チームには迷惑をかけてしまった。そこまで自分の目標を優先したつもりではなかったが、結果を見ると、今後を意識している内容でチームも負けてしまっていた。重圧というより自分の未熟さがあったのだと思います

 

――1年生から周囲の期待は付き物だったと思います。それはモチベーションとプレッシャー、どちらでしたか

モチベーションでした。1,2年の時はその期待が嬉しくて、期待に応えようとずっとやっていました。3年生からはモチベーションになったときもあるし、プレッシャーだったときもあった。ケガしてずっと結果が出ない頃、応援の言葉を言ってもらえるときは「結果出します」と返せていたけど、自分一人の時間になると不安というか、大学入って自分の中で初めてあんな状態になって、自分ではどうにもならない部分で試行錯誤しながらやっていたから、苦しかったしモチベーションも下がっていた。そんなときは原(H27年度営卒=現東京ヤクルト)さんがずっと支えてくれたり林(H27年営卒=現新日鐵住金鹿島)さんも声かけてくれていた。当時の4年生が気をつかってくれたからモチベーション保てたり苦しい時も乗り越えられたりしました

 

――3年生のときは非常に苦しい思いをされました

3年生のときは四番を外してほしかった気持ちがあったし、戦力として数えてほしくなかった。当時、自分が優先的に練習させてもらっていたから、「自分に時間を使うなら他の人に時間を割いた方が良いんじゃないか」と思ってしまったこともありました。それは自分の中で逃げだと思ったので、しっかり立ち向かってやらなきゃなと思ってやっていました。その時にちょうど手術してたときだから余計にそういう気持ちになった。あそこで自分に何ができるかって、練習して結果を出すことしかなかった。打撃練習のとき、「今日はこうなっているよ」とたくさんの四年生が教えてくれた。全員が声をかけて自分を助けてくれました

 

 ――その中でプレッシャーへの対処は何かありましたか

4年の秋から一人になって集中できるように、10分くらい時間作って明日はこうやっていこう、と落ち着いて考える時間を自分の1日のルーティーンとして取り入れた。自分のその日の調子から始まって、昨日とどう違うか、比べて悪かった点はどこにあるかと考えた。自分の中で自分と会話して、意識して整理していました。これをやったことによって成績にも結び付いていると思います。自分のしたいこと、しなければならないことをシンプルに考えれられるようになった結果が最後の秋に出たのかなと思いますね

 

――苦しいときに素直にアドバイスは聞けなくなりませんか

あのときはもうなんでもすがりたかったから、とにかく色んな人に聞いていました。それをやっても違ったから自分のやり方にしてみてもうまくはまらなかったし、そこで手術したときの自分の感覚とイメージしていることにズレがあったことに気づいた。バットを短く持つだとか、いろんな工夫はできたと思うので、そのときの自分に何とかすることの考えが足りず、気持ちの面でも弱かったのだなと思う

 

――7年間ずっと一緒だった明石さんは大きな存在だと思います

一年の時から一緒に「日本一になろう」と言ってやってきた。どうやったら打てるかとアドバイスを大事なときに言ってくれたし、明石とは一番長い時間過ごしてきてるのでチームをまとめていく上でも率先して引っ張ってくれた。この7年間明石がいなかったら自分もしっかりできていなかったので、いろいろ迷惑をかけたが必要不可欠な存在だったと思う

 

――4年間お世話になった監督や東洋に思い入れはありますか

監督は今まで自分をずっと使っていてくれた。だからこそ最後そこで優勝できなかったのは悔しい。大学で一番の後悔です。それでも、東洋に入ってよかったと思っています。一番成長できると思って入学して、その通り人間的な面を含めて成長できたと感じています。他の大学では学べないことも学べた。高校時代、レギュラーじゃなかったときに控えの方でバッティング練習をしていたら高橋監督に「なんでこいつ使わないんだ」と言ってもらった。その推薦で一つ上の代が出た試合に出場させてもらってからレギュラーになれたので、そのときから自分はプロではなく東洋で野球をやりたいと思っていましたし、迷いもありませんでした。だからこそ、東洋を離れるのは寂しいです。監督から毎日怒られていたのに、今はもうほとんど会わない。同級生にも会えないし何か心が空っぽになった感じがします。ずっと怒られてた四年間でしたが、そこまでしてくれる人が今後もういないと思う。自分は新しいチームが決まっているので、ここで出会った人たちの気持ちをエネルギーにして頑張りたいと思います

 

――今後を担う後輩への思いはありますか

心配の一言。このチームで戦うのは楽じゃなかったから、新入生にちゃんとしたこと教えられるのかなと心配になる。落ちるのは簡単だから、また一から自分の強みや弱点を把握して戦ってほしい。今季悔しい思いをした田中将也(営3=帝京)と気持ちや結果に波がある中川(法2=PL学園)には期待したい。飯田(営3=常総学院)は色んなことを頭で考えすぎてしまうところがあるから、抜けるときは抜いて主将として頑張ってもらいたい

 

――これまで応援してくださった全ての方へメッセージをお願いします

いい時も悪い時も応援してくれた人には支えられました。そういう人たちがいたから二部のときも一部の時も誰かの前で野球をすることができた。自分にとっては誰かに見てもらうことはモチベーションになるので、いいときも悪いときも応援してくれた人に成長した姿を見せられたかなと思います。精一杯、自分なりに東洋のユニフォームを四年間背負わせてもらえたので、そういう人たちがいて自分がある。大学ではその人たちの期待に十分応えることができなかったので、今以上の活躍をして「ああ応援してよかったな」「これからも東洋の選手を応援していきたいな」と思ってもらえるように卒業生として、今後は東京ガスの一員として、人にもっと応援してもらえるように今の自分らしさ忘れずに成長していきたいと思います。本当にありがとうございました