Article

記事


2017.12.25
硬式野球

[硬式野球]特集 連続独占インタビュー~春夏連覇の歩み~第2日 宝楽健吾

 08年ぶりのリーグ戦春秋連覇を成し遂げ、今年度で勇退する高橋監督の有終の美を飾った硬式野球部。春の笑顔の優勝から一転、秋は多くの選手から涙があふれるほど、戦国東都の頂は険しかった。Vロードを歩んだ選手の心境をお届けする。 



  日目は宝楽健吾外野手(営4=PL学園)。今季も全試合に先発出場。結果を残せず悔しかった春の経験を生かし、秋は勝負どころで放った適時打など打率に残さずとも確実にチームの連覇に貢献するプレーを展開した。昨年までは内野も外野も守れて、代走代打なんでもこなせるいわゆる「便利屋」的存在だった宝楽。最終学年の今年は外野手登録に変わり、つかんだ定位置を度も手放すことはなかった。苦しんだ下級生時代から、外野との出会いと「便利屋」への転向、そしてスタメン奪取まで。東洋大で過ごした4年間を振り返ってもらった。(取材日・12月15日、聞き手・伊藤梨妃)


――リーグ戦を振り返っていかがでしたか

秋だけに限らず、一年間通してあんまりチームに貢献できなかったっていうのが本音で、悔しくて、辛いことも多かったです。でも、最終的には優勝もできて、高橋監督のもとでやれてよかったと思うし、同級生に恵まれたなと、そこが一番思います。


――秋のベストゲームは

亜大との優勝決定戦です。2塁打もそうですし、最終戦までもつれることってあんまりない。優勝決定戦ができるということに幸せを感じて挑もうという話があり、さらに相手が一番ライバル視している亜大。いい試合だったし、やってて楽しかったです。スタメンはいつ外れてもおかしくないなという風には自分でも思っていました。試合で結果出なかったら練習で高橋監督に怒られて、でもスタメンを外されたくなかったので、必死に食らいついていた感じです。


――優勝決定戦での初めての囲み取材はどうでしたか

優勝会見場に呼んでいただいて、行ったときに高橋監督に「宝楽まで来ちゃったのか」って言われちゃいました。最後「1シーズンで1本だけ」って言われたんですけど、その通りだと思うし、こんな結果が出ないわりに1年間ずっと使い続けてくれた高橋監督には本当に感謝してるし、最後の最後でちょっとでもチームに貢献出来て優勝も出来て良かったです。緊張しましたけど、監督の前でしゃべることはなかなかなかったので、いい経験だったなと思います。


――春の優勝と秋の優勝の違いはありますか

春は前の試合で亜大が勝ってくれて、優勝できたのはうれしいが、勝ってマウンドに集まりたかった。秋には野球生活で初めてマウンドで喜びましたが、気持ちよかったですね。


――富士大戦を振り返っていかがでしたか

日本一が目の前にあって、正直試合に負けるまでは負ける気がしませんでした。日本一になって最後高橋監督を胴上げして締めくくろう、くくれるもんやって思っていました。緊張とかはあまりなかったです。神宮大会は自分が活躍して試合に勝ちたいなという風に思っていました。ファインプレーも三塁打もそうですけど、一試合一試合「この試合が最後かもしれない」と思って挑んでいたので、楽しんでやれた結果がああいう結果につながったかなと思います。応援もいつもより多く「やってやろう」という気持ちになりました。


――大学での野球生活はいかがでしたか

下級生の時は全然試合に出ることもなく、メンバーに入ったり外れたりでした。しんどくて、やめようとした時もありましたが、応援してくれる人がいる分しっかりやらないとって思って、踏みとどまれた部分がありました。いろんな人に感謝の気持ちしかないし、続けて最後まで必死に食らいついて頑張ってよかったです。自分が思い描いていた野球ビジョンとは全然違うけど、東洋大に来て、社会人でも出来る事になったので、東洋大に来てよかったなと思います。


――改めて内野手から外野手に転向していかがでしたか

個人的にこだわりはあんまりないです。2年生3年生の時とかそんなに固定で試合に出られるタイプではありませんでした。必死に自分がチームに必要とされる形を考えた時に、内野も外野もできて、調子よかったらスタメンで、代打も出られて、代走もできて、そういう便利屋っていうかそういうのが一番このチームの中で生き残っていける道やって思いました。自分でそう選んで、最終的に外野手の定位置をとれたのも、そういう考えがなかったら外野もやってなかったし、そういう面では自分の幅が広がったのではないかなと思います。


――自分で外野やってみると言ったのですか

きっかけは、2年生の春にたまたまサヨナラホームラン打って、その次のカードの時に調子もよくて、高橋監督に「お前外野出来るか」って言われたことです。正直外野は今までやったことなかったんですけど個人的には試合に出たかったんです。それがきっかけで、初めてライトで出て、そこから両方練習するようになりました。あそこでホームラン打ててなかったら今でもレギュラーじゃなかったと思うし、あの試合がきっかけで代打で出たりとかスタメンで使ってもらったりだとかしたので、あの試合が4年間で一番のターニングポイントだったかなと思います。


――高橋監督はどんな方ですか

練習とかはすごく厳しくて、マイク入るたびにドキッとしていましたが、僕は比較的怒られるほうだったので、怒られて、怒られて、怒られてできない自分にむかついたこともありました。でも愛情深いというか、怒るのも、ただ怒るだけじゃなくて、愛情があったような感じでした。尊敬できる監督です。ついていってよかったです。厳しかったけど、思えば怒られることがなくなると寂しいです。


――印象に残っている言葉は

秋のリーグ戦で全然打ててないときに、チャンスの場面で、1死1塁でランナー出て、前津田(総2=浦和学院)に送りバントのサイン出してから、ネクストに入ったときに「やっぱりお前なんだよ」って言われたことです。お前が打ったら勝てるっていうのは練習でも言われていたし、迷惑かけていた部分も多かったので、「お前だよ」って言われた時は期待してくれているんだってその期待に応えようって思いました。結局打てなかったけど、一番うれしかったです。あと、高橋監督が優勝会見の時に「よく打ったよね、一番バット振ったんじゃないかな、一番練習したんじゃないかな」って言ってくれたので、その時はとてもうれしかったです。


――監督が勇退されると聞いてどう思いましたか

春の時は正直、あんまり実感なかったです。春のリーグ戦始まる前は正直優勝できるなんて思っていませんでした。春優勝して、夏の強化練とかでだんだん自分の引退も近づいてきて、高橋監督の最後も近づいてきて、だんだん実感がわいてきました。負けた試合も寂しかったというか、最後のミーティングも、みんな泣いていて「泣くなよ、みんな頑張ったよありがとう」って言われて、その時は泣き崩れちゃいました。


――4年間をどう生かしていきたいですか

正直厳しかったと思います。リーグ戦だけじゃなくて、オープン戦の時とかも怒られて、バット振らされて、そういう試合の中だけのプレッシャーじゃないプレッシャーと戦ったっていうのがあって、メンタル的にも強くなったと思います。社会人行ったら、会社のために、しっかり結果出さないといけないし、結果出せなかったら自分がクビになるし、絶対プレッシャーがかかる試合とかもあると思うので、そういう時に4年間で鍛えられたことを出せればいいなと思います。


――緊張はされますか

緊張というより、ここで打てなかったらどうしようとか、打てなかったらこの後怒られるんだろうなとかそういう感じでした。でも「やってやろう」という気持ちが強かったし、そういう場面もあんまり嫌いじゃない。「ここで打ったら自分がヒーローや」って思って打席に入ります。結局打てなくて悔しい思いをするのは自分ですけど。


――これからの目標はなんですか

都市対抗と、全日本選手権が一番メインなので、そこに出場して活躍したいのもそうだし、大学時代はベスト4で終わって日本一になれなかったので、会社で日本一になれるように頑張っていけたらいいと思います。


――監督も変わってこれからどんなチームになってほしいですか

やっぱり東洋大の野球部は高橋監督があっての野球部だと思います。今まで作り上げてきたのも高橋監督だと思うし、そういう面では今の3年生も3年間高橋監督に教わって、2年生も1年生も高橋監督に教わって、そことは忘れずに、それぞれその代のチームカラーがあると思うので、東洋大の野球を忘れないで、自分たちが最高学年になった年を中心にまとまってやっていってくれればいいなと思います。