記事
こんにちは、3年の美馬蒔葉です。3年間本当にお世話になりました。
硬式野球部の活躍なくして硬式野球班の取材はありません。活動が一段落つき、ふと振り返ると、この3年間は毎日が思い出に満ち溢れています。1年目は高尾や経堂、淵野辺などたくさんの大学グラウンドに足を運びました。上京したての私は毎週末が小旅行のようで、たくさんの場所に行くことができ、大学1年目からこんなに本当に楽しくていいの!?こんな素敵な経験させていただけるなんて!とワクワクしていました。
こう思えるのも、上手くなりたいと日々全力で取り組む同世代の選手の方々がいたからこそ。そして、記事を待ち望んでくださる読者の方々の存在が私の原動力でした。皆さまがいなければ私たちの活動は成り立ちません。本当にありがとうございました。
さて、私は硬式野球班では、笹川晃平選手、飯田晴海選手と2年連続で主将の担当をさせていただきました。2人の主将だけでなく、これまでの記事で伝え切れなかった選手の思いはそっとノートにしまっておきます。いつかまた皆さまにお届けできるような存在になるので、楽しみにお待ちいただけるとうれしいです。最後のコラム、何を書こうか迷って迷って掲載日を延びに延ばしたのですが!どうしても皆さんに知っていただきたい選手がいます。同期の期待の星!でも期待しすぎず、そっと見守る気持ちでご一読ください。
夢に続く栄光の架け橋
2017年度東都1部秋季リーグ・国学大2回戦。初戦に勝ち星を挙げ、連勝で優勝に近づきたい試合でマウンドに上がったのは背番号18・梅津晃大(営3=仙台育英)投手でした。
梅津投手は6回途中に力尽きるようにマウンドでひざまずき、立ち上がれずにそのまま降板。それまでは3者連続三振や152㌔を計測するなど隠れていた魔物が現れたかのような投球内容でした。降板原因となった内転筋の肉離れは、実は登板前から発症していたもの。練習の段階でも痛み止めを服用していましたが「監督の期待に応えたい」と18の威厳で先発登板。痛みを感じさせない強気な投球に、思わず胸が熱くなりました。
わが野球部を観始めた方は、おそらく、梅津投手は彗星の如く現れたなんだかすごそうな投手、という印象だと思います。スポトウでも記事を出したことも数えるほどしかありませんが、責任感が強く、マイペースさがあるいかにもエースな梅津投手のこれまでを知っていただきたいです。
「地道なトレーニングで神宮デビューを飾った最速153㌔の今年期待の投手」
今年幾度となく見るであろうこの何気ない紹介文の中には、ライバルに先を越された悔しさと、真っ正面から野球に向き合えないもどかしさと、これまでの仲間からもらった声援のうれしさ…様々な感情が混ざっています。
梅津投手は1年春以降、昨秋の先発まで公式戦登板はありません。1、2年生の記憶は「思い出したくない」と言うほど苦しいものでした。
苦しくて辛くて、もどかしさや逃げたい気持ちでいっぱいの時期。果てしなく感じた大学野球の壁…解決策を模索し続けました。
私はこの時期があるから、今の、これからの梅津投手があると思っています。
「悔しさしかなかった」。
球場全体が12季ぶりのリーグ優勝に酔い、チームメイトが喜んだ顔で高橋監督を胴上げしている時も、
そのシーズン中の登板は打撃投手だったことも、
同級生のライバルが神宮デビューした時、自分は前にすら投げられなかったこと、
自分は一歩一歩進んでいるのに周りはとんでもなく向こうにいる気がしたことだって、
もうとにかく悔しかった。
全部全部悔しさしかなかった。
辞めようかなと思うこともありました。
それでもふと彼は思います。
「このままでは可能性で終わってしまう」
そこから彼の勢いは止まりませんでした。
投手はやらないほうがいいと聞いてきたトレーニングも、「変わるきっかけになるなら」と臆することなく積極的に取り組みます。オフなんて概念は彼の頭にはありません。「変わりたい」その一心です。休日返上して、地道に前へ前へと投げ続ける日々を送りました。食生活も見直し、77キロだった体重は半年で92キロまで増量。「人生で一番野球のことを考えた。あの時は本当に頑張った」というほど、自分が変わっていくことに夢中になりました。
そして、新潟県で行われたサマーリーグで驚愕の球速が表示されます。粘る打者に対して投じた渾身の直球は153㌔。あの会場のどよめきとチームメイトの驚いた顔は忘れられません。(ご本人は冷静でした)一日で時計の跡がくっきりつくほど日差しが強かった長岡の天気のように、気持ちがのっていたのかもしれません。
153キロ連発の衝撃を伝える記事です。
ありがたいことに、これまで共にプレーしたチームメイトをはじめとするご友人の方々がこの記事を読んでくださったそうです。その反響は梅津投手の耳にも入り、「すごいな」「さすが梅津」「俺も頑張る」と次々に来る連絡が来ました。
これまで「悔しい」が原動力になっていた梅津投手が、初めて「うれしい」を原動力にする瞬間でした。
このエピソードが私はスポトウでよかったと思える瞬間です。受かると思っていなかったインターンシップ合格よりも、涙があふれて止まりませんでした。
これまでの悔しさ、もどかしさを抱いていた期間を思うと、153㌔をたたき出した瞬間は、固い扉が開いてまぶしい世界に一歩進んだ瞬間のように思えました。この結果をきっかけに、夏のオープン戦でも驚くほど気持ちいい投球を見せ、自力でエースナンバー・18を得ました。
ただ、ご自身はエースナンバーをつけているだけで、その信頼はまだないと言います。18は信頼としてではなく期待で背負った番号。
「今年、また18を背負うことになったらふさわしい投手になりたい」。機は熟しました。投球はさらに進化していることでしょう。
目立たなくたって頑張っている事実は本物。輝くものはどこにいても輝くのです。
様々な毎日を経てたどりついた神宮のマウンド。淡々と投げているようにみえても、こんな背景があったんだなと、ふと思い出していただければと思います。
一段一段、自分のペースで上がるのが梅津投手で、期待に応えるのも梅津投手。人間味あふれる姿が彼らしさだと思っています。
以前、登場曲を設定できるなら何にするか?と伺ったことがありました。梅津投手が登板するときは、即答してくれたこの曲を心の中で流していただければと思います。
誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった
けれど確かに歩んできた道だ
あの時想い描いた夢の途中に今も
何度も何度も諦めかけた夢の途中
いくつもの日々を越えてたどり着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架け橋へと