Article

記事


2018.08.30
コラム

第619回 背番号19の上半期・執筆者須之内海

 担当記者として、日本代表でも大活躍を遂げた甲斐野(営4=東洋大姫路)投手の上半期を振り返る。クローザー転向・リーグ戦優勝・全日本選手権敗退・代表入り、そして先日の壮行試合での158㌔。取材をしてきて抱いた疑問をぶつけることで垣間見える上半期の甲斐野投手を今出せる精一杯の文でお届けする。

互いに高め合うライバル右腕3人衆

(左から梅津投手、甲斐野投手、上茶谷投手)

最後のアウトを取り野手の方を向く

トップチームに帰ってくる日を期待したい

    抑えに転向。この一報が入ったのは春のオープン戦前のことだった。兼ねてより「先発完投が目標やな」と話していた甲斐野投手に打診されたこの案をどう受けとめているのか、3月の初めに聞いたことがあった。「まだ、気持ちとしては変わらないけどね。先発したいと言う気持ちはある、でもチームへの貢献が最優先事項やな」と鶴ヶ島のクラブハウス奥で語る。思い返せば昨秋に大ブレイクを果たしたこの男。中継ぎでの登板ながら、5勝をマークし自身初のタイトルも獲得。シーズン終了後には「あの勝ち方は他のピッチャーに嫌われるな」と笑っていたのも印象的だ。昨秋リーグ戦で私は勝手に"勝ち星の権化"とか"勝ち運の申し子"と二つ名(?)をつけていた。そんな勝ち星をあげ続けた投手が勝ち星へ一番遠くなったのだが、変化は意外にすぐ訪れた。オープン戦も半分を消化した頃のこと、上茶谷投手と梅津投手が連日の好投を見せる。「先発は2人に任せるわ」突然の言葉に驚きもしたが、同時に守護神・甲斐野央が真の意味で誕生したその瞬間に立ち会えた。そんな気がして嬉しかったのだ。

   順調に調整を重ね、迎えた4月9日から始まるリーグ戦。初戦は上茶谷投手が圧巻の投球を見せ、完封勝利を収めたため投球機会はなし。守護神のお披露目は2戦目だ。「印象に残ってるバッター?各校の4番はもちろんやけど、吉田(中大)やろ。打たれたし」とシーズンが終わっても語る相手に被弾。クローザーデビュー戦は2回2失点というほろ苦い結果となった。空き週を挟んだ国学大戦でこの男の真骨頂、切り替えの強さが現れる。「俺は抑えやし。打たれちゃいけない。『甲斐野からは無理』って思ってもらわないとな」と試合後に語ったように、この試合を境に圧倒的な守護神へと変貌。国学大戦では当時の球場表示最速の155㌔をマークしている。
   甲斐野投手の持ち味は何と言っても常時150㌔を超える直球と鋭く落ちるフォークボール。女房役の佐藤(法3=聖光学院)選手は「あれ止めるの大変ですよ。でも止めないと信頼関係ができないから。止めるための練習は積んでいる」と日々の練習を欠かさなかった。さらに、代表でバッテリーを組んだ海野(東海大)選手は「東海にもいますけど。ああいうタイプは。いや、それと比べたら別格です。あの人のはすごいですね」と高い評価を得ている。そんな持ち味が存分に発揮された試合はどの試合か。1番を選ぶなら優勝決定の瞬間にマウンドにいたあの試合。そう、亜大3回戦ではないだろうか。今春リーグ戦でチームが奪ったアウトは全部で381個。「三振狙ってて。落としたら取れるっていう考えはあった」と狙いを定め、投げたのは伝家の宝刀・フォークボールだった。鋭く落ちる球に相手打者のバットが空を切る。優勝だ。ベンチから選手たちが飛び出し、3塁側のスタンドからも大歓声が聞こえた。「また立てたのが嬉しかった。今日悪かったら途中で梅津って言われてて、渡さないって気持ちが強かったね」とブルペンで待機するエースには全日本の舞台を用意した代わりに、優勝の瞬間は渡さなかった。
   優勝候補の一角として臨んだ全日本選手権大会(全日本)。まさかの結末が待っていた。「俺が投げなかったのはそこまでなんやけどな。2人が打たれたのが衝撃的。」先発は勝ち頭として大車輪の活躍を見せた上茶谷投手。だが、この日は体調が優れず思うような投球ができなかった。その後は梅津投手もマウンドに上がるも勢いを止められず。最後は右翼席に飛び込む本塁打を浴びゲームセット。屈辱のコールド負けを喫した。ライバルたちが打たれる姿をベンチから見つめた右腕。投げることなく、学生生活最後の全日本が幕を閉じた。

   月日が流れ、代表選考合宿を迎える。チームからは代表として、甲斐野投手と佐藤選手が選抜。1ヶ月間の戦いに挑んだ。日米野球こそ優勝を逃すものの、オランダで行われたハーレム国際野球大会では見事優勝。その瞬間にマウンドには背番号19番KAINOの背ネームが。代表の舞台でも守護神として活躍を遂げていたのだ。そして先日行われた高校代表との壮行試合で新しい伝説を残す。「うわ!はやっ!!」という声が球場全体から漏れた。この日もクローザーとしてマウンドに上がると1死をとって迎えた根尾(大阪桐蔭)選手への3球目。「出たな」と自身も微笑む一球は球場表示で158㌔をマークし、最速を更新した。試合後に観戦に訪れていたご家族にお話を聞くと「160㌔って言って送り出して。届かないけどやりましたね」と嬉しそうに話してくれた。開幕を直前に控えたタイミングで俺はここの域まで来てる。そう力強く示したのだ。確かに私も驚いた。だが、不思議と「あぁ。やっぱりか」という感覚もあった。マウンドに上がり、いつも通りプレートからの歩数を図る。この時点でいつもの雰囲気を逸した何かを感じずにはいられなかった。本人も「集中してたね」と言うが、これリーグ戦とて同じ。違うのはその言葉が帯びる空気感だ。ピリッとしたと言うか、「俺から打てるのか?」とでも言いたげな(勝手に感じてるだけで本人は一切言ってないです)威圧感を初めて感じた。そんな中でのマウンドだったからか、158㌔には納得できたのかもしれない。

   世界を経験した男の法則がある。それは秋リーグでの大活躍だ。これは昨秋の中川(法4=PL学園)選手の大躍進を見て思っただけだが、今年もそうなる気しかしない。次はリーグ戦で158㌔と言わず、その先を叩き出す。そんな日はそう遠くないはずだ。

■コメント
・須之内(法2=東洋大牛久)

(コラムの出来に点をつけるなら)50点ですかね。今のベストだけど、自分の引退までにはもっと上に行かなくてはいけないですし。今年は光栄にも甲斐野投手の担当をさせていただいてて、まだドラフト会議でどうなるのか分からないですけどプロに行った時にこれでは困ると思うので。本人の一世一代の日を色鮮やかに描けるような記者になりたいなと思います。(担当として見てきて)本当にすごい投手ですよね。今季に入ってから他大学の選手とかに話を聞く機会を作ってるんですけど、「あの人はやばい」みたいな声が多く聞けるので。レベルの高い人たちでもそう思うんだなと感じます。(158㌔を神宮球場でマークした瞬間は)1塁側のカメラ席上のあたりにいました。取材として行って、出したらすごいなと思ってはいたんですけどね。まさか本当にやるとは思わなかったですけど、雰囲気がいつもと違うなというのは思いました。守護神として試合を締める役割を担っていて精神的にも変わったのかなと。壮行試合の時はいつにも増してスイッチ入ってたんじゃないですかね。(甲斐野投手を取材できるのは残りわずかだが、)悔いの残らないようにやっていきたいです。今後、何かしらの形でプロ野球選手としての甲斐野投手と話す機会があるかもしれない。でも、東洋大学の選手としての甲斐野投手は残り短い。今は自分自身で意識的に担当記者という言葉を使うんですけど、最後を迎えるまでには番記者は俺だ。と胸を張れたらと思いますね。変えてる明確な基準はないんですけど、今までドラフト候補と呼ばれる選手を取材した先輩方の記事には到底及ばない状態なので。その先輩に肩を並べるのはまだ早いかなという感じですね。そういう意味で自信を持って並ぶことができるように、しっかりと半年ないですけどやってきたいです。


最後にちょっとしたクイズです。なぜ、こんな中途半端な時間に掲載したのでしょうか。分かった方は球場でも、ツイッターのリプライでもお待ちしてます。

PHOTO=スポーツ東洋硬式野球取材班のみんな