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2015.04.09
コラム

第456回 殿 執筆者・伊藤拓巳

 3年目の春がやってきました。「若いね!いいね!」って言われまくり、「2つしか変わらないのになぜ?」と疑問を抱いていたあの春から月日は流れ、今度は自分がそのセリフを言う番になってしまいました。時の流れって残酷ですね(笑)でも、本当に1年生って可愛いですね。どこにいけばいいのか迷っているあの姿を見ると、、、私はもうおっさんです。



 「顔色を伺う」。「顔色を気にする」。人の態度や状態を見るとき必ずと言っていいほど「顔」というワードが出てきます。怒り、喜び、悲しみなど、確かに人の感情は顔に出やすいものです。しかし、私は人を見るときに顔ではなく「背中」を見るようにしています。もちろん顔でしか判断できない場合もありますが、背中には語らなくてもわかるその人の生き様や今思っていることが見て取れる、そんな気がします。今回は私のちょっとした「背中論」をテーマに話を進めたいと思います。


 小さいころから人前に出ることが嫌いな私には通行人を観察する癖があります。自分が歩いていてもすれ違う人を見てしまうこともありました。無意識のうちに背中を追い、そのせいかまっすぐ歩くことが少し苦手です。ついつい気になってしまいます。「あれ、今の人はどうだったかな」。一人で勝手に想像なんかもしていました。


 なぜ背中なのか。ある日の出来事が大きな一因です。

 テレビの大相撲中継をなんとなく見ている際にある言葉が耳に入りました。「背中を見るとその力士の状態がすぐにわかる」。中継の解説を務めていた元横綱・貴乃花親方の言葉です。親方曰く「背中の張りがいい力士は状態が良いと判断できる」そうです。『なるほど、確かにそうかもしれない』。背中好きな私が相撲にはまるきっかけでもありました。実際にその中継がいつ放送され、どの場面であったか覚えていませんが、それ以来常にこの言葉の意味を考えるようになりました。「背中を見る」ということ。表には出ないその表情が背中には出ている。そう思うと何だか興味が湧いてきました。


 背筋がのびて姿勢が良ければ「自信に満ちあふれている人」。

 背中がこわばって力が入っている人はかえって「自信がない人」。

 少し猫背で背中がまるまってしまっているのは「苦労している人」、などなど。


 実際にそうなのか確かめる方法はありませんが、勝手に想像して「あの人大変そうだな」なんて思うとちょっと楽しいです。「子は親の背中を見て育つ」とも言いますし、観察結果としては案外当たっているのかもしれません(笑)


 「まだまだ先輩たちの背中を見ながらではありますが」。思えば最初のコラムにも背中という言葉を記していました。その時はただ前を見つめ、進むことに必死でした。これからは背中を見られる番です。無様な真似はできません。しかし、無駄な力が入っては私的に「だめな」人間です。肩ひじ張らずに楽な姿勢でありたいと思っています。


 タイトルの「殿(しんがり)」とは兵法における重要な役割を指します。隊列の最後尾を務め、本隊に襲ってくる敵を撃退するのが目的です。楽をして、ただくっついてくるだけでは何の意味もなしません。前線ではなく一番後ろから仲間を助ける。今の私に最適な言葉かもしれません。

 スポ東部員でいられるのもあと9か月。「明るく、楽しく、元気よく!!」。背中で引っ張るタイプではないので、みんなの背中を見守りながら全力で楽しもうと思います。