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東京マラソン2016
兼第31回オリンピック競技会(2016/リオデジャネイロ)男子マラソン代表選手選考競技会
2月28日(日) 東京都庁〜東京ビッグサイト
男子マラソン
12位 服部勇 2:11’46
中間点では第2集団でレースを進めた
最後は苦しい走りとなった服部勇
リオデジャネイロ(以下、リオ)五輪の代表選考を掛け、自身初となるマラソンに服部勇(済4=仙台育英)が挑んだ。昨年はけがにより出走を断念した東京マラソンであったが、今年は箱根駅伝後の調整も丁寧に行えており調子は良好。一時は日本人トップに立つなど、存在感を放つマラソンデビューとなった。
晴天のもと東京マラソンが開催された。東洋大に入学当初から「世界に通用するマラソン選手になりたい」という思いを胸に抱いていた服部勇。そのスタートラインに立つ日がいよいよやってきた。レース前半は大学の選手や実業団の選手が形成する第2集団の中ほどに位置づけた服部勇は、冷静に抜け出す機会をうかがっていた。「40km手前までに日本人トップを狙った」との言葉通り、30km付近に差し掛かるとペースを上げ、そのまま日本人トップに躍り出る。フォームに乱れはなく、このままゴールまで維持できるかというところでフルマラソンの疲労が彼を襲う。体は重く、思うように動かない。懸命に地面を蹴り、「最後は今までで経験したことがないつらさだった」と42.195kmのレースの難しさを痛感しながらも、日本人選手としては4番目にフィニッシュした。
今回のリオ五輪の代表選考も兼ねたレースで、服部勇は代表を取りにいく攻めのレースを繰り広げた。酒井監督も「代表選考なので自分で仕掛けないといけないが、そこの仕掛けができたところは良かった」と評価する。今回の経験を含め、これからさらにマラソンの経験を積んでいくことで、課題に残った終盤の失速なども改善されていくだろう。服部勇が東洋大の選手として走るのはこれが最後ではあるが、「2020年の東京五輪のマラソンでメダルと取ること」を最大の目標に掲げ、努力する姿には今後も目が離せない。
■コメント
・酒井監督
代表を取れず悔しい。代表選考なので自分で仕掛けないといけないが、そこの仕掛けができたところは良かった。フィニッシュが駄目だったという課題が残ったことが反省点。(箱根駅伝からの練習は)マラソン練習はいろいろな練習があるので、今回は箱根を経験して昨年出られなかったこの東京マラソンにしっかり出場するメニューを組んできた。初マラソンを経験したことで次年度以降はその上積みをできるようになっていくと思う。(大学生がフルマラソンに挑戦することについて)青学大、東洋大、他の大学の選手も出ていたので、いろいろな幅の選手が出ることは大いにいいことだと思う。(卒業後に期待することは)リオ五輪は出られなかったが東京五輪を出るために位置づけしたのだから、その前の世界選手権でまず代表の経験を積んで、世界で活躍することを経験しなければ東京五輪に出ても活躍できない。そういうものを次のステップにして進んでほしい。
・服部勇(済4=仙台育英)
30㎞で集団から抜け出して40㎞手前までに日本人トップを狙ったレースだったが、残り2㎞が苦しかった。集団のペースが落ち着いていたので、後方で様子を見ながら抜け出せるタイミングがあったら抜け出そうと考えていた。30㎞で抜け出したときは、他の日本人選手が付いてこなかったので気持ちが楽に走れて、いいフォームを心がけて走った。逆にラスト5㎞からは体が動かなくなってきて、ラスト2㎞は何とかゴールする感じだった。最後は今までで経験したことがないつらさだった。38㎞くらいからかなり体はきつかったが、いけるかなとは思っていて、でもそれができないのがマラソンの難しさなのかなと感じられた。去年は走ることができなかったが、今年はようやくスタートラインに立つことができたのでそこは評価できるところだと思う。箱根駅伝が終わってからは毎日足が痛くならないかという不安があり、1日1日が怖かったのでかなり気を使った。自分自身も初マラソンでどこまでやれるかは未知数だったので、この経験を次のマラソンに生かしていきたい。4年間を振り返ってみて、こうやってマラソンに挑戦することができたのは4年間でとても成長できたことだと思う。
TEXT=吉川実里 PHOTO=吉川実里、東京マラソン財団