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こんにちは。今週のコラムを担当する藤井圭です。よろしくお願いします。今回はいろいろと長いので、時間に余裕があるときに一読ください(笑)。
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「これからも、たくさん辛いことや苦しみを経験するけど、そんな地獄のようなこの世界を楽しみたい」。
これは私が1年生の頃に書いたコラムの最後の文章です。一見暗いような文ですが、まだこれから長い大学生活へ向けて、積極的で前向きなコラムを書いていました。あの頃はまだまだたくさんの希望や、これをやりたいという意欲でまみれていた頃です。昔話のような書き方をしてしまいましたが、もちろん今でもその気持ちに変わりはありません。ただ、当時と比べて変わったことは、地獄を楽しむことを忘れてしまったということでしょうか。
あのメールが届いたのは、2016年の9月初旬でした。夏休み真っ只中でリオ五輪も終わりを迎え、スポーツ東洋は9月号へ向けていざ編集が始まるという時期です。その頃、親戚の家に居候していた私は、親戚の引っ越しを機に、一人暮らしを始めようと家を探していました。その旨を伝えようと、実家に住む母へ連絡を取っていましたが、なぜか母からは、何も返信が来ません。忙しいのかなと思い、その後は特に連絡もせずに、そのまま放置していました。しかし、いつまで経っても、母から連絡は付かず。徐々に私は恐ろしくなり、考えたくもない不吉な想像が頭をよぎるばかりでした。夏休みの日にちが減っていくとともに、私の不安は増大していくばかり。そして、この不吉な想像は、思わぬ形で現実となって私の前に現れます。学校で編集を始めた2日目のことでした。
その日、母から久しぶりの返信が来ました。引っ越しをするという内容を送ってから、初めて自分のもとへ届いた返信。ただ、その内容は引っ越しとは一切関係のないものでした。
「大学を休学してほしい」。
“頭が真っ白になる”というのは、あのような状況のことを言うのでしょう。受け入れたくない現実が長文の如く送られてきました。何でも母は学費として用意していたお金を、友人から盗まれてしまったというのです。「友人が困っていて、すぐに返すと言っていたから貸したら、それ以降全く連絡が来なくなった」と、その長文の中に書かれていました。さらに、そのことで精神的に病んでしまった母は入院してしまいます。その影響で、仕事もまともにできないため、大学の学費が払えないから、一度休学してほしいと続けてありました。あの時の喪失感は、今でも忘れられません。
ここまでの地獄を、楽しめる人間はいるのでしょうか。急な連絡でお見舞いにも行けず。ただただ心配することしかできない日々でした。なので、朝早くから夜遅くまで、報知新聞社へ残り、編集のことで頭をいっぱいにして、少しでも考えないようにしていました。しかし、それでも募ってくる不安には勝てません。逆に編集に一方通行になってしまったというべきか、協調性もなくなり、部員にも迷惑をかけてしまう始末。これに関しては、本当に申し訳なかったと、今でも思っています。
それでも、このことは誰にも相談できませんでした。それよりも私は、人を簡単に信じられなくなり、臆病な気持ちを隠しきれないようになってしまったのです。そして、誰も責めることができないモヤモヤがいつまでも胸の中に残っていました。間接的な影響を受けた自分が、ここまで精神的にダメージを喰らってしまうのですから、直接的に嘘を付かれた母は、考えたくもないくらい追い詰められたと思います。幸い、学費は自分が貯めていた貯金があったため、それをほぼ全額投入して、何とか休学は免れました。母もその後は順調に回復し、今では新たに仕事を始めるほど復活しています。
そんな臆病な状態が続く中で、9月号の編集が終わると、来年以降の編集長など役職を決める会議が、9月末に行われました。私はもともと編集長をやりたいという意思がありましたが、その時には精神的にも滅入っていたので、会議当初はやめようと思っていました。「こんな状態の自分が、編集長なんて務まらない」と不安になっていました。しかし、編集長は空白のまま時間だけが過ぎていくばかり。結果的には自分の中で、やりたいという意思が、不安な自分に勝ったのでしょう。それと同時に、この臆病になり衰弱してしまった自分を編集長という立場に身を置いて、今まで以上に、もっと成長したい。そうも考えたのです。そして私は自ら、編集長として立候補しました。ただ、役職決定後に同期からは、こういうところを直してくれという要望がいくつかありました。それを今、完璧にこなしているとは言えません。けれど、あの時にはっきりと皆が言ってくれたから、自分は間違った方向に進んでいなかったと思います。あのまま編集長を務めていたら、きっと自分は、皆と違うレールの上を走っていたでしょう。なので同期には、今でもとても感謝しています。
1年時のコラムでは「元々この世がすでに地獄で、そこで人間がどう乗り越えて楽しめるか」どうかを話していました。そこで地獄とは、符号の掛け算のようにマイナスの中で、マイナスなことが起きた結果、プラスになると言っています。あれほど大きなマイナスが起きている中で、私にとってのプラスは生まれるのでしょうか。それはきっと今年1年間で分かることだと思います。1年生のとき、コラムに書いた言葉が“理想論”だとしたら、この1年でその答えを見つけるしかありません。その答えが見つかるかどうか、引退コラムの時に分かるでしょう。その時まで、編集長として是非よろしくお願い致します。
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今日の会議から、新入生が本入部となります。今月から体験取材が始まり、これからもTEXT=やPHOTO=には、新鮮な名前が連なっていくと思います。彼らは、これからのスポーツ東洋を担っていく将来です。一生懸命記事を書いて、写真を撮っているので、暖かく見守ってあげてください。
そして最後に、来週のコラムは、もっと明るく面白いと思うので、期待してください。