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2018.10.26
硬式野球

[硬式野球]ドラフト指名直後特別企画!父・滋さんが語る梅津晃大の素顔

 25日に行われた新人選手選択指名会議で中川(法4=PL学園)・梅津(営4=仙台育英)・甲斐野(営4=東洋大姫路)・上茶谷(法4=京都学園)4選手が指名を受けた。今回はスポトウの担当記者がそれぞれの形で担当選手を描く。

 2日目は中日ドラゴンズかららドラフト2位指名を受けた梅津晃大。

今回は父・滋さんに、幼い頃からの夢をかなえた息子に対する思いをうかがった


杉本監督と記念撮影に応じる梅津


 
「ここまでよく粘ったと思う」。父・滋さんは夢のために努力を積み重ねた息子のことをずっと見守ってきた。梅津(営4=仙台育英)は1年生の春にいきなりベンチ入りし、先発も経験するも、その年の秋以降は思うように投げられず3年生秋まで公式戦での登板はなかった。「上茶谷(法4=京都学園)選手や甲斐野(法4=東洋大姫路)選手が実績を出して焦りもあったと思うが、苦しい中でも自分で考えてよく克服してきた」と大学での4年間をこう振り返り話した。

 「やめたい」と滋さんに電話がかかってくることもあった。「(やめたいと言われたときは)前から悩んでいたことも知っていたしびっくりはしなかった。野球以外にも選択肢はたくさんあるので本人が希望する道を歩めばいいと話した」という。

 滋さんは自宅のある仙台から試合が行われた神宮球場にも足を運んでいた。「親がいると思って変に意識すると困るので本人には言わないで見に行った」と梅津には試合後の夜に、家族のグループLINEなどで伝えていた。

 大学最後の試合を終えた23日の夜、梅津は「4年間支えてもらってありがとう」と感謝の気持ちを滋さんに電話で伝えていた。少し驚きどうしたのと滋さんが聞くと、「4年間の区切りなので」と言われたという。実はその日は梅津の22歳の誕生日の前日。滋さんは「誕生日おめでとう」と一足先にお祝いの言葉を伝えた。「電話をもらって嬉しい気持ちもあるが、大学最後の試合が終わったことは寂しい気もする。大学でチームの仲間と戦えるのは1回しかないので」と少し名残惜しい気持ちも感じたという。

  滋さんもふざけているところを昔からあまり見たことがないというほど真面目で誠実な面を持つ梅津。そんな梅津だが、意外にも幼稚園の時は何でも言われた通りにするのが嫌いなタイプだったという。幼稚園の制服の半ズボンをはくのが嫌で、長ズボンをはいていったり、ラジオ体操をやらなかったりしたことも。 今の誠実で真面目な梅津からは想像が出来ないような、可愛らしいエピソードも教えてくれた。

 野球が大好きだという滋さんは ドラフト前に、「プロ野球選手の道に進んでくれたら一番嬉しいとは思っていた」と語っていた。指名が決まった後には、周りの知り合いの方や親戚などからの連絡が鳴りやまなかったという。特に地元の人々の反響は大きく、小学生の時所属していた少年クラブのコーチからは「うちのチームからプロ野球選手になってくれる人が出で本当にうれしい」と喜びの声をもらったという。滋さんも「周りの人が喜んでくれるのはすごくうれしい」と感極まる様子で話してくれた。

 会見で梅津は「今まで支えてくれた両親にちゃんと報告したい」と感謝の気持ちを述べた。実は母・明美さんは今月半ばに倒れ仙台市内の病院に入院中だった。病室から見守ってくれているという母には「指名されたことを喜んでくれると思う。良い報告ができてよかった」と話した。「上のステージで活躍している姿を見たい」。お父さんの思いも胸に梅津は新たな世界へと進んでいく。


■父・滋さん祝福コメント

指名された時は本当にホッとした。小さいからの本人の夢がかなってすごくうれしい。主将の中川君も指名されてすごくホッとした気持ちになった。中川君あっての梅津だと思うので感謝している。本人とはまだ直接話せていない。LINEでメッセ―ジは送ったが落ち着いたら話そうと思う。本人も妻の体のことをすごく心配していた。私たちも回復に向けて頑張っているので、本人にも頑張れと伝えたい。上のステージで活躍している姿を見たい。

(執筆者・東洋大学スポーツ新聞編集部・ 松本菜光花)