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2018.10.27
硬式野球

[硬式野球]ドラフト指名直後特別企画!番記者が書く〜上茶谷大河編〜

 東洋大から先日の新人選手選択指名会議で中川(法4=PL学園)・梅津(営4=仙台育英)・甲斐野(営4=東洋大姫路)・上茶谷(法4=京都学園)4選手が指名を受けた。今回はスポトウの担当記者がそれぞれの形で担当選手を描く。

  3日目は横浜DeNAベイスターズからドラフト1位指名を受けた上茶谷大河(法4=京都学園)投手。

努力を重ね、ついにプロ入りを果たした上茶谷。東洋大での人との出会いは、上茶谷の野球人生にとって大きなものだった。



○梅津からの言葉

 出会いが人生を変えた。チームの大黒柱として1年間先発を担った。そんな上茶谷の人生を大きく変えたのは梅津との出会いだった。2人の出会いは意外にも入部前。高校3年生で受けたセレクションだった。「球が違いすぎて、最初自分がこんなところでできるわけないと思って、やめようと思いました」。セレクション時、隣で投げた梅津に実力の差を感じ、東洋大への進学をやめ、地元・京都にある大学への進学を考えていた。そんな時、セレクションで連絡先を交換した梅津から連絡が。「一緒にやろうよ」。その一言で上茶谷の意識が変わった。「頑張るから」。そうご両親に告げ、上京を決意。晴れて東洋大学の門をたたいた。

 

○努力が実った4年間

 大学1年生、2部リーグ時代での入学。1年時からベンチ入りを果たすもなかなか登板機会に恵まれなかった。転機が訪れたのは大学3年生の冬。1、2年生での経験から自分を見つめ直し、フォームの改善に努めると自分でも「質が完全に変わりました」と語るほどその効果を実感。さらに、2年から続けてきたウエイトが効き、体重は1年間で10㌔増。体重の増加とともに球速も上がり、2月上旬には当時の最速である146㌔を更新していた。2月中旬に行われた鴨川キャンプの初日、杉本監督にお話を伺うと、最初に名前を出したのが上茶谷だった。「球が速くて、とてもいい」とにこり。翌日のキャンプ2日目には149㌔をマークすると、その後の3月に行われたオープン戦では自己最速の151㌔を計測した。

○大黒柱としての1年間

春、秋ともに開幕戦の先発マウンドに立ったのは上茶谷だった。春季リーグの開幕戦で完封勝利を収めると、駒大戦での20奪三振や優勝の懸かる亜大戦での3連投など、見る人を幾度も驚かせた。秋季リーグ戦序盤には不調に苦しむ試合もあったが、駒大戦を機に調子戻し、4勝を挙げる。「とても努力家で毎日ウエイトを継続しているのを自分は見ているので頑張って欲しいという思いがあった」と正捕手の佐藤(法3=聖光学院)。そして、髙橋前監督も「選手に求める理想が高いから普段はあまり褒めない。でも上茶谷はよく頑張ったね」と褒め称えた。




○夢への道

 小学校から願い続けてきた夢をあきらめかけることもあった。「プロはずっと目指していたんですけど、無理やと思っていました」。大学4年生にあがるころ、リーグ戦での登板経験の少なさや自分の実力に悩むことも多かったという。社会人野球に進もうとしていた上茶谷に杉本監督から「まだいけるから」と一言。「あきらめずに頑張ってみようかなと思いました」。幼き頃からの夢をかなえるべく、もう一度自分を奮い立たせた。

 


○仲間の存在

「本当に、改めてこのチームでやってきてよかったなと思います」。ドラフト当日に上茶谷は語った。「梅津はお父さんかな。甲斐野は兄弟って感じ。お母さんは中田(営4=大宮東)ですかね。弟が藤井(法4=富士市立)で、友達が阿部(営4=佐久長聖)です」。150㌔トリオとして実力を高め合ってきた梅津、甲斐野に加え、同期の投手は上茶谷にとって大きな存在。指名を受けた後、喜びや悔しさを共にしてきたチームメイトからの胴上げには笑顔が止まらなかった。

次の舞台は横浜DeNAベイスターズ。仲間と進む道はそれぞれ違うが、東洋大で積み上げた経験を糧に、新たな道へのスタートを切る

 

(執筆者・東洋大学スポーツ新聞編集部・   望月優希)

〜連載日程〜

10月28日(日)中川圭太