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2018.10.27
硬式野球

[硬式野球]ドラフト指名直後特別企画!〜上茶谷大河〜ご両親に支えられ、かなえた夢

 東洋大から先日の新人選手選択指名会議で中川(法4=PL学園)・梅津(営4=仙台育英)・甲斐野(営4=東洋大姫路)・上茶谷(法4=京都学園)4選手が指名を受けた。今回はスポトウの担当記者がそれぞれの形で担当選手を描く。

  3日目は横浜DeNAベイスターズからドラフト1位指名を受けた上茶谷大河(法4=京都学園)投手。


  ついに小学生からの夢をかなえた上茶谷。野球を始めて約16年。夢を追いかけた上茶谷をご両親はいつでも支えてきた。

上茶谷は夢をかなえ、プロの道へ進む



憧れていた青色のユニフォームを笑顔で見つめた


 野球を始めたのは小学校1年生。きっかけはいとこの影響だった。「グローブもつけたことなくて球も投げられなくて」。そう語るのは母・めぐみさん。「やっているうちに面白くなってきたみたい。夜練習を頑張ってきたのでね」。最初はご両親に連れられて向かっていた練習もいつの間にか自分から向かうようになったという。夜練習と語るのは父・篤史さんの熱血指導のこと。毎日夜の20時〜2時間半ほど、10㌔の走り込み、素振り、ティーバッティング、ネットスローやトレーニングなど、父と二人三脚の練習を続けてきた。

 

 スタメンに入れず、苦しい時期もあった。中学時代の公式戦出場は2回。当時3番手投手だった上茶谷が投手として公式戦に出たのはわずか1回だった。「中学では登板もなくて、ベンチにいることが多かったかな」とめぐみさんは当時を振り返る。今では181㌢の長身だが、中学時には160㌢台と小柄で、身長は前から3番目だった。

 高校2年生の春からは京都学園高校のエースとしてマウンドへ。しかし、3年夏の府大会では8失点と無情にも2回戦で姿を消した。

 

 東洋大での成長を「親元離れて、ちょっとずつ、しっかりしてきたなというのが一番に思うところです」とめぐみさんは語る。最初は親元を離れて、東洋大でやっていけるのか不安もあった。しかし、「人間としても本当に大きくなって、東洋に行ってもらってよかったなと思います」と4年間の成長について語ってくれた。

 

 ドラフト2日前、亜大戦には京都から神宮球場へ、親戚も合わせて10人ほどで駆けつけた。延長戦の末敗れ、これが大学生として最終戦に。1年間戦い抜いた上茶谷に「お疲れ様」と声をかけ、バスが出るのを見送った。

 

 野球を始めて約16年、ここまで野球を続けてこられたのはご両親の支えがあったから。憧れていた横浜DeNAベイスターズからの一位指名。その後の会見で、指名された喜びは真っ先に誰に伝えたいかという質問に上茶谷は「両親に。やっぱり今まで支えてくれたのはうちの両親だし、順風満帆ではない野球人生の中で、中学生の頃とかスタメンじゃなかったんですけど、その時期に支えてくれたのも両親だったので、両親に伝えたいです」と語った。

 

 昔から大好きだった青色。これからは横浜DeNAベイスターズの一員として青色のユニフォームをまとう。「プロでもみんなを笑わせて、みんなを楽しませる選手になって欲しいです」。ご両親の願いを胸に秘め、上茶谷は夢の舞台へのスタートを切る。


■母・めぐみさんからメッセージ

やっぱりホッとしました。ちょっとしてから主人の携帯にかけてくれて、よかったな、おめでとうという話はしていました。夢みたいで信じられなかったですね。頑張って来てよかったなーと思いました。(青のユニフォームについて)青のストライプというのはこれまで着たことがなくて。中学は赤のユニフォームだったので、青というのは始めてで。好きな色なので。頑張って欲しいですね。(京都から埼玉へはどんな気持ちで送り出しましたか)頑張れ!負けずに頑張ってこいよ!と言いました。心配だったけど、がんばってねと思ってました。(4年生の活躍については)もうそれは嬉しい気持ちで。ドキドキして、怪我とかこれまでと違う不安もあったんですが、1年間無事に終わることができてよかった。ホッとしています。(夢を叶えた息子さんにメッセージをお願いします)おめでとう。これからも活躍できる選手になってください。 

(執筆者・東洋大学スポーツ新聞編集部・ 望月優希)

〜連載日程〜

10月28日(日)中川圭太