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2018.10.28
硬式野球

[硬式野球]ドラフト指名直後特別企画!番記者が書く〜中川圭太編〜

 東洋大から先日の新人選手選択指名会議で中川(法4=PL学園)・梅津(営4=仙台育英)・甲斐野(営4=東洋大姫路)・上茶谷(法4=京都学園)4選手が指名を受けた。今回はスポトウの担当記者がそれぞれの形で担当選手を描く。

  最終日はオリックスバファローズからドラフト7位指名を受けた中川圭太。





  大学入学後、中川は「最後のPL戦士 」や「今岡二世」と呼ばれ続け、4年生になればプロ志望届を提出すると誰もが疑わなかったと思う。私もその1人だった。


  心の底ではずっと、小さい頃から抱く「プロの世界へ入って活躍したい」という思いはあった。だが志望届を提出するまでにはかなりの時間を要した。担当してからの3年間、幾度と「プロを目指していますか」と質問したが、必ず返答は「まだわからない」。高校3年時の指名漏れの経験もあり、「実際高校のとき行かれへんくて、高い壁やなって思って。そういう意味でもそう簡単には決められないって感じかな」と胸のうちを明かしていた。そして「まだ自分はプロに行けるような成績は残していない」と決まって答えた。東都では4度のベストナイン、3年夏にはユニバーシアード競技大会に日本代表として出場し首位打者、そして打点王。彼は一体どこまで成績を残したら、プロ野球選手を志望すると決断するのかと不思議に思った。


 そして大学1年時には、3学年上の原(H27年度営卒=ヤクルト)がプロ野球選手になるのを間近に見た。それもあり「樹理さんを見て、チームのためにやった結果がプロにつながったという形に見えたので、今はまだ先はあまり見ていない。まずはチームのために今を頑張るだけ」と、自分の将来よりも、チームのことを常に考え続けていた。


  中川が大学4年になると、より一層「最後のPL戦士」などのキャッチフレーズで、プロ志望を明言しているという記事が増えていった。だが自分が何度聞いても「まだわからない」。そして私は言ってしまった、「中川さん、ドラフト1位でプロに行くって記事を見たんですけど…」。そして返ってきた言葉がこれだった。「別に1位とか思ってないよ(笑)そりゃまぁ行けたらいいけど、書きたいように書けばいいかなって(笑)」。


 なるほど。この人は、記者一人一人がどんな記事を書こうとしていて、どんなコメントを欲しているのかわかっているんだなって。そして私には、その言葉を今必要としていないことがわかるんだなって。


 そして中川が4年生になっての夏、久しぶりに聞いた。「ちなみに進路って…」。返答は「(プロ志望届を)出します」とはっきり言った。ちょうど取材に行く2週間前に決めたとのこと。「ずっと迷ってて、でも色んな人と連絡とったり、地元の方とか、親もそうですし。そういう人から『応援してるで』とか『絶対プロ行って活躍してくれよ』とか言われて。自分もプロで活躍してっていう夢はずっとあったので、高3の時にダメだったんですけど、その夢が捨てきれないというか諦めきれないので。ずっと応援してくれてる人たちにも恩返ししたいなっていうので、プロ行きたいというか志望出そうかなって。それが決め手ですね。親には『あんたが決めたんならいいんちゃう』って。そんな感じです(笑)」


 そして、「広い球場で大声援。あれがしびれるんですよ。なんか気持ちよくないですか?空気っていうか、声援がいいなって。ユニバーシアードで韓国と対戦しているときに、自分の名前呼ばれたとき、今までで一番鳥肌が立ったんですよ。たまにバッターボックスで結構鳥肌が立つときがあるんですよね。東都は少ないんでないですけど(笑)そういうとこでやりたいなって」と今まで取材していて一番の笑顔で話してくれた。


 「プロ野球選手になることが夢ですか」と問うと、以前こんな回答が返ってきた。 「夢というか…レベルの高いところでやりたいし、一流のピッチャーと対戦して打つっていうのが目標で、そのために行きたいっていうか。お金じゃないですよ(笑)」。中川にとって、プロ野球選手になったことは通過点に過ぎない。これからも飽くなき向上心でバットを振り続ける彼を、名前入りのユニフォームとタオルを身につけて全力で応援しに行こう。「夢を叶えましたね」ではなく、「やっと夢を叶えるためのスタートラインに立てましたね」。3年間ありがとう。




(執筆者・東洋大学スポーツ新聞編集部・   永田育美)