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先日行われた第91回日本学生氷上競技大会(以下、インカレ)では2年連続で決勝進出、準優勝に輝いたチーム。優勝には届かなかったもののひと試合ずつ成長し、最後の舞台で持てる力の全てを出し切りました。鈴木監督によるスカウト第一陣として入学。以来優勝めがけて駆け抜けてきました。優勝を狙うチームとして決して楽な日々ではありませんでしたが、一人として欠けることはありませんでした。仲間でありライバルでもあった彼らが口にしたのは互いへの感謝の言葉。支え合いながら一歩ずつ着実に前進してきた選手たちは堂々と大学アイスホッケーを終えました。記事には入りきらなかった4年生たちの最後のインタビュー全文をお届けします。
試合後に笑顔を見せる4年生とスタッフ
・FW阿部(社4=白樺学園)
(決勝を振り返って)最初の出だしとかもすごく良くて、みんな足も動いていたし東洋らしいホッケーはできていたんですけど、1点目決められてそこから少し流れが変わったというのがありました。それでもみんな失点しても最後まで諦めないでやっていました。個人的にはスコアリングチャンスはいっぱいあって、決めるところを決めれずに終わってしまったかなと思います。(インカレ総括)最初の2戦、京産大と同志社大の試合は、すごく自分自身調子が悪くて。自分らしいホッケーというか練習のときとは違うプレーになってしまったんですけど、法大戦から徐々に良くなってそこから自分らしいホッケーができた。なおかつチームとしてもみんなそれぞれ自分のやるべきことをできていて。インカレ通してはチームとしても成長できたかなとは思います。(同期がここまで1人も欠けずにきたことは)1人も欠けずにやってこれたっていうのはうれしいですし、一個上の先輩でも辞めちゃって1人欠けているというのは知っていて。僕ら同期はみんな仲良いですし、10人という人数はちょっと多いんですけど、個々に個性があってそれも面白かったので1人も欠けないでこの4年間陸トレも氷上も頑張ってこれていい同期を持ったと思います。(阿部選手含め、スキルの高い同期とプレーして)僕は高校のときはそんないい選手というか、あまりチームに貢献できるような選手ではなかったんですけど、この大学のチームカラーっていうのがすごい自分に合っているなと思っていて。他の高校から上がってきていろんなチームが集まって、その中でこの同期っていうのはどこのチームにも負けない学年だと1年生のときから思っていました。そのスキルの高い選手たちとプレーができて、すごくいい経験だったと思います。(思い入れのある代とおっしゃっていた鈴木監督について)一言で言うと、涙もろい。ちょっと感動したことがあれば、すぐ声が震えてたり、ちょっとかわいいなって(笑)。ホッケー面でも、監督としても、選手のことをすごく見ててくれていて練習でも一人一人分かってくれてる監督だというのはすごく思っていました。(坂本選手と柴田選手と仲良い印象でしたが)1年生のときから仲良くさせてもらってて嗣斗(柴田)もすごくスキルが高い選手でチャッキー(坂本)も同じくスキルが高いんですけど、チャッキーは結構いじられキャラで嗣斗といじってたりとか。そういった面でも1年生のときから2人と仲良くしていて嗣斗もかわいいとことか、こいつばかだなってとこがいっぱいあって。それはチャッキーにも言えるんですけど、チャッキーは本当に頭おかしいチビ助って感じで、この4年間嗣斗とチャッキーとやれてすごい楽しかったなって思います(笑)。(武部選手がこのインカレでのセットが一番組みたいセットだというようなことを言っていたが)正直僕も今までやってきて嗣斗と虎太朗(武部)と僕のセットが一番やりやすいって思っているセットでした。虎太朗に関してはすごくスキルもあって状況判断も良くてパスもシュートもいいし足も速くて、全部そろっている選手で、頼りがいのある選手だなというのは昨年からずっと思っていました。僕と嗣斗が両サイドで、4年生として先輩として少しでもやりやすい環境にできたらなというのは自分で心がけていたので、そういった面でも虎太朗はのびのびとやれていたのかなと思います。(先輩との仲良いエピソード)一個上の先輩は39番の梅庭宏仁(平成29年度社卒)とすごく仲良くて常に一緒にいたという感じですね。宏仁が卒業しても時々飲みに行ったりとかしてて、人としてもすごい尊敬してる先輩なので宏仁はすごい好きな先輩でした。(後輩では)部屋っ子の太一(中村)とか猪狩とか。あいつらはすごい頭おかしくて一緒にいてもすごい楽しくて、飲みに行ったりご飯行ったりしていました。海に行って遊んでも一緒にばかやって遊んでくれるので、すごく楽しい、いい後輩でした。(4年間でしんどかったことは)特にしんどいってことはなくて、それより楽しいっていうほうが多かったので、この4年間いろんな経験をしてしんどいって思ったことはあまりなかったです。(後輩へのメッセージ)この悔しさっていうのは個人個人で分かってくれてると思います。この1年間4年生と仲良くしてくれて来年は絶対優勝してほしいという気持ち。それとチームとしても個人としても成長して優勝してほしいと思います。(マネジャーへ)もともと同じ学年にもう1人いたマネジャーが辞めてしまって、それで昨年マネジャー3人一気に引退して、今年1年間1人でマネジャーやってくれてたんですけど、すごい選手に気を遣って仕事をしてくれたりだとか、よく1人で頑張ってくれてありがとうございますってすごい思ってます。(スタッフへ)1年目は試合に出れてない時期も最初はあって、そこから頑張って試合に出れるようになって。2年目とかはスコアとかしてなくて結果も全然出てなかったのにこの4年間出し続けてくれてスタッフにはとても感謝しているし、気軽に話せるスタッフで良かったなと思ってます。(トレーナーへ)内山さんと小林さんに関しては、その2人もすごく話しやすくて。平日でもほぼ毎日夜11時とか遅くまで選手のケアとかしてくれて遠いところからわざわざ寮まで来てくれて、すごい選手を思ってくれるトレーナーで良かったなと思います。(ご両親へ)3歳からアイスホッケーをやっていて、小さい頃からお金がかかっているっていうのは自分でも理解していて。中学校のときとかはよく問題起こしてホッケー以外ですごい迷惑かけていたんですけど、それでもちゃんと送り迎えだとか自分のことを理解してくれて、とても感謝しているというのを一番思っています。この本気でホッケーを続けた3歳から22歳まで感謝してもしきれないっていうのはすごいあって。ちょっと、親のことになったら泣きそうになるんですけど(笑)。今後の人生で少しずつ親孝行していけたらなと思います。(最後に)東洋大に入ってこの同期に出会ってスタッフに出会って後輩に出会って、自分にとって一生の宝になったかなって思います。この大学4年間の経験は今後の人生に絶対生かせると思うので、今後の人生はこの経験を生かして頑張っていきたいと思います。後輩には絶対来年優勝っていうリベンジをしてもらいたいと思います。
・FW出口(社4=駒大苫小牧)
(決勝を振り返って)スタートは東洋大のホッケーができていて良かったと思うけど、途中からまとまりがなくなってそこが失点につながったのかなと。(インカレの総括)やってきたことは全部出し切れたので。後輩たちに出し切ったものを託して、来年度は絶対に優勝してほしいです。(4年間を振り返って)なかなか優勝できないなか、この仲間と一緒にできたのは良かったです。また次のステージでも頑張りたいと思います。(同期に向けて)苦しいときも出てる出てない関係なく声掛けてくれたりそういう部分もあって、同期には感謝しています(同期が欠けずに最後まで活動できたことについて)10人全員最後にベンチ入りできたのはみんなうれしいと思ってるだろうし、僕自身すごくうれしかったです。(つらいことはあったか)優勝するために僕らはやっていたので。つらいことは少しあったが、それを乗り越えた先に優勝があると思っていたので、やりきれて良かったです。(スキルの高い同期に囲まれて苦悩したことは)みんなスキルが高くて練習からバチバチするとかそういうのはありました。僕は練習から全力でやるという気持ちで臨んでいて、そういうのが選出されたのかなって思います。(鈴木監督から思い入れのある代と言われて)貴人さんから僕ら10人初めてスカウトされて、最後は胴上げしたかったんですけどそれはかなわなくて。でもこの10人と監督、コーチでホッケーできたのはうれしいことなので、それを次に生かしていきたいと思います。(感謝したい人は)やっぱり、コーチとかもそうだけれど、一番は親に感謝したいです。苦しいときは声掛けてくれたり、僕に尽くしてくれた。そういうところでやはり一番感謝しています。(マネージャーへ)学校とかある中で練習にも顔出してくれて仕事してくれたり、本当に感謝しています。(アシスタントキャプテンとして1年活動して)古川誠キャプテンにも柴田アシスタントキャプテンにも及ばなくて、僕は不甲斐ないアシスタントキャプテンで。僕がなっていいのかって部分もあったけど、なったからには全力でやろうと思っていたので、最後はしっかり声掛けてアシスタントキャプテンができて良かったと思います。(後輩へ)僕らは優勝を一度も出来なかった。後輩は今のプレーをしたら絶対勝てると思うので、東洋大の生命線であるフィジカルなプレーとスケートするって言うのを毎試合やれれば優勝できると思います。(スタッフへ)厳しいメニューとかもあったけどそれは優勝するためであって、毎回毎回考えてくれて感謝しています。苦しいときもみんな声掛けてくれてそういう面でも感謝していますし、勝てない時もあったがそこは練習から頑張ろうって言ってくれました。(今後の進路)プロにいくので、そこではここで優勝できなかったぶんさらにレベルアップして優勝できたらいいなと思います。
・FW柴田(社4=武修館)
(決勝を振り返って)正直実力負けっていうのもあるし、4年生である自分たちが何もできなかったっていうのが本当に悔しいです。内容的にも全部負けていたし、2位という結果を僕らも受け止めることができないけど、後輩たちにこの悔しさを来年晴らしてもらいたいと思います。(自分のプレーは)個人的には結構動けてはいて、アシストとかはしていたがゴールとかは全然なかった。ちょっと自分の実力不足かなというところがありました。僕がもっと決めていれば勝てたと思います。(インカレ総括)合宿に来たときからチーム自体の調子も良くて、まとまっていました。自分たち的にもいけるかなというのはあったけれど、やっぱり何かが足りなかったのかなと思います。(1年間アシスタントキャプテンをしてきて)最初の方は特に何かやったのかなという感じだったけれど、リーグ戦でけがをして試合に出なくなって、出られない人の立場に立ったときに何ができるかっていうのを考えました。1年生がやるような雑用だったりとかを積極的に自分からやったりして、そういうところで4年生じゃ分からない、1年生にしか分からない気持ちを理解したり、そういう人がいるから僕らがこういう風にプレーできているということを感じることができました。(4学年の仲がいいと聞くが)みんな結構気軽に1年生が4年生に意見したりとかもあったので、言い合える環境ではあったのかなと思います。でももっと後輩から物事を言ってもいいのかなと。上級生だけじゃ見えないところもあるので。後輩たちに厳しくもしなきゃいけないと思うけれど、今のこういう環境をこれからも作っていってほしいなと思います。(同期が欠けることなくここまで来たことに関して)僕らの学年はグループとかはもちろんあるけど、仲悪いとかはなくて。そんなに苦労したとかの感じもなくて。結構みんな「勝つ」という気持ちは同じ方向を向いていたので、辞めるとかそういう風には思いませんでした。僕がここまで来られたのもみんなのおかげなので、同期10人には感謝したいです。(同期はスキルの高い選手が多いが苦労などは)正直、昨年のリーグ戦とかは結構バラバラだったというのはありました。昨年の4年生があまり試合に出ていない人が多くて、3年生が主体で試合をやっていたので。4年生が出られなくても引っ張っていく力をつけたというのを僕らはもらったのかなと思います。それを今年生かせたかっていうと結果は昨年と同じだったけれど、昨年の4年生から得るものは大きかったと思います。(鈴木監督になって最初のスカウトの代だが)貴人さんをどうにか胴上げしたいっていうのを同期10人で絶対思っていたので、本当に貴人さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。(4年間を振り返って)最初は本当に大学に来る気が全然なかったので、鈴木監督には本当にスカウトしてもらってここまで来られたので感謝の気持ちしかないです。入って最初の方は試合はちょくちょく出ていたが、1、2年とあまり結果を残すことができなくて。本当に不甲斐ない結果に終わっていたので3年生になる前の春合宿の前に自分でどうにかしないといけないという風に気づいて、自分ができることをやった結果がリーグ戦とインカレの結果につながったのかなと。それも全部支えてくれたのがスタッフとかだったので、本当にスタッフには感謝したいと思います。(つらいと思ったことは)そんなにないですね。結構みんなチームメート仲が良いので、つらいことがあったらみんなでわいわいして辛いこととか全部忘れていたので。(マネージャーへ)僕らの代はマネージャーが二人いたけど、一人欠けちゃってゆうこちゃんしかいなくて。最初の方はそのまま辞めちゃうのかなって思ったけど、最後までこうやって支えてくれて。4年目になって僕もけがしたときに試合出られない状況で、ゆうこちゃんはマネージャーなので試合に出るとかではないけどそういう立場になったときに、本当に大変だなと感じて。そういう人がいてここまで試合ができているので本当に感謝の気持ちしかないです。(感謝を伝えたい人は)みんなに感謝したいが、親には一番金銭面だったりいろんな面で支えてもらっていたので、親には一番感謝したいと思います。
・FW坂本(社4=八戸工大一)
(インカレ総括)初戦(京産大戦)はあんな感じで出させてもらって。僕一人出ることで、一人ちがう選手がまた削られるっていう中でのスタッフが使ってくれたということに関してはすごく感謝しています。法大との3回戦、あの試合からもうみんな気を引き締めて、本当に負けたら終わりなので法大戦、中大戦、決勝とどれも本当に気を抜けない試合が続いたので、みんな精神的にも疲れたし、体力的にもそうだけど、本当に一言で言うと疲れました。プレー面でいくと本当にみんな東洋大らしいホッケーをしたから決勝までしっかり来れたのだと思います。決勝もたぶんあの大舞台でプレーできることもみんなができることではないと思うので、その中でも明大とうちでプレーできて、貴重なインカレの決勝の舞台を経験させてもらったのはありがたいと思います。(ベンチや客席から仲間を見て)スティックに僕の背番号つけてくれたりしていて、今大会は本当に一丸となって頑張ろうという気持ちがプレーで見れたので、素直に楽しかったと思える、そんな大会でした。ユニフォームは着れなかったけど、この決勝の舞台に連れてきてもらった仲間にはありがたいと思っています。感謝しかないです。(学年の仲の良さについて)仲は4年生が1番良いと思うのでそれがプレーにもいい感じに出ていました。私生活でもみんな仲良いし、けんかもしないし、この同期で良かったなって心の底から思います。(同期が一人も欠けずにこれたことに関して)他の学年が悪いとは言わないけど、みんな家庭の事情だったり単位だったりで辞めざるを得ない選手が何人かいたが、やっぱり4年生は常に仲間のサポートができていたし、本当に団結力という面から見て、1年生の最初から仲良くできました。日頃のつながりが誰一人欠けずに4年間しっかりこれたという風に表れたんじゃないかと思います。(鈴木監督が最初にスカウトした代として思い入れがあると言われて)もちろん貴人さんも僕たちに対する思いは他の学年に比べて2倍、3倍と強いと思うが、それに応えられなかった僕たちの学年が本当に申し訳ないなと。僕に関しては本当にけがしてしまって力になれなかったっていうのが悔しいし、申し訳なかったです。(スキルが高い同期が多いが)どこの大学見ても東洋大の4年生ってスキルが高い選手ばっかりで。でもそんな苦労という苦労はしていないですね。逆に意識が高いというか、技術をみんな持っているのでお互いに刺激し合って。苦労というよりは成長できたなと思います。(後輩に向けて)僕たちの代で優勝させてあげられなかった、優勝の光景を見せてあげられなかったっていうのは本当に申し訳なかったです。来年からは僕たちはいなくて新1年生を入れた新しいチームになっていくけど、本当に勝ってほしいです。本当に負けないチームを作ってほしいと思います。(マネージャーに対して)原山もずっと1年生の頃から合宿に付いて来たり、学校面でも本当に助けられたし、やっぱりメンタルとかも強いのでぐいぐいきますし、本当に彼女なしではこのチームはなかったんじゃないかなと、感謝の気持ちしかないです。嫌な仕事も全部引き受けてくれるし。感謝の一言につきます。(スタッフに向けて)3年生の春にけがして復帰まで1年半、本当に長かったけどそれまでスタッフも本当に声掛けて、励ましてくれて。そういったなかで復帰しての夏、ハットトリックして、スタッフみんなで喜んでくれてそのときはすごくうれしくて。このスタッフのために最後、力になりたいと思ってやってきたけど、最後の最後にけがしてしまい、本当に力になれなくて申し訳ないという一言です。言葉が出ないというか、本当申し訳ない。僕がけがしていなかったら出られたかというのは別にして、最後氷に立てなかったっていうのが自分自身本当に悔しいし、今まで関わってくれた人たちにも申し訳ないです。(感謝を伝えたい人)やっぱりトレーナーの内山さん、小林さんです、本当に。この二人なしではたぶん最後の試合も出ることができなかったので。あの二人とはチーム内で1番関わりを持ったというか、常にけがのことでサポートしてくれたり、試合期間とかは毎回ケアしてくれたりテーピング巻いてくれたり。本当にあの二人なしではここまで成長できなかったと思います。いつかまたどんな形でも恩返ししたいなという気持ちです。(ご両親に向けて)18年間ホッケーをやってきて、高校で本当はもっと1部の下のリーグでやろうと思ったときに「本当にそこでいいのか?」っていう声も掛けてもらって。妹も僕のために時間を割いてくれていたりしました。父親もアイスホッケーのコーチをやっているので、もう家に帰ったらいろんな技術を教えてもらったし、本当に18年間毎日、今考えてみたら毎日ホッケー、ホッケー、ホッケーで。嫌な時期もあったけどいろいろ言われて、今考えたら全てためになっているなと。そういった中で最後けがしてしまい、リンクに決勝の舞台に立てなかったことに関しては本当ごめんなさいという感じです。(4年間振り返って)たぶんみんなの話を聞くと「早かったね、早かったね」って言ってるけど、僕はけががあったので長かったです。本当に4年間、1年生の頃はアイスタイムに恵まれず、ようやく2年生の後半から試合に出る機会が増えて、アイスタイムがもらえたけど、やっぱり3年生で大きなけがをしてしまって。今考えたら4年間トータルで見て、本当に楽しかったと時期は4年生の後半くらいですかね。でも本当最後に楽しいって思えて終われるというのは自身幸せ者だし、この大学に入ってきて勝つことの厳しさとチーム内での争いの厳しさを痛感されられたなと。4年間本当につらかった。でも最後楽しかったって思えるのは同期だったり、チームメート、後輩、スタッフだったり両親とかそういう人たちのおかげなので、この大学生活で人間的にもすごく成長できたなって。東洋大に来てなかった自分を想像すると恐ろしいなって。たぶんこの4年間は人生の中で一番辛い4年間になるのかなって、これよりつらいことはもうないかなって思います。
・FW笹川(社4=日光明峰)
(決勝を振り返って)もうちょっと自分たちのホッケーを出せれば良かったというのと、ベンチが静まりかえってしまった時間帯があったので、そこでしっかり中大戦のときのようにというか、勢いのあるベンチワークというか、そういうのがあったらもっといい試合運びができたのではないかと思います。(初戦を振り返って)スタッフとも話して、これからベンチ入りするのが厳しい試合も出てくるかもしれないということはあらかじめ聞いていたので、自分の引退試合かなと思ってやりました。最後も上手くて上のセットでやっている誠也(古川誠)と出口と組ませてもらっていいゴールができました。そこは最後いい形で点数決められたので良かったと思います。(1人も欠けずにここまできた同期は)入学したときは、同期はすごいくせが強くて(笑)。すごいやつらだなと思っていたんですけど、実際4年間一緒にいてめちゃくちゃいい同期ですし、本当に同期に恵まれて。楽しく、時には厳しくアイスホッケーをやってこれたので本当に感謝の気持ちでいっぱいです。(同期にスキルの高い選手が多いことは)僕も日光で高校までやっているときは上のほうでやらせてもらっていたので、こんなにうまい同級生と一緒にホッケーをやることがなくて。やっぱりうまいところは盗んでと言いますか、参考にできる部分がたくさんあったので、高校のときよりスキルをどんどん盗んでいけている部分は自分の上達にもつながっていると思いますね。(思い入れのある代だとおっしゃっていた鈴木監督は)全体を見渡せて状況判断もすごい監督ですし、僕たちからスカウトを始めて、選んでもらったということで鈴木監督に優勝をプレゼントしてあげたかったです。それもかなわず悔しいです。(同期で仲良い人は)全体的に仲良くする感じでした。でも圭太(出口)とか誠也(古川誠)ですかね。最後、初戦で組ませてもらったときもそのセットでうれしかったし、泣きそうになりましたね。まあ初戦なんで(笑)。「最後に勝って泣こう」と堪えましたけど。(後輩で仲良いのは)結構話していたのが長原正樹。お互い試合に出るチャンスが無いんですけど、そこで2人でよく話してたりしました。(どんな話を)本当にくだらないこととかなんですけど。あとは、2人で頑張るぞっていう話を。他はもうふざけた絡みですかね(笑)。みんないい後輩なんですけど本当に。(先輩では)二塚(平成29度社卒)さん。一番最初は同じ部屋だったんですけど、二塚さんはカメラが趣味で僕もカメラが趣味ってこともあって。あとはやっぱりお互い試合に出る機会が無いってことで本当に二塚さんからもすごくいろんなことを教わりました。昨年のインカレの一番最初の試合で入れたじゃないですか。初ゴールで。本当に偉大な先輩ですね、僕の中で。(仲良いエピソード)和志さん(長原・平成29年度社卒)、正樹のお兄さんとも一緒にライブとか行きましたし、二塚さんとはよく写真を撮りにいろんな空港行ったり、イルミネーションを男2人で見に行ったりとか(笑)。そういうのが思い出ですね。(4年間でしんどかったことは)(1年時の)春の合宿のときが本当に一番辛かったです。先輩は全然知らない人ばかりで、日光明峰から行った人がいない状態で。同期もすごい選手ばかりなので名前は知ってたんですけど、そこで誰ともコミュニケーションとれず毎日毎日つらい練習を一人でずっとやっていたのが本当につらかったです。辞めたいって気持ちもありましたね。でも親に大学に来させてもらっているというのもあったので。でもすぐ同期と仲良くなれたので本当に良かったと思いますけど、春の合宿が一番辛かったです。(リーグ戦で出口選手が「とくに笹川が声で盛り上げてくれて、それがチームに大きく影響を与えてくれた」と言っていましたが、意識していた部分は)最初はムードメーカーキャラではなかったんですけど、いつのまにか声出すようになって(笑)。チームに貢献できることっていったら声出してチームを助けることだと自分の中で自分の役割に気づきました。自ら声を出してチームを盛り上げようと思うようになりました。(どういった声掛けを)本当にふざけたことですよ。佐藤がシュートブロックしたら、「いいぞベルリンの壁!」とか言って(笑)。本当にくだらないことなんですけどそういう風に、試合中でも場がなごむような、みんなが緊張しないような声かけをしていました。(後輩へのメッセージ)僕たちが成し遂げられなかった優勝を本当にしてもらいたいですし、これから本当にいろんなことがあると思うけど、めげずにチーム一丸となって一つの目標に向かっていってほしいと思います。(マネジャーへ、同じ日光出身ですが)でも(同じ日光出身だと)最初知らなかったんです(笑)。1人でマネージャーやっているという部分もあって、遠征に来る費用も本当に大変だったと思うんですけど来てくれて、チームをサポートしてくれたので、その部分で感謝してもし切れないです。(スタッフ、トレーナーさんへ)スタッフには本当にずっと声を掛けてもらって、鈴木監督にも本当に「大切な、重要な選手だ」って言ってもらって本当に自分の中で励みになってやってこれました。その言葉っていうのは本当にありがたかったです。山口コーチはじめ、スタッフの方にそう言ってもらったので、本当に自分もめげずにチームのために頑張ろうっていう気になれました。トレーナーさんは内山さんをはじめ、小林さんにもメニューを出してもらって、ウエイトトレーニングとかそういうメニューを出してもらって自分の体づくりのためになったのでその部分でも感謝しています。自分本当は肩をけがしていたんですけど、そのけがしたところを見てもらったりして助かりました。自分一人じゃケアできないところもケアしてもらったので感謝しています。(親御さんへ)16年間アイスホッケーを続けさせてもらって本当に感謝しかないですね。親がいなかったら何もできなかったので。あとは親と離れて大学から寮で暮らしてから、本当にいろいろな経験をして親のありがたみに気づいたので、これから本当に親孝行していきたいと思います。(最後に)本当に辛いこともいっぱいあったが、これからの人生のためになることばっかりだったと思うので、今までこの4年間で経験したことを生かして、社会人になっても活躍できるような人になりたいと思います。
インカレのベンチには目標が掲げられていた
4年間取材にご理解、ご協力ありがとうございました。今後もみなさまのご活躍、ご健勝のほどお祈りしております。