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第92回日本学生氷上競技選手権大会(以下、インカレ)で11年ぶり11回目の優勝を収めた東洋大。春に行われた秩父宮杯第67回関東大学アイスホッケー選手権大会でも10年ぶりに優勝を果たし今季2冠を達成。優勝の裏には「下級生からも意見が言えるチーム」を作ろうと引っ張ってきた4年生の姿がありました。インカレで引退となった4年生全員の最後のインタビューをお届けします。
4年間苦楽を共に歩んだ4年生とスタッフ
・DF川口竣耶主将(社4=白樺学園)
(決勝戦を振り返って)リーグ戦では2敗した法政さんだったが、相手関係なしに自分たちのやろうとしたホッケーができた結果が優勝につながったのかなと思う。
(ベストDFを受賞されて)正直全然僕だと思っていなくて、特に何かしたかなといえばそんなにしていない気がするが、守りの面ではチームに貢献できたかなと思う。うれしいです。
(印象に残っている試合は)やはり決勝戦ですね。僕の兄貴が4年生のときに同じ釧路開催で準優勝だったのでそういった思い入れもあるし、インカレは準優勝だったり3位だったりしたので今年4年目ラストシーズンで決勝戦えて優勝できたので、それも全部含めて決勝戦が印象に残っている。
(インカレの総括)毎試合良くなっていった気がして、苦しい状況になってもチームが下向かずに、自分たちがやろうとしたホッケーを貫き通せたので、毎試合成長できた大会だったなと思う。
(主将としての1年間は)色んな選手がいるので、まとめるのが大変なときもあったりしたけど、同期であったり、下級生にも助けられたので、本当に選手みんなで色んなチーム作り上げられてきたので、本当に大変なときはあったが、キャプテンをすることができて良かった。
(リーグ戦から這い上がっての優勝だった)3冠をもちろん目標にしていたが、終わったものはしょうがないので。終わり良ければ全て良しではないが、リーグ戦でああいう結果になってからインカレまで短い中で少しでもチームがいい方向に向かいながら大会に臨めたと思う。
(下級生からも意見が言えるチームを1年間作ってきて)各学年リーダーもいて、その中でリーダー中心に話し合ったりもするし、1、2年生からもどんどん意見を言ってもらって試合中でもやはり3、4年生が調子が良くないときとかも1、2年生からの声で押し上げてくれたし、今年は下級生からも意見が言いやすいチームにして、誰でもチームに対して意見を言えるようにしてからは、いい意味で仲のいいチームになったし、試合のときは誰でもどんどん声をかけられるチームで4年目だからっていうのも少しはあるかもしれないが、僕が入ったこの4年間の中では1番いいチームになった気がする。
(お兄さんから声をかけてもらったりは)連絡は来ていたけど、頑張れくらいしか言われてないですね。正直あまりホッケーのことは兄貴と話さないので、僕は中学校卒業してから親元離れているので、そんなに会う機会はなくて。
(苦しかった時期は)1番苦しんだのは3年の夏合宿のときにフリーブレイズさんの練習に乗らせていただいて、その時は調子良かったんですよ。でもそのいい流れのままチームに戻って練習してから、何か全然違うなと思い始めてからリーグ戦もインカレもずっと調子が悪くて本当に苦しんだが、それがあったからこそ今年1年は優勝も経験できたし、僕ら主体でチームも変えていけたし、この1年間活動してきて全部が思い出だし、うれしい1年間でした。
(どうやって乗り越えたのか)昨年アシスタントキャプテンで今年キャプテン任されて、その自覚のおかげもあるし、心強い同期もいて、下級生たちのリーダーもいたので、それが3年目で調子悪かったときも立ち直れた要因かなと思う。
(同期へ)いろんなことが4年間あったし、ときには仲良くない時期もあったり、いろんなことがあった僕らの代ですけど、今年になってまとまることができてようやく一つになったというか。本当にいろんな思い出がある。特に今年1年間助けてもらって感謝していますし、最後のインカレ11年ぶりに優勝できて良かった。
(1番の思い出は)やっぱり今年の1年間ですかね。今までは惜しいところまでいって勝てないことが続いて、本当に悩みに悩んだので。何で勝てないんだろうという話し合いもしたし、今年になってようやく優勝できたので。今年1年間は全部が思い出。
(後輩へ)後輩たちにはまた来年優勝に向けてチーム一丸となって頑張ってほしいのと、あと大学生活って自分が思っている以上に相当早いので。4年生になったら特に早く感じるんですよ。なので、一日一日を大事にしてほしいと思いますし、一つでも多くのものを吸収して終わりを迎えられるように。何があるかわからないが、チームみんなと同期と支え合っていければ、いい思い出にはなると思う。1年はすごい早いよっていうのを伝えたいですね。
(感謝を伝えたい人は)やっぱり親ですね。中学卒業してから親元離れさせてもらって。帯広にいました。それで卒業して大学は東京で、お金もすごくかかるし、そういう面でもかなりお世話になっているし、本当にずっと支えてくれているので親には一番。お母さんですね。お母さんには感謝したい。
(進路は)苫小牧のダイナックスさんに入る。先輩には一つ上の古川誠也さん、あとは東洋大の卒業生も結構いる。そこにお世話になります。
・GK水田勇輝(社4=駒大苫小牧)
(インカレ総括)率直にうれしい。頭真っ白になった。(優勝の瞬間みんな乗ってくる)あれ言っていいですか?めっちゃ重たいんですよ!息できない。全く息できないんでめっちゃ重たい。
(準決勝、決勝とセーブの多かった試合を振り返って)うーん。僕のセーブというよりかはその前にみんながシュートブロックしてくれたっていうのが多かったのでそこがめっちゃ助かった。プレーヤーのみんながシュートブロックしてくれたから止められた。
(前に立ちはだかる感じ?)そうですね。もう全然パック見えなかったけど、みんな止めてくれるって信じていたので、あんまり「避けて!」とか言わなかった。
(最終戦は数的不利な中での守りも多かったが意識することは)なんか意識とかはまったくないけど、監督に「5分ずつ区切って自分のプレーを見直せ」って言われていた。だから5分すぎたら、次はまたこういうプレーをキープしようっていう風にしていた。
(秋の負けからの這い上がり)もう直すところとかはあんまりないけど、やっぱり一つ、あぐらをかいていた。リーグ戦は。だから弱いところに負けちゃうとか、例えば法政だったら「法政には勝てるべ」とか「日大には勝てるべ」って慢心があったので、それがなくなったインカレだから勝てたっていう。たぶん春とインカレ一緒くらい頑張っていた。一緒くらいやっていれば3冠も夢じゃなかったのかなって思う。
(後輩も意見を言い合える今年のチーム)間違いないです。氷上では上下関係とかないんですよ。だからそういうのは絶対やめようねって言っていた。それを今年は意識していた。絶対それが(良かった)。前の年は勝てなかった理由がたぶんそれだと思う。
(後輩に向けて)来年は絶対3冠目指して頑張ってください。これ聞かれると思ってたから絶対言おうと思っていた。
(同期に向けて)進路は別々なんだけど、なんだろうな。勝ってうれしかったねって言うしかない。やってきたことが嘘じゃなかったんだねって。手を取り合うようにして励まし合うしかない。励まし合う?たたえあう?みたいな。
(4年間の思い出は)これかな?インカレ優勝が1番うれしい。今まではやっぱり勝ってこなかったので。東京にホッケーしに来てるならホッケーで結果残さなきゃだめじゃないですか。だから春よりも、インカレ優勝できたことがめちゃめちゃうれしい。
(苦しかったこと)やっぱり今年やっと出られるようになってきたので、1・2・3年生の頃は古川駿さん(H30年度社卒=東北フリーブレイズ)っていううまいキーパーがいたので。そこが抜ききれなかったっていうのが心残りある。
(自分としては越えられた?)もう結果が示してますよね。ばっちり。去年俺を出してたら勝ってたんじゃないのかって言えるようになった。
(家族に向けて)僕、家族めっちゃ好きなんですよ。だから家族に泣いて「ありがとう」って言った。
(他に感謝を伝えたい人は)いろんな人がいる。地元でも応援してくれた人とか。僕、感謝って言うよりかはこういうこと言っていいのか分かんないけど、中学校の時住んでいる市とは違う都市に通うみたいなことをしていたんですけど、それで周りの人とかに「絶対無理だからやめな」とか言われていて、笑われてたって感じだったので。でもそういうやつらを今、見返したんだって思うとそれがめっちゃ気持ちいい。感謝も親が1番そうなんだけど、友達にも感謝したい。
・DF奇淨賢(社4=宣徳・韓国)
(インカレを振り返って)チームは昨年と全く雰囲気も違って今年の春からみんな仲良くて、(今までは)先輩後輩とか上下関係がすごく厳しかったが、そういうのもあまりなくいい雰囲気がずっと続いていて、しかもみんなライバル意識も強くて切磋琢磨(せっさたくま)した結果が優勝につながったのかなと考えている。
(11年ぶりの優勝だったが)監督就任してから初の優勝でもあったので、自分が4年生の時にこういう優勝という結果を残せたっていうのは、ずっとプログラムとかにも載るので、一生の思い出を残せたなという気持ちでいっぱい。
(這い上がっての優勝だった)東洋はずっと弱いって思っているチームに負けたりしていて、上位チームには勝ってたんですけど、日大とか、法政にもずっと負けていたし、中央にも負けていて。でも今回の大会でリベンジっていうのを意識しちゃったら逆になんか悪いプレーにつながって、自分のプレーができないっていうので、過去はゴミだっていうスローガンを掲げて、みんな過去とか未来とか考えないで今やるべきことを100%やろうって言ってやった。秋に法政にも負けているし中央にも負けているけど、インカレで勝てたのは、みんながそういうのを考えないで結果だけ考えてやったのが優勝につながったかなと思う。
(下級生からも意見が言えるチーム)僕が1年生の時は先輩が一番で、先輩が話しているときに、今は冗談で1年生が名前で呼んだりもするが、みんな優しいからかわかんないけど、僕が1年生の時に4年生にそんなことしたら怒られた。だから僕らが3年生の時から4年生になったら1年生がやりやすい環境を作るべみたいな。自分たちが1年生の時は1年生がいいプレーしたら4年生がキレたりする。そういうのをなくすべみたいな。みんなが自分を出して100%のプレーを練習でもできるように、悪い雰囲気を無くしていこうっていうのを同期と3年生の時に話していて、4年生になった時にも1年生にわざわざ冗談言ったりちょっかいかけたりしてたらだんだんいい雰囲気に変わっていって。1年生が頑張っているとチームの底上げにもなると思うので。とりあえずフレンドリーに4年生から1年生に声を掛けたりしていた。
(4年間の思い出)僕は思い出しかない。韓国から来て、最初は慣れなくて。日本という環境にも慣れなかったし。例えば先輩とかもみんなは高校からつながりがあって、母校の先輩だったりしたんですけど、僕は同期でさえも誰かわからないし、先輩だったら尚更誰かわからないし。それで、みんな馴れ馴れしかったが自分だけ浮いていてチームに溶け込めなくて。1年生の時はほんとに辛くて泣いて親に電話したこともあった。でも自分で決めた道だから4年間我慢して頑張るしかないなと思って。そしたらいい同期に出会えて、その後いい後輩も入ってきて、みんな優しくしてくれたり遊びに連れて行ってくれたり本当に4年間の日本での思い出は東洋大アイスホッケー部しかないといっても過言ではないくらい、いい友達・いい後輩に出会えたことが一番の思い出。
(同期について)石倉浩規が一番声を掛けてくれて(中村)太一もすごい話をしてくれたりした。意地悪な奴もいたけど、2年生なってからはそういうのはなくなって。1年生の頃は敏感で仕事も多いし上下関係も厳しいし、みんな神経質になっていて。だからちょっと間違っていても同期でも怒ってきたりして、でも浩規と太一だけは一切怒りもせずにこうやるんだよとか助けてくれて、それで自分もこのチームに溶け込めたんじゃないかなって思う。
(石倉選手との試合前のルーティンはいつからやり始めたのか)昨年から。なんか俺らで作るべ、やったらかっけぇべみたいなことを話して。かっこいいのを他の人に見せて、そこで気合入れようってなって、そこでいつも一声かけて、今日点決めろよとか頑張ろうって。
(下級生にメッセージ)やっとこうやって積み上げてきた優勝というのを来年にももっていって、今年はリーグ戦優勝できなかったけど、来年は3冠取れるように頑張って欲しい。
(今後の進路は)本当は韓国に帰って兵役の義務がある。軍隊に本当は行かなきゃいけないが、4年間やってそのまま軍隊に行っちゃったら職歴も一切ないし、兵役終わって日本戻ってきて働こうってなったときになんも職歴ないしなんも経験もなかったらどうすればいいかわかんないと思って、とりあえず就職。就活して千葉の会社に勤めることになった。とりあえず何年か働いて様子見て兵役をするか、いい子捕まえて結婚するか、その二択(笑)。
・DF中村太一(社4=八戸工大一)
(インカレを振り返って)まだ実感は湧かないがこれから徐々にいろんなことが、チームにとってプラスなことがあると思うので、そこでやっと実感が湧くと思う。とりあえず素直に嬉しい。
(優勝11年ぶり、自分の優勝も初めて)1年生の頃入りたてで試合に出れていなくて、出れない人たちの気持ちとかもわかっていたので、その人たちの分も頑張ろうと思っていた。
(這い上がっての優勝)春は何もなしえていなかったのでがむしゃらに戦えていた。秋のリーグ戦は春の優勝もあって、チームに波ができてきて、いい試合悪い試合があって、それで負けてしまった。でもこのトーナメントでは波がなくて、いわゆる東洋のゾーンに入っていたのかなって思う。
(後輩から意見が言えるチームについて)それが(1年間)今までちゃんと出来ていたと思う。練習の時から先輩だからチェック行かないとか体行かないとかそういうのがなく、先輩も怒ったりしないで切磋琢磨(せっさたくま)できたので、それがチームの成長につながったと思う。
(4年間の思い出)今日の瞬間。今日が一番の思い出。(他には)1年生の時のインカレの先輩達が負けた姿、4年生の背中を見てものすごく悔しかった。それがずっと心に残っていた。
(同期について)僕結構悪さしてきたので同期にもチームにも迷惑かけてきたんですけど、それでも辞めないでこれたのも同期が助けてくれて、まだ辞めんなみたいな。そういうプラスの発言をしてくれたので今の僕がいるから感謝している。
(ジョンヒョンさんが助けてくれたと言っていた)そうですね。やっぱり困っている人をほっとけないタイプの人間なので。僕と石倉は八戸の同期で、フレンドリーに、助けたいとは思っていないけど友達になろうよみたいに話しかけたのがきっかけで。
(4年間で苦しかったことやスランプは)1年生の時。試合に出られないというのが人生で初めてだったのでそれで挫折を一回味わった。
(どう乗り越えたのか)そこはやっぱりここで諦めたら落ちていくだけだってずっと自分に言い聞かせてウエイトとかもやっていたので、そこは練習もそうだが諦めないで良かったと思う。
(親や家族に伝えたいこと)仕送りもそうだが、チームの遠征とかの旅費だったり、額が高かったりして多くの負担をかけてしまったけど、今回の優勝という結果を目の前で出せたことによって少しは恩返しできたのではないかなと思う。
(他に感謝を伝えたい人は)おばあちゃん、おじいちゃん。高校3年間おばあちゃんの家に暮らしていた分その思いが強い。
(下級生にメッセージ)チームに迷惑かけるようなことはするなよって言っておいて下さい(笑)。他は大丈夫(笑)それだけで大丈夫。
(進路は)まだ決まっていない。卒業ギリギリなので卒業できたら日本製鉄っていう北海道の室蘭にある会社でホッケーを続ける。
4年生のみなさん、4年間お疲れさまでした。
そして取材にご理解・ご協力いただき本当にありがとうございました。
これからもみなさんのご活躍をお祈りしています。
後編もお見逃しなく!