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2020.01.30
コラム

第681回 受け継がれる想い 執筆者・須之内海

 あー。何度目でしょうか。4回目です知ってます毎回です当日に今回もコラムを書き換えてます(笑)どうも須之内です。どうしても、書きたいって思う選手がいて…どうしても後輩たちに書くネタを減らしたくて…(性悪。クズ)。最後までお付き合いください、余力があったら最後に身の上話でもしようと思います。


キャッチボールをする山内投手(手前)と甲斐野投手


 「嬉しかった」。遡ること5年前。藤岡貴裕投手(H23年度営卒=巨人)以来のドラフト1位指名を受けた原樹理投手(H27年度営卒=東京ヤクルト)から期待を受けた右腕がいました。生まれは兵庫県西脇市、三兄弟の末っ子で「立つ前にボール握ったわ」というほどの野球一家、甲斐野家の三男その名も甲斐野央投手(H30年度営卒=福岡ソフトバンク)です。彼は高校進学の際に地元の西脇工業高校かのちの進学先である東洋大姫路かで迷っていたと言います。そんな中で決め手になったのは「甲子園に映るその姿がカッコ良かった。俺も着たい」とその年のエースである原投手が投げる姿だったそう。進路決定に一役買った先輩はその後も常に前を走り続けます。原投手は甲斐野投手が大学に入学すると主将としてチームを牽引。チームを2部から1部に押し上げ去る際にグラブを授けました。「家にある。やってやるって思った」と奮起。その後も苦労する日は絶えませんでしたが、その倍以上の努力で才能を開花させると先輩を追ってドラフト1位で福岡ソフトバンクへと進みました。


 そんな甲斐野投手が後輩に想いを託したのは2019年末。卒業前から期待を寄せる後輩を投手みんなと言いながらも、「やっぱり…。」と名を挙げた高校の後輩である山内響投手(営2=東洋大姫路)へとバトンを繋いだ。「やっぱり俺も貰って嬉しかったからしてあげたいと思ってたし。それで頑張れたところもあった。山内にあげるのは決めていた」と158㌔をマークし最終学年を共に戦い抜いた紺のグラブと今年度自らが参加した日本代表のアンダーシャツ。この二つを山内投手に授けた。


 先輩投手への強い憧れとその想いを実現させるだけの猛烈な努力で野球人生を切り開いてきた山内。ルーキーイヤーに大ブレイクした先輩が設定したハードルは高く険しい。だが超えるだけでは事足りない。今後入ってくる後輩たちにさらに高い基準を設けるためにそれを凌駕することは必須だ。機は熟した。先輩たちを超えるその時まで走り続けろ。


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 改めましておはようございます。本年度硬式野球班でチーフを務めました須之内です。受け継がれる想いと題したコラムお楽しみいただけたでしょうか?原投手から甲斐野投手へ甲斐野投手から山内投手へ。東洋大姫路が紡ぐ黄金右腕の系譜と勝手に呼んでいる投手陣のお話でした。


 スポトウ的な話をすると今日は引退会議です。私たち3年生は引退となりますが、やはり何かやり残したことや期待は後輩への想いという形で残ると思います。1年前に先輩からもらったバトンをちゃんと次に渡せたのかは分かりません。でも、仮に渡せてなくてもこういうのって勝手に繋がりますよね(雑)


 あと!本日の朝のニュースで東洋大卒の投手である冨岡投手(H29年度営卒=バイタルネット)がアスレチックスとマイナー契約を結ぶことが明らかになりました!私自身は取材させていただく機会はありませんでしたが、1年生のときの4年生。今日出てきた話だと甲斐野投手の1学年上の選手ですね。他の日本人選手と少し違う形での渡米は難しいこともあるとは思いますが、怪我などないよう頑張っていただきたいです!目指せ東洋大初のメジャーですね!


 最後になりますが読者の皆様や取材に応じていただいた選手の皆様。3年間お世話になりました。おかげさまで辞めずに引退できました。一重に皆様のおかげです。来年度からも他媒体でちょくちょく執筆をする予定です。もし見かけたらそっとリツイートとイイねをいただけると嬉しいです(笑)。


 あ。東都他大学の後輩たちへ。またご飯でも行った時にいろいろ話しましょう。とりあえずは開幕に向けて頑張ってください。そしてスポトウの硬式班にぎゃふんと言わせるような(え?死語?)企画を打ち出してってください。楽しみにしてます。


 本当に今までありがとうございました。


PHOTO=須之内海