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ある時突然、ボールが投げられなくなりました。正確にいうとボールを投げることはできる、ただ、意図した通りに体が動かない。俗に言う「イップス」という症状です。ひどい時には自分の真下に送球を叩きつけたこともありました。不思議でしょう?10年間も毎日のように野球やってきて、なんとボールの投げ方がわからなくなるんです。時には罵られ、時には陰でたたかれました。想像絶する光景が目の前に広がっていました。
シーズンオフの捕手転向が奏功し、春先から絶好調。競争を勝ち抜き、先輩に交じってエースと4番と私の3人だけ2年生から夏大会の背番号をもらいました。まもなく自分たちの代が幕開け、さあこれから!というところでその悲劇は待っていました。
イップスになること自体は自分の普段からの甘さですから、今思えば仕方ない。私の一番の失敗は、そこで必死になって元の自分を追い求めたこと。戻るはずのない感覚を求めて、現状と向き合うことを避け続けました。だましだましプレーを続けた最後の1年。少しながらもう一度感覚をつかみ始めた頃には、もう私のポジションはなかった。私が過去を目指し続けている間に、みんなはずっと成長していた。その「差」は当然の結果でした。
涙も出なかった引退からもうすぐ3年が経つ今、こうして東洋大学スポーツ新聞編集部の編集長でいられることは再び与えられたチャンスだと思っています。私は伝統や慣習が嫌いなわけではありません。今日のスポーツ東洋があるのは、創部から幾多の先輩たちが繋いできた歴史の結果。ただ、だからといってそれに固執してはならないと思っています。現状維持を目指すということは、現状以下にしかならないから。
スポーツ東洋は、まだまだ15年目。これからもっともっと進化していかなくてはならない。記事の質、取材力、認知拡大、一人ひとりの自覚と組織力の強化...。まだまだやれることはたくさん残っています。今は自分一人じゃない。すでに並々ならぬご支援をいただいている校友会、甫水会の方々、福島さんをはじめオール東洋スポーツマンクラブを中心に体育会に携わる多くの方々、応援してくださる企業の方、そして期待してくれる先輩方、自分の意向を汲んでくれる同期と理解してくれる後輩のために、私はまだ走り続けますよ。今度こそ、胸を張って涙できるその日まで。