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2023.02.09
硬式野球

[硬式野球] 硬式野球部を追い続けて30年 金水和昭さんスポトウ独占インタビュー・初日~東洋大広報になったきっかけ~「気づいたら抜け出せなくなっていた」

2022年、東洋大学硬式野球部は創部100周年を迎えた。スポトウは特別企画として、硬式野球部を30年以上追い続けている金水和昭さんへの取材を行った。『スポーツ東洋』97号(2022年12月20日発行)では、5面で金水さんが見てきた硬式野球部の姿をお伝えした。今回Webでは、金水さんに行ったインタビュー全文を3日間にわたりお届けする。



金水さんのスポトウ独占インタビュー・初日は、金水さんが東洋大広報と関わったきっかけについて。東洋大在学中は大学野球に興味がなかった金水さんが、どのようにして戦国東都の世界にのめりこんでいったのか。(取材日・11月4日、聞き手=宮谷美涼)


ーー初めに、東洋大学とはどのようなかかわりが

学生時代は、昼間は写真学校に行ってたのよ。夜2部でここに来てたのがきっかけだったの。でも、写真学校を途中で辞めて、授業制作とかの研究者の手伝いをしていたの。そうして卒業して、写真を撮る編集プロダクションに入って、アルバイトみたいなことやっていて。それで(大学が)カメラマンが必要みたいな話になって、「やってくれ」って言われて取材に行ったの。


ーーその時はどのようなことをされたのですか

大学が100周年を迎えるから、2、3年前から資料制作が必要ということで、井上円了の資料を探してたのよ。当時は、コピー技術がないから複写っていう、現物を写真で撮って、プリントするっていう形をとっていて、写真の知識がないとできないから、手伝ってくれないかっていう話をされて。それで「昼間の空いてる時ならいいですよ」って軽い気持ちで受けたね。


ーーそこからどうやって硬式野球部との関わりができたのですか

そこで100周年事業は終わったんだけど、その後も広報課とつながりができちゃったから、「あっちの行事、こっちの行事に行ってくれ」って言われて、その時に「野球部行ってくれ」と話をもらって。それまでは、野球なんかほとんど興味なかったんだよね。


 2003年春の神宮球場


ーー野球に興味がないとは驚きです

ちょうど俺たちが卒業したあとに、同世代の松沼雅之がプロに入って、西武ライオンズで大活躍したんだよ。西武は弱いチームだったんだけど、兄貴(松沼博久)と一緒に強くなって。今まではヤクルトファンで神宮には行ってたんだけど、東都の野球をあんまり見てたわけではない。正直言って、初優勝して、もう一回優勝して、それで大学が休みになって喜んでたぐらい(笑)。(ヤクルトの)ナイターがある時は、昼(の東都)を見てたことはあったけど。そんなに興味がなかった。



ーー初めてちゃんとと見た野球部は

(1991年に)大学に「野球に行ってくれ」って言われて、行ったら優勝しちゃったわけよ。それで全日本に出て、忘れもしない。佛教大に1回戦でころっと負けたんだよね。当時東都は、全国大会で決勝まで行くっていうのが大前提だったのよ。地方大学にころっと負けちゃって、なんか悔しくてさ(笑)。それで、当時の広報課の課長に、「何試合か見せてもらえないか」ってお願いして。当時、フィルムが焼き終わるのを待つために昼間2、3時間空くことが結構あって、暇だったのよ。



ーーそこが硬式野球部広報としての幕開けだったと

それでどんな野球をやってるんだということで、当時、神宮に行って、何試合か見るようになったの。その時は、カメラ席なんか入ってなくて、客席から見てたよ。


ーー実際に、ご覧になっていかがでしたか

そうするとさ、勝てないんだよね。うちの野球部。昔の高橋監督はね、絶対にバントとスクイズをやらない人だったんだよ。それが高橋前監督の野球だからね。優勝したのは、3、4年に一度だよね。4年間、8シーズンの中で、1回は優勝をという形で指導していたから、優勝することはめったになかった。


2005年当時の高橋前監督、長く指揮を務めてきた


ーー優勝すれば、全国大会に出場できますが

日本一っていうのもほぼなかった。一回(1986年)あったけど、2回目、日本一になったのは、東都で5連覇(2008年)している時だから。見ていて引きずり込まれちゃったんだよね。当時日本一になれるのって、野球部しかなかったんだよ。オリンピック選手っていうのは夢の夢だったからね。


  2回目の全日本優勝は2008年だった


ーー優勝できないからこそ、引きずり込まれたのですね

そんなこんなで関わっちゃったら、「(優勝まで)もう少しなんじゃないかな」とか思っているうちに、のめりこんでいった。そのうちに、見てる俺の方が詳しくなってくるわけよ。


ーーどんどん仕事の幅が広くなったのですね

ずっとやっているうちに、4年もやっていれば分かってきたし、ちょくちょく勝つようになってきたし。さらに、ドラフト候補も出てくるようになったから、そうなると仕事で撮らないとといけない部分がでてきて、今じゃ足抜けなくなっちゃった(笑)。

たくさんの笑顔を撮影してきた


ーー以前から、カメラ席で撮影されていたのですか

大学の広報っていっても、カメラ席に入ることはなかったね。いつも観客席で撮ってたからね。今までは、優勝決定戦だったらカメラ席に入れてもらったけど、毎回入るって、大学の広報はありえないことだからね。でも、あそこに入んないと目線の高さで撮れないから。



◇プロフィール◇

金水和昭(かねみず・かずあき)

生年月日/1956・6・8


※写真は、金水和昭さん提供


◇金水さん独占インタビュー◇

2日目:Coming soon…

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