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2023.02.09
コラム

第806回 光をみつめた 執筆者・青木智哉

「春を越え、夏を、秋を越え、季節は一巡。どんな引退コラムを書いているのでしょう」


季節は一巡しました。


あの日、あの夕暮れ


みなさまこんにちは。3年の青木智哉です。2023年もひと月。毎年、この1か月が月日の流れる速さを教えてくれます。それでも、なすすべはありません。気づいたら1年が終わっているのです。さて、ついに引退コラム。最初にスポトウと自分、次に思い出を振り返りたいと思っています。おそらく読み切れません(笑)。ですが、お付き合いください。


高かったこのカメラ


スポトウと自分

まず、正直なことを書きます。私は望んで東洋大に入ったわけではありません。それどころか、大学名を知っていた程度です。もちろん大学スポーツも、正直の正直、箱根駅伝さえも見たことありませんでした。怒られるかもしれませんが、本当です。


ここには当然、「鉄紺ファンです」「取材するのが憧れでした」と入部してくる人が多くいます。しかし、私は真逆でした。もちろん、取材活動や記事の執筆、新聞制作が面白そうだったという理由はあります。ただ、どこかで「少しでも東洋大を好きになって卒業したい」と、入部を決めた自分がいました。以前、大学4年間の目標が「『正解』をつくる」だと書きました。この道を選んだからこそ得られたものがあった、そう思いたい。大学に関わる、東洋大を好きになれる形で思えたら、これ以上のことはない。


スポトウなら現実にできるはずと、2年生の春に入部しました。この学年では最も遅い入部です。しかし、当時は新型コロナの感染拡大によって対面での活動は原則禁止。できることが限られていました。この学年は入学と同時に感染症の影響を受け、入学式も、新歓もなく、サークルも最終的には2021年の秋までほとんど対面活動なし。再開後も再び制約がかかりました。私がいなかった時期も含め、トータル2年。新聞発行は9号中止。他の大学よりも長い期間でした。たしかに2年生で入った自分と他の同級生との差はゼロに等しくなりましたが、当然、活動を知る世代、先輩方は去っていきます。言い訳はよくありませんが、引き継ぎという面で難しいものがありました。


そんなこんなで入部1年、対面取材数回、新聞制作2回といった状況で最上級生になりました。1年前のコラムで不安をつづりましたが、本当に大変でした。コロナ禍で部員数は減り、コロナ前も知らない。前代未聞だったと思います。「ピンチをチャンスに」とも言いますが、そこまで甘くはなかったですね。私たちの実力不足ではあります。ですが、本当に難しかった。本音です。こんな話ばかりだと面白くないので、私が携わった部活と取材の思い出からつづります。



取材の思い出

もちろん、どの部活動にも魅力があります。ただ、ひいき目で。本当に面白いスポーツを担当させていただいたと思っています。競技自体だけでなく、東洋大というチームとしても。「強い」だけではない、それぞれのチームが背負っている思い、成長、勢い。言葉にするのは難しいですが、本当に魅力あふれるチームでした。アイスホッケー、ラグビー、準硬式野球、硬式野球、陸上。特に、チーフをやらせていただいたアイスホッケー、ラグビー、準硬式野球。簡単に、できるだけ簡単に、振り返らせてください。


① アイスホッケー

まず、アイスホッケー。オリンピックやワールドカップ、国内リーグ、高校、大学スポーツなどでよく目にするメジャースポーツもありますが、正直、アイスホッケーは全くもって知りませんでした。昨年の北京五輪でこそ日本女子代表に注目が集まったものの、当時の自分の中では、何となく激しいというイメージだけ。


ゴール前、激しい攻防が醍醐味


初めて取材をした日。会場の最寄り、東伏見に向かう電車の中でルールを詰め込みました。まるで試験直前。分かるような、分からないような。とりあえず取材しましたが、想像以上にパックが見えない。展開が早い。ルール以前の問題でした(笑)。カメラも必死。ただ、この年(2021年)、現地には数回しか行けませんでした。チームは春の秩父宮杯、秋のリーグ戦、年末のインカレすべての大会で優勝を飾る3冠を達成しましたが、一度もその光景を目にすることなく。インカレは全試合、生配信で観ていました。決勝戦、自分の部屋で一人熱狂(笑)。残り5分くらいは座っていられませんでしたね。現地にいなかったことが本当に人生ならぬ、スポトウでの悔いです。


年は変わって2022年。春の大会は全試合を一人で取材しました。5大会ぶりのV逸。惜しくも準優勝に終わりました。最後、観客席の上から見た明大の歓喜の輪。次こそは東洋大を撮る。そう強く思いました。リーグ戦も熱かったですね。最後は逆転優勝。連覇達成。初めて校歌を間近で聞き、胴上げを目の前に。あとで書きますが、11月27日、大学生活で最も忘れない日だと思います。あんな日はない。贅沢な一日でした。


東洋大の校歌がアリーナに響いた


そして、最初で最後のインカレ現地取材。ちょっと北海道や青森への遠征も期待していたけれど、新横浜(笑)。こればかりはしょうがない。5日間、自宅と新横浜2時間近くを往復しました。ただ、純粋に楽しかったです。クリスマスにアイスホッケーを生観戦。インカレ決勝。こんな大学生活を送るとは思いもしませんでした。ご存じの方はご存じだと思いますが、最後、本当に悔しかったですね。あんなことが起こるんだなと。ほぼ1年間しか追えなかった私でさえも、感じるものがありました。


2022年も決勝まで勝ち進む


個人的には、その試合がアイスホッケー取材のベストシーン。ベストだと語弊がありますが、結果ではなく、自分の感情というか。なんでしょう。最後の最後、あれを目の当たりにして、「もっと早くから取材できていたら」「取材ってこういうものか」と。駅伝を除いて最後の取材。始まりが遅かったとはいえ、今さらすぎる感情でした。サムネイルの写真は、その帰り際に撮った一枚です(笑)。いろんな感情が混ざった空でした。


あの瞬間、時間が止まったかのよう


アイスホッケーは初めて取材したときから絶対王者。私の中にも勝って当たり前のようなイメージがどうしてもありました。ごめんなさい。実際、「周りからもそう思われている」と選手も口にしていたように、勝ち続けるプレッシャーは大きかったと思います。ただ、その中でも結果を残してきました。東洋大には強豪と言われる部活動、チームも多いですが、現在進行形での王者はあまりありません。その意味では他の担当の競技とはまた違った面白さや緊張感があったように思います。


最後に、悔いを。新聞で1面を飾らせてあげたかったです。活動再開後の発行6回で終面5回。これでも十分すごいことなのですが。この夢は後輩たちに。いつかトップを飾る日が来ることを楽しみにしています。うまく競技の魅力を伝えられませんでしたが、ぜひ、アイスホッケーを知っていただけたらうれしいです。



② ラグビー

次にラグビー。もうこれに関しては、今年度のハイライトと言いますか、これ抜きでは語れぬ、そんな熱い熱いお話です。私自身、ラグビーも観る機会が少なく、2019年のワールドカップ、受験勉強しながら応援していたくらい(笑)。そんなラグビーですが、感染対策が他の競技より厳しく、現地取材は今年の秋からでした。


毎試合、繰り広げられる熱い闘い


入替戦に進んだ2021年度の2部リーグ戦。これも配信を視聴する形での取材でした。しかし、最後、入替戦の試合だけ対面。つまり、会場での取材が許可されました。その日の担当はちょうど自分。熊谷ラグビー場に向かいました。いや、もう一言で語り尽くせぬ激闘。だから、あえて語りません。本当に一瞬の判断、隙で勝敗は入れ替わっていた。そんな一戦でした。迎えた87分53秒、歴史が動いた瞬間。29年ぶりに1部昇格が決まったあの光景、鳥肌が立ちました。初めてのラグビー生観戦、対面取材。それがこの試合です。本当に最高の試合に立ち会えたと。その反面、最初にして最高という事実。正直、これ以上はない、と思ってしまう自分がいました。


しかし、しかし、そんなことはありませんでした。2022年、春季大会でのグループ優勝は序章にすぎず、9月11日。29年ぶり1部リーグでの初戦。なんと大会4連覇中の東海大を破ったのです。ご存じの方も多いでしょう。あの入替戦以上の鳥肌が待っていたのです。さすがにドラマかと。これを機に一気に注目度が上がりました。スポトウも例外ではありません。私も2戦目以外、全試合取材に行きました。そして、これがどの試合もすごいゲーム。こんなことありますか(笑)。大東大戦からの日大戦とか、本当に。おかげで毎試合心臓に悪い。逆に慣れてしまいましたね。


大金星に震え止まらず(何度目の掲載か)


勝てば、初の選手権大会。最終節の立正大戦もドラマでした。状況だけでも、昨年度まで2部。そのライバル同士が最後、選手権をかけて直接対決。結果、逆転に成功した東洋大が点差をつけました。快進撃そのまま、本当に選手権出場決定。すごい、の一言です。おそらく長年チームを応援しているみなさんの方が何倍も、何十倍もうれしいでしょう。試合が進むにつれて、ファンの姿も確実に多くなっていた気がします。立正大の選手と健闘をたたえ合うシーン。これもラグビーならではの光景だと。


この日は11月27日。江戸川区陸上競技場で試合を見届けた後、その足でダイドードリンコアイスアリーナへ。先ほどのアイスホッケー。もともと最終戦が同日と決まっていましたが、それが、なんと選手権がかかった試合に、連覇がかかった試合。午前と午後、こんな贅沢なはしご取材ありますか。しかも、しかも、どちらも勝利。こんなにもうれしい日が、後にも先にもあるでしょうか。その日はテンション高めでした(笑)。


目の前で歴史が動いた


再び秩父宮ラグビー場に戻ってきた選手権。敗れはしましたが、正直、1年前には想像もしていなかった舞台で取材させていただきました。選手でもないのに大げさですが。スポトウとしても激動のシーズンになったこと、本当に感謝しかありません。最後、ナイスゲームでした。非常に難しいところですが、ラグビー取材のベストシーンは東海大戦ですかね。王者相手に逆転トライ、そして最後に反則を誘ったタックル。これはもう、シチュエーションの時点で再現が難しすぎます(笑)。そんな奇跡のようで、振り返ればスタートにすぎなかった一戦。忘れないでしょう。


大舞台でも変わらず躍動


ラグビーはアイスホッケーとまた違い、強くなる、その過程にあったチームでした。そのすさまじい成長が一つの魅力だったように思います。この勢いはまだまだ続いていくでしょう。さらに上を、日本一を目指すラグビー部、これからも追っていきます。みなさんと一緒に応援していければうれしいです。



③ 準硬式野球

そして、準硬式野球。これも正直、何ぞや、といった競技でした。さっそく調べてみると、使用するボールが違うとのこと。他にもバットなどに多少の違いがあるものの、ルールや球場など基本的な部分は硬式野球と同じ、とありました。しかし、試合は平日がほとんど。天候やグラウンド状態などにも大きく左右されるため、日程も流動的でした。そのため、ほとんど現地に足を運ぶことができず。本当に申し訳なかったです。


一球一球に盛り上がる


チームは2021年の秋季リーグ戦で3部に降格してしまいました。入替戦も最後、3戦目のタイブレークでサヨナラ負け。私はその年、一度も現地に行けませんでしたが、本当にわずかな差。だからこそ、自分の代で2部復帰を見届けたい、と思いました。


初めて会場に足を運べたのは、春季リーグの第5戦。そこで衝撃を受けました。競技自体ではなく、試合の雰囲気。ものすごく、野球そのものを楽しんでいる。そんな選手、ベンチの光景が広がっていました。硬式野球も取材していましたが、まるで違う。もちろん野球を楽しむ気持ちは同じだと思いますが、そこに自由さがありました。話を聞くと、多くのチームが学生主体だといいます。采配を振るう監督も学生。審判も学生。これには驚きです。観ていて、こっちまで楽しくなるような試合でした。


ベンチも活気にあふれる


春は惜しくも2位。昇格をかけて秋リーグ戦に入ります。ここでも現地は9戦目が最初。すでに8連勝という圧倒的な勢いで優勝、入替戦進出を決めていました。やはり面白い。試合後、選手やマネージャーさんにお話をお聞きすることができました。そして、なんと帰りのバスでも一緒に。他の部活動であれば、専用のバスで移動することも多いでしょう。寮などを持たない準硬式野球部だからこそです。最寄りの駅まで話をしました。新型コロナの影響でどうしても選手との距離が遠くなってしまったここ数年。これもまた取材の魅力だと感じました。


試合後のミーティングも選手中心


運命の入替戦。ここはどうしても見逃せないと無理やり都合をつけて会場に向かいました。1戦目、これが2部との差か。シーズン無敗だった東洋大があっさり黒星。これで後がなくなった。と同時に、あることで悩まされました。2022年度のリーグ戦、20試合あって東洋大は16勝2敗2分。一方、スポトウが取材に行けた3試合は2敗1分。現地に行くと勝てない。そんなジンクスがあったのです。この入替戦初戦も敗れ、まさかの継続。しかも、取材に行けなかった2戦目では勝利。最終3戦目、本気で現地に行こうか迷いました(笑)。行けば、勝てない。行かなければ、負けない。ただ、最後です。行くことにしました。


しかし、心配は無用でした。初めて観る勝利シーンが2部昇格の瞬間。マウンドに歓喜の輪が広がりました。いい意味で高校野球のような青春。これがベストシーンでしょうか。うれしい、よりも、正直、ほっとしました。最後の最後、選手やマネージャーさんの笑顔が見れて、それで終われて。ほとんど現地には行けなかったけれど、その数回で魅力を感じました。最後にはインタビューもできて、紙面にもちょっとした特集を組めて、よかったです。


待ちに待った歓喜の瞬間


ちょっとでも知ってもらえたらとの思いで発信してきました。対面はわずかでしたが、マネージャーさんご協力のもと、毎試合のスコアや写真、コメントをアップして。もっともっと伝えられていたらと。そこも悔いですね。アイスホッケーやラグビーとはこれも異なり、復活、その道のりを追うことができました。目にする機会は限られていますが、特にこれから進学するみなさん。ぜひ、覚えておいていただければうれしいです。



④ 硬式野球と陸上

あとは、硬式野球と陸上。硬式野球は、もう私が語らずともです。前回の宮谷先生のコラムをお読みください(笑)。ただ、硬式野球がいちばん大変だった気がします。チーフでもない人が言えませんが。ただ、心強い同級生がおりましたので、そのあたりはお任せしてしまいました。ありがとう。いや、このまま硬式野球も話したい。すごく葛藤しています(笑)。


硬式野球の初取材は入替戦。最初で最後の1部でした。当時も思っていましたが、いきなりすごい試合を観たなと。結果、2部に降格となってしまいましたが、改めて思い出すと、一試合一試合が濃いですね。チーフだった競技とはまた違う。中でも、やはり2022年の春季入替戦。3戦目のあのシーン。他の競技含めて、一番を争う光景です。そして、秋の専大1回戦。あの死闘も伝説ですね。詳しくは、記事の方を(笑)。最後の最後だけ、運よく神宮に戻って来れてよかったです。


この瞬間も、時間が止まった


もう駄目です。思い返すだけ、文字を打ってしまいます。どうしましょう。ただ、この硬式野球、本当に勉強になりました。取材のしかた、記事の書き方などなど。生かしきれたかと言われたら、ちょっと、かもしれませんが、先輩、同期からたくさん。おそらく硬式班じゃなかったら、ここまで全てをうまくこなせてなかったと思います。大変でしたが、なくてはならなかった、そんな感じです。支えてくださったみなさん、ありがとうございました。


陸上はもう、にわかなので、語りません。フリじゃないです。ただ、最後に箱根駅伝の取材を経験できてよかったです。本来であれば、箱根だけでも3度。さすがに東洋大学スポーツ新聞編集部に入って、駅伝取材ゼロだけは(笑)。そこが醍醐味ですもんね。できれば、他の三大駅伝も行ってみたかったなと。同日程の他の競技を優先してしまいました。いつか、観に行ければと思います。


考えれば、唯一の遠征は陸上でしたね。2022年5月の仙台ハーフ。懐かしいです。ついに解禁された宿泊を伴う取材に、正直、観光気分8割。怒られますね。きちんと取材もしました。ただ、やはり本来であれば、嫌になるほど飛び回っていたであろう遠征。仕方ないですね。やはり陸上あっての東洋大。これからの活躍も応援しています。


唯一、夜を越えた取材(仙台にて)


分かっていただけたかと思いますが、幅広く取材させていただきました。おそらく1つ、2つの競技をより深く担当した方がよいのでしょう。ただ、人手不足なもので(笑)。それだけ、たくさんのシーンを目にできた。本当に貴重な体験ができたと思います。ぜひ、お許しいただければ幸いです。また最後にも述べさせていただきますが、取材に関わってくださった選手、スタッフ、チーム関係者、すべての皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。



『スポーツ東洋』新聞制作

1年ちょっとの活動でこの文量。3年だったら、耐えられましたかね。怖いです(笑)。どこかで抑えないと。あとは、何といっても新聞制作です。取材と並んで、このサークルのメイン。これも、いや、これがなかなか大変でした。本来であれば、1年生の春から新聞制作の機会は14回ほど。しかし、私たちの代は6回でした。回数だけ見れば、そんなもん、という気もするのですが、最初にも述べたように、コロナ禍でまず2年近く発行中止。相当、痛かったです。経験がある一つ上の先輩ですら、それは当時1年生。再開した初号、2021年12月号はとにかく手探りでした。もう学年関係なく、やるしかない。逆にその状況だったからこそ、必死になれたのかもしれません。以前も書きましたが、あまり記憶ないんですよね(笑)。


発行した新聞6号


慣れぬまま、2022年1月号。早くも先輩方と一緒に制作するのは最後でした。引退された当時4年生の先輩方のお力も借りながら、なんとか完成。一年の最後だったからか、達成感がありました。発送作業が終わった翌日に再び活動禁止。いよいよ自分たちの代、と思った矢先に。正直、もう振り回さないで、と思いました。その影響で本来の4月号は6月まで延期。こうして最上級生となり、新型コロナとうまく付き合いながら、徐々に活動を戻していく。そんな一年が始まります。


2022年6月号。この号がいちばん大変だったような気がします。圧倒的に人手が足りませんでした。新しく入ってきてくれた人たちに教えてあげる余裕もなく。本当に切羽詰まっていました。すみません。この号まで編集場所が品川にありました。品川駅まで20分ほど歩く帰り道。意外と好きでした。都会のきらめき、いろいろ思い出します。10月号からは両国になり、あの下町感もまた違った感じで。この号も大変でしたね。そこからは怒涛です。すぐに12月号、そして1月号。完成しては、次の準備へ。この頃はもうスポトウのことばかり考えていました(笑)。ただ、アイスホッケーやラグビー。自分のチーフ競技を大きく取り上げる号が続き、本当にうれしかった。本当にモチベーションになっていました。


年末の新聞配布会にも参加


先ほども書いたように、本来の半分しか発行できていません。ただ、下級生のときは先輩に従って、慣れて、というパターンを考えたら、最初の最初から深く関われたという状況。頑張ったような気がします。担当競技の成績にも恵まれ、6号すべてでレイアウトを担当させていただきました。1面1回、終面3回、中面2回。正直、なかなかいないと思うんですよね。レイアウト率100%(笑)。ようやく作業に慣れてきたような。いや、遅すぎますね。


東洋大学スポーツ新聞編集部は、報知新聞社で編集作業をさせていただいております。ご迷惑をお掛けすることも多々ありましたが、新聞社の皆様のご協力をいただき、ここまで発行することができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。



みなさんに感謝

コロナ前を知る先輩方からすれば、甘いと言われるかもしれません。ただ、先例ではどうにもならない期間でした。許してください。そのぶん、先輩方の偉大さ、活動量、新聞やWEB記事の充実さ、本当に頭が上がりません。さすがに並ぶことはできませんでしたが、いろいろと参考にさせていただきました。尊敬しております。


直近の先輩方。私自身、積極的に関わりにいけるタイプではないもので、あまりお話できなかったと思います。反省しています。ただ、やはり先輩の存在は大きい。強く思いました。引退されてからも支えていただきまして、本当にありがとうございました。


後輩たちへ。頼りない先輩でごめんなさい。よく耳にするフレーズだけど、本当だったと思います。いろいろ教えることもできなくて。中途半端で。正直、不安です。このまま引き継いでしまって、バトンを渡してしまって。ただ、最近、任せられるなと。大丈夫だと。そう感じるようになりました。いろいろ考えてくれていることを知ったからかな。みんなで協力して、全員でスポトウを前に進めてね。少しだけ、期待しておきます。背負い過ぎず。いつでも頼ってくれればと思います。



本当に長くなってしまいました。止まらないんですよね。私は、一度も辞めようと思ったことはありません。それだけ、ここでの活動が楽しく、充実していたから。今回は、その思い出をただひたすらにつづりました。読んでいただくような文章ではないけれど、最後、こうして自分の中で振り返ることができただけでうれしいです。




最後になりますが、取材にご協力いただきました選手、スタッフ、チーム関係者の皆様、活動を支えてくださった大学関係者、報知新聞社の皆様、そして、新聞やWEBをご覧くださったファンの皆様。すべての方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。


今後とも、東洋大学スポーツ新聞編集部をよろしくお願いいたします。



青木智哉




正直に書きますね。少しは、東洋大を好きになった気がします。もちろん「正解」でした。