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2024.02.07
コラム

第836回 好きになるために 執筆者・木村彩香

スポトウとして最後のコラムになりました。ご無沙汰しております、3年の木村彩香です!最後のコラムって何を書いたらいいのかなと悩みに悩み、この文章をつづっております。

あまり自分の思いをコラムに書くことはなかったかもしれませんし、部員に話したこともなかったかも。そんな思いを込めて書きますね。


まずは昨年の自分のコラムに書いていたことを、まず振り返ってみます。

「来年の引退コラムでは、スポトウの活動を悔いなく終え、晴れやかな気持ちで綴って欲しいなと希望を託す春です」と3月のコラムには書いていた私。現在の私の気持ちとしては…悔いなくは終えられた。ただこれで終わりとはなかなか思えない。が正直なところです。関東ラグビー協会のHPはこれからも見てしまうだろうし、公式戦の取材日からスケジュールを考える癖はしばらく抜けないかもしれませんね。スポトウの活動はとても楽しく、長いようでとてもあっという間な時間でした。


そんな私の大学3年間、スポトウとの3年間を振り返るコラムにしようかなと思っています。



なぜスポトウに?

私の場合、なぜスポトウに?よりも、なぜ東洋大学に?からさかのぼる必要があります。正直なところを言うと、私は東洋大学が第一志望の大学ではありませんでした。浪人して第一志望校ではなく、東洋大に進学を決めたのは、自分の限界を出し切って受験勉強ができたと思ったからです。東洋大に進学したことを後悔したくない、大学を好きになって卒業するためにはどうしたらよいだろうかともやもやしている時に出会ったのが、スポトウでした。

スポトウでは初めてのスポーツに触れる場でもありました。これはローラーホッケーの取材時です


私は幼少期に水泳、小学校では水泳とバレーボール、中学校では剣道、高校ではラグビー部のマネージャー、応援指導部とまさにスポーツづくしの生活でした。また、幼少期から大学駅伝や大学ラグビーを応援していました。スポーツをやる立場として、支える立場として、応援する立場として。スポーツと様々な角度から関わってきました。そんな大好きなスポーツを、東洋大学の立場に立って、魅力を伝えられたら。魅力を伝える立場になれたら、もっと東洋大を好きになれる? こんな思いで入部を決めました。大学入学前から、大学のスポーツ新聞部の存在は知っていましたが、第一志望大学に入学していたら、スポーツ新聞部には入っていなかったかもしれません。

初の対面取材はまさかの仙台


入部してすぐにぶつかった壁は、コロナウイルスの流行。対面取材の制限。新聞発行の制限。部員の減少。モチベーションの低下。知識不足。色々課題はあり、数えればキリがありませんでした。正直辞めたいと思ったことは何度かありますが、継続できたのはやはりスポーツの魅力、ひいては取材先の運動部さんのおかげでした。チーフを担当させていただいた部活動さんについてつづりたいと思います。




ラグビー部

もともとラグビーは好きで、秩父宮ラグビー場にも足を運んでおり、弱小校ではありながらもラグビー部のマネージャーをやっていた私。(実は卒業するころには私しか部員はいなくて、、)スポトウに入部した理由の決め手のひとつも、ラグビーと関わりを持てることでした。感染対策が他の部活動さんよりも厳重で、対面取材が再開されたのは2年生の秋。実に入部してからすでに1年以上が経過していました。


1部昇格、春季大会でのグループ優勝、初の選手権大会。強くなる段階の瞬間に立ち会うことができ、とても思い出深い3年間でした。すさまじい勢いで階段を駆け上る姿を見続けることができた。これは何にも代えがたい思い出だったと実感しています。

初の選手権、初めて秩父宮ラグビー場の芝に足を踏み入れました


今年は晴れて全試合が対面取材が解禁され、1年を通して対面取材を行えた1年でした。Aグループとして、1部として、取材を行った初の世代です。正直難しいことが多く、悩むことが多かった。無我夢中でご挨拶をさせていただき、プロの記者の中に混ざりながらのインタビューや撮影など、ラグビー部会としては初の挑戦づくしでした。なんとしてもこのバトンを後輩につなぎ、活動を継続して欲しい。その思いで活動を続けていました。今は頼もしい後輩もでき、バトンを無事につなげられたことに安堵しています。もっともっと部会を盛り上げ、魅力を存分に伝えてくれるとうれしいです。


暖かく迎え入れてくださった東洋大ラグビー部の関係者の方々には、感謝しかありません。至らない点も多くあったかと思いますが、週末の練習取材にもお邪魔させていただきました。今後も東洋大学スポーツ新聞部を、何卒よろしくお願い申し上げます!



射撃部

私が初めての1人取材かつ、チーフ担当をさせていただいたのが射撃部さんでした。

2年生の5月、対面取材は2回目、しかも生のインタビューは初、1人取材も初というタイミング。長瀞射撃場に向かう電車の中で泣きながら、射場に向かったのを覚えています。(自分はとても上がり症なので、取材やインタビュー前は腹痛や緊張に襲われていました、、笑)


初取材の帰り道。射撃部さんの暖かさをかみしめていました


正直に言うと、取材させていただくまではルールもよくわからず、競技を見たこともありませんでした。初心者な私がぶつける率直な疑問に対し、ひとつひとつ快くご回答いただけてとてもうれしかったです。選手お一人ずつに対してインタビューの時間をたっぷりとっていただき、選手の方々と近い場所でお話させていただきました。


シーズン中は月に1回ほど足を運ぶようになるにつれ、徐々に射撃競技の魅力や選手の方々の魅力に虜になりました。基本的には一人で取材に向かうことが多かったのですが、その魅力を伝えるために、毎回一人でめちゃめちゃ写真を撮らせていただいていました笑 たくさん撮らせていただいていましたが、競技の魅力を伝えたい!の一心でした。


毎回「木村さんーー!!」と暖かく歓迎してくださり、勝手ながらスポトウの人という肩書以上に接してくださったように思っています。今後とも後輩たちをよろしくお願い申し上げます!



最後に感謝を

3年間はとても早く、あっという間でした。現在の1年生に比べると、対面活動も制限されていた期間も長く、経験できた年数も短かったかもしれません。ただ、限られた人数や時間のなかで作り上げた新聞や、慣れない中必死に取材をした経験は何事にも変え難かった。


1年の冬に初めて担当したレイアウト、2年の初夏に初めて担当した1面。新聞制作は1年次からほぼ毎号参加させていただきました。たくさんご指導やご支援していただいた報知新聞社の方々、本当にありがとうございました。

思い出の1面レイアウト この号がスポトウ人生で1番きつかった編集期間でした。


先輩方へ。私は1年の春に入部し、去年の今頃まで先輩の背中を追うばかりでした。活動量や紙面のクオリティ、先輩方の壁はとても高かった。正直引退してからも多くのサポートをいただきました。一緒に活動できて、本当にうれしかったです。


同期たちへ。素直な気持ちとして、一緒に活動できて本当に良かったです。競技への熱い思いを持ったメンバーばかりで、活動をする上で励みになりました。正直入部したときは、こんなに仲良くなれるとは思っていなかったかも。今後もいい仲間でいられたらなと密かに願っています。


後輩たちへ。何人か話した子もいるかもしれないけれど、私は後輩たちに期待しかしていません。きっとみんななら大丈夫だ!と身勝手ながら思っています。自分のやりたいことにめいっぱい挑戦して、スポトウ生活を楽しんでほしいです。無理はしすぎず、仲間を頼りつつ。私にできることがあれば、弱音でも愚痴でもこぼしてください。


今まで活動にご協力をいただいた、各体育会運動部の方々やスポーツセンターの方々、読者の方々、報知新聞社の方々、各大学のスポーツ新聞部の方々。先輩に同期に後輩。スポトウの活動は常に誰かに支えられていました。今まで本当にありがとうございました。

今後とも東洋大学スポーツ新聞編集部をよろしくお願いいたします。


「東洋大学を好きになりたい」この一心で入部を決意した1年生の4月。3年間を通し、私は間違いなく入学前よりも東洋大学を好きになれた!と胸を張って言えます。

ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。またどこかでお会いできるのを楽しみにしております!


木村彩香