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「歴史を刻む」挑戦に挑んだ鉄紺女子たち。
9年ぶり2度目のシード権獲得に向けて、チームを引っ張ってきたのは、4年生たちだ。
逆境が立ちはだかった一年。けがに苦しむことも多かったが、それでもチームを作り上げ、最後の富士山女子駅伝では歴代最高順位にならぶ9位に入った。
鉄紺の歴史を刻むため、奮闘してきた4年間を振り返る。(取材日=2月14日、聞き手=窪内彩乃、近藤結希)

◼︎俵やよい
ーー4年間で1番思い出深いこと
2年生の時に出た全日本が一番印象に残っています。
実績がないまま入ってきて、みんながスポーツ推薦で入った中、私は一般で入ってきました。1年目はケガもあって結果が出ずに悩んでいましたが、2年生になった時に監督が今の谷川監督に代わって、私を選手の1人として向き合ってくれて。 そこからケガも治して、合宿もやり切ることができて、そのまま自信のある状態で迎えられた初めての全国大会だったので、印象に残ってます。
ーー競技生活で大切にしてきたことは何ですか?
常に笑顔でいることです。辛いこととか悔しいこととか、生活してたらたくさんあるんですけど、表面は笑顔でいて明るく振る舞えば、周りにもいい影響にもなるし、自分自身も前向こうっていう気持ちになれるので、そこだけは4年間ぶらさずにやってこれました。
ーー東洋大学の女子長距離部門はどんなチームでしたか?
明るくて、小さなことで揉めたりもするんですけど、なんかそれも含めてすごい平和なチームだなって思います。大きな大会はもちろんですが、ご褒美でコンビニでアイス買ったり、みんなでワイワイしながらお掃除したり、そういう時間を心から楽しめるチームだったなって思います。
ーーご自身のターニングポイントは
やっぱり1年目から2年目にかけて監督が変わったタイミングかなって思います。1年目までは実績もなくケガも繰り返してたんですけど、監督が向き合って、練習面だったり食事面だったり、いろいろ相談できる環境になって、自分に合った練習というのを見つけることができました。そこから競技力もどんどん伸びていったので、そこかなって思います。
ーー4年間を振り返っていかがでしたか?
高校までの陸上競技は本当に楽しい、走るのが楽しいっていう気持ち一心でやってきて、辞めたいって思ったことはありませんでした。大学に入ってからはもちろん厳しい環境で、辛いこともあったし、思うように走れなくて辞めたいってこともありました。
それでも辞めなかったのは、この明るくていつでも支えてくれるみんながいたからで。 寮生活っていうのも私の人生の中ではすごく大きいと思うんですけど、なんか辛いことも含めて、今までで一番濃かった4年間だったなと思います。
ーー同期へのメッセージ
本当に4年間いろんなことがあって、みんなで楽しむ時もあればもちろんぶつかる時もあって。 このチームにとっても、4年目の時はチームにとって私たちはどう還元できてるんだろうって、本当に大事な時期に大きなぶつかり合いもしてしまったんですけど。 そこで見捨てるわけじゃなくて、ちゃんとみんなで何時間も話し合って向き合えたからこそ、富士山女子駅伝も過去最高順位の結果で終わることができたし、それを喜んでくれる後輩たちもいて。
何回も同期には言ってるし、みんなからもその言葉を聞くんですけど、本当にこのメンバーじゃなかったら、こんなに自分の陸上にも彩りもなかったと思うし、こんなチームにもなってなかったと思います。ここに入ってみんなに出会えたことが、私の陸上人生の中でも一番恵まれてたことなんじゃないかなっていうのを伝えたいです。
ーー後輩へのエール
いろんなところから集まって、揉めることも普段はたくさんあるんですが、このチームは先輩後輩関係なく結構言いたいこと言い合えるチームだと思うし、1人1人すごく力があって、まだまだ発揮できてない子もたくさんいるし、やっと富士山でその力を少し他の人に知ってもらえたって、知ってもらえるきっかけになったと思います。その結果も自信にして頑張ってほしいし、私自身もみんなが頑張ってる限りは応援にも行って、OGとして支えたいなって思います。
ーー今後に向けて
陸上競技は引退、いったんここで終わりということで、これからは全然違う道に行きます。今まで陸上をやってきた自分からすると、知らなくて不安なこともたくさんあるんですけど、この競技で培った粘り強さだったり、あとは寮生活で学んだ人との関わり方や接し方っていうのを私の強みにして、次のステージでも頑張っていきたいなって思います。

◼寺松歩穂
ーー4年間で1番思い出深いことは
最後の富士山駅伝です。私自身、メンバーとして出走することは出来なかったのですが、みんなが同じ気持ち・目標に向かって頑張れる空気を感じて、チームの雰囲気も今まででいちばん良かったです。
心強い後輩ばかりで任せられました。サポートに回っている中で見てるこっちも楽しかったし自分も駅伝を走ってる感じで、楽しかったです。
ーー競技人生の中でターニングポイントはなにか
大学3年の時です。1、2年の時はけがばかりしていて、1年の時は試合に出ることが出来なくて、2年になってやっと出れるようになりました。
3年になって記録がでるようになって、これまでやってきた事が報われたような気がしました。自己ベストの更新や関東大学駅伝、全国大学駅伝も走ることもできました。
ーー競技生活の中で大切にしてきたことは
継続と感謝の気持ちと、楽しむことを大切にしてきました。感謝の気持ちに関しては、競技生活だけでなく寮生活だったのでルールがあって。好き勝手したら上手くいかないので後輩に対しても命令口調にならないことに気をつけました。また監督や事務課の人達が応援してくれていることは当たり前ではないので、謙虚な姿勢で感謝の気持ちをもちました。
ーー女子長距離部門はどんな雰囲気か
先輩・後輩仲良くて、ほんとに楽しいです。陸上も寮生活も楽しくてみんなが良い子で。学年関係なくみんなでわいわい言いやすく、寮生活だと特にご飯でもそんな雰囲気を感じていました。
ーー競技生活、大学生活の4年間を振り返って
この東洋大学には駅伝をするために入学してきました。自分の生活の大半を陸上に捧げて競技をしてきましたが、それが出来るのは自分だけの力ではないし、家族とか友達、地域の人が支えてくれるからであって。みんながいるからやってこれました。
正直、大学陸上はもっとタイムを出して、成績を出して終わるというイメージでしたが、そう上手くはいかず苦しいことが多かったです。それも全部含めて楽しくやり切ることができました。
ーー同期へのメッセージ
同期8人には助けてもらいました。正直ぶつかることもありましたが、チームのためにやってきたことであって一人一人欠けてはいけないと思います。
最後まで、ここまでやりきれてよかったです。それぞれ状態はあったけど、最後までみんなで同じ気持ちで向かってこれたのは本当によかったです。ありがとうと言いたいです。
ーー後輩へのエール
みんな可愛くていい子達です。これからみんなは強くなると思っています。競技を楽しむことを忘れずに頑張って欲しいです。
ーー今後の目標。
これで競技を引退して、4月から就職します。この9年間、陸上をしてきて培ってきた経験。特に小さいことでもコツコツやれば結果に結びつくことなどの経験や、寮生活で協調性を育ててきたので、それらををこれからに活かしたいです。もっと充実した第2の人生を楽しみたいです。

◼中才茉子
ーー4年間を振り返って
4年間いろんなことがあって、正直思っていた通りにはいかなかったというのが大きいです。やり切ったという気持ちよりも、やり残した悔いの方があるんですけど、陸上だけでなく、学科の勉強でも資格を取るために忙しかったり、最後はキャプテンとしての苦悩とかもあって大変でした。色紙にも「満身創痍」って書いたんですけど、心も体も疲れたというのが正直なところですが、やれることはやれたかなと思います。
順風満帆ではなかったけれど、陸上以外も含めていろんなことに取り組めた4年間でよかったと思います。
ーー色紙に書いた言葉について
特に4年目はけがが一番大きくて、主将としての役目を果たす中でも悩むことや考えることがすごく多かったです。
それに加えて、実習や国家試験の勉強など、学科の方でもやらなければいけないことも多くて、睡眠時間を削ったりして、精神的にも体的にもきつかったです。苦しさの方が大きかったので、あの言葉にしました。
ーー4年間で一番印象に残っている出来事は
結果だけで言えば、1、2年生の時の方が残せていて、全国の舞台でも走りで体現できていました。3、4年はけがでなかなかそれができず、自分の良い走りを思い出すのは1、2年生の頃の方が多いです。
でも、やっぱり最後の富士山女子駅伝は、4年間の中で一番楽しい駅伝にできたし、個人としての結果は良くなかったけど、チームとしては4年間で一番いい結果で終えられました。
最後ということもあって、あのゴールの光景が一番4年間で印象に残っています。
ーーターニングポイントになった時期や、考え方が変わったタイミングはあったか
高校の頃は本当に陸上一択で、強豪校でやっていたし、陸上以外のことは考えられないような性格でした。遊ぶこともしてこなかったし、勉強よりも陸上という陸上中心の生活をしてきました。
大学に入っても最初はその考えが強かったのですが、いろんなところから来た同期と過ごす中で、広く考えられるようになりました。
陸上だけでなく、他のことにも目を向けて楽しむこともできたし、もちろん陸上を中心に考えて過ごすこともすごく大事なことではあると思いますが、これから先も陸上を続けていく中で、この4年間で新しい考え方を身につけられたのは良かったと思います。
ーー東洋大学を選んだ理由と、入学当初に思い描いていた4年間は
東洋を選んだ理由は、駅伝や陸上に取り組める環境と、管理栄養士の資格を取れる学科があったからです。
思い描いていたのは、ユニバーシアードのハーフマラソンで代表になることが4年間の1番の目標でした。また、東洋のOGでマラソンでも活躍されている佐藤早也伽さんに東洋に入る前から憧れていて、近づきたいという思いもあって入学してきました。
でも、けがの影響で思い描いた通りにはいかなかったし、1番の目標としていた試合の直前でもけがをして選考にすら出られませんでした。それでも、目指してきたものは東洋だったからこそ目指せたのかなと思います。
ーー苦しい時期も含めて、この4年間を振り返ってどう感じますか。
苦しいことの方が多くて、思い描いた通りにはいかなかったし、悔いも多いですが、だからといってこの4年間は無駄ではなかったと思うし、これから競技を続ける中で、この経験は生かせると思います。ここで発揮できなかった伸び代が自分にはまだあると思いたいので、それを次のステージで伸ばして、ここで咲かせられなかった花を咲かせたいと思います。
ーー大学で競技をする上で大切にしてきたことはありますか。
東洋は強豪チームというよりも自主性が求められる部分が多くて、自分の意識次第で競技力が大きく変わる環境でした。だからこそ、自分の目標をぶらさず、モチベーションを保つことを大切にしてきました。他大学の選手や高校時代の先輩・後輩の活躍を刺激にして、自分もそこに追いつくんだという気持ちを大事にしてきたし、そうした力はこの4年間で身につけられたと思います。
ーー同期に向けてメッセージをお願いします。
最初はなかなか打ち解けられなかった部分が正直私にはあって。それでも苦しい経験を重ねる中で、みんなの存在が支えになったし、みんなの頑張りが自分の刺激になりました。
最初の頃が考えられないくらい今ではすごく仲良くなったし、時には意見を言い合える関係にもなれました。この学年だったからこそ4年間やってこられたし、主将も務められたと思います。
本当にこの学年でよかったと4年間で何度も思ったことで、同期にはここで出会えてよかったし、これからもまた会えたらいいなと思います。
ーー主将としてまとめてきたチームは、どんなチームだったか
厳しすぎるわけではなくて、でも目指しているところは決して低くないチームで。だからこそ自主性が求められて、一人ひとりの意識が大切になるチームです。
個性あふれる、明るいチームで。私たちは大きな歴史を刻むことはできませんでしたが、これからもっともっと後輩たちが新しいチームを作って、歴史を刻む活躍をしていってくれたらいいなって思います。
ーー後輩たちにエールを
「チームを変えたい」という思いで1年間やってきて、結果はそこまでついてはこなかったんですけど、思いを持ち続けてやってきたことで最後の富士山女子駅伝で少しだけだけどいい結果で終われました。
私たちの今年のスローガンでもある「譲れない思い」を持ち続けることで、1年間かけてやっと少しは変われることがあったんじゃないかなって思います。最後まで目標を持ち続けて、チームみんなで力を合わせて頑張ってほしいです。
ーーそのスローガンに対する思いは持ち続けられたか
けがをするとどうしても気持ちがそっちに向いてしまって、本当にできるんだろうかと思ってしまうこともありましたが、学年でのミーティングを通してその度に思い返すことができました。自分たちが掲げた目標だから、最後まで諦めずにやり切ることができたと思います。
ーーこれからの目標や、思い描く未来を教えてください。
まずは国家試験に合格することが、4年間をやり切ったと思える一つの区切りです。それに合格できれば、東洋に来たことに悔いはないです。
それが終わればやっと陸上に専念できるのが楽しみでもあるので、陸上に専念する生活を実業団としての自覚を持って取り組んでいきたいです。すぐに結果は出せないと思いますが、自分の目指しているものはぶらさずに、将来は佐藤早也伽さんのようにマラソンで活躍できる選手になりたいと思います。


(左から中才、俵、伊東、寺松、篠塚)

