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2017.01.05
コラム

第538回 ハレルヤ・チャンス 執筆者・美浪健五


 新年明けましておめでとうございます。

 年末年始はいかがお過ごしになられたでしょうか?

 2017年もスポーツ東洋をよろしくお願い致します。



 完璧だ。

 完璧に新年の挨拶を決めてしまった。自分の応用力が恐ろしい。自分は年末インフルかかってるくせに人々の年末の過ごし方まで気にかけるというね。それでも本当に箱根取材の際はご迷惑おかけしました、すみませんT麻さん。テレビ越しに観戦してましたよ。箱根の記事が見たい方は上の所ポチポチしていけば出てくると思うので、どうぞそちらもご覧ください。それでは本編です。


 私はサッカー歴が15年あります。もちろん将来の夢はサッカー選手でした。小さい頃から父とボールを蹴り合ったり、よく試合に連れて行ってもらって好きになったのでしょう。幼稚園のサッカーチームに入り、自分が北海道へ引っ越す前の最後の大会で、雨の中左足で決めた決勝点は今でも覚えています。あの時のメンバーを全員思い出せないのが悲しいところです。そして北海道に渡った小学校では4年生からしかサッカー部に入れず、そんなに待てなかった私は別の小学校の少年団に入りました。週に3回放課後友達とも遊ばずに急いで帰って、別の小学校に向かうという生活が始まりました。そんな生活になっても、私はサッカーをしたかったのです。小1で一緒に入ったA君はすごく上手くて、自分らの代ではキャプテンも務めていました。最初は同期は2人くらいしかいなかったけど、学年が上がるごとにどんどん増えていって、すごく楽しかったです。自分のポジションはどこだったかな、最終的にスイーパーかボランチをやっていました。思い出そうとすると、フォーメーションが頭に浮かんできて懐かしいですね。4年生くらいにその市の上手い選手が集まるトレセンにも呼ばれました。上手い奴しかいなくてめっちゃ肩身が狭かったのは覚えています。それでも小学時代のサッカーはただただ楽しかったです。しかし、ここで分岐点。


 『中学校どっちにする問題』が浮上してきました。サッカーばっかに明け暮れてとはいえ、学校生活で仲の良い友達もたくさんできました。友達のたくさんいるH中へ行くのか、サッカーのチームメートと同じM中へ行くのか、12歳の少年は決断を迫られていました。ハッキリと分かっていたのは、後者はサッカーの強い強豪校でした。要するに友達を取るのか、サッカーを取るのかという二択を迫られていたわけです。ハッキリ言っときます。私がもし、ハレルヤ・チャンスできるのならば、ここに戻りたいです(今何言ってんだって思われた方、月9見て)。結果から言うと私は友達を選びました。当時は(後者だと)通うのめんどくさいしとか言っていただろうけれど、単に友達と離れたくなかっただけです。子供かわいいですね。そうして中学校でのサッカーが始まったわけですが、メンバーは少なくグラウンドも悪い、ひどい環境でした。小さい声で言いますが、レベルがとてつもなく低かったです。もちろん上手い先輩もいて、がたいの差も感じたりしましたが、小学校の時の方が良い練習してたんじゃないか、と思ってました。そうして過ごして2年の秋頃ですかね、私が行くのを辞めたM中との試合がありました。結果は0-4くらいで大敗した気がします。レベルが違いすぎました。この時A君とも握手を交わしたのですが、すごい遠い存在に感じたのを覚えています。この頃には中学のトレセンから声が掛かり喜んでいましたが、選考会の前の試合で靱帯をやってしまい、選考会には行けませんでした。この辺で完全に腐ってしまったと思います。最後の年には部長を務めましたが、これといった結果は残せず、中学サッカーは終わりました。この辺で夢も完全に消えてしまったのかな。とにかくやり直したい3年間でした。


 高校ではそこそこ強いK高に入り、完全に新しい仲間と出会いました。監督もチームメートもみんな個性が強くて私はみんなの個性を生かすプレーが大好きでした。進学校ということもあり勉強に費やす時間の多い高校だけれど、そこそこ強いという面白いチームでした。高校の同期が一番これを見てそうだから高校のことは書くのが恥ずかしいですね(笑)。試合中私がファウルを受けたら、大げさに「大丈夫か?キレんなって!」などと言ってくるDFがいたり、魅惑のフェイントを見せてくれるMFがいたり、フリーキック練習が絶対に左にそれてしまうFWがいたりととにかく変な奴ばかりでした。高校サッカーでももっと最初から遠慮せずにやれてたらなという後悔はあります。高校の環境が悪くなかっただけに、余計に「中学でもっとちゃんとやってればな」と思わされました。高校でも最後は怪我に悩まされながらやってましたけど、サッカーを楽しめていたと思います。


 そして今はサッカーをやる側から取材する側へ変わったわけですが、まずはこの15年間のサッカー人生を支えてくれた両親には感謝しないといけないですね。毎回送り迎えしてくれたり、道具を買ってくれて本当にありがとうございました。なによりサッカーと出会わせてくれてありがとう。ついでにインフルの時看病ありがとう。親は偉大なり。長々と私のサッカー人生を語ってきましたがいかがでしたでしょうか?最後までちゃんと読んでくれた方、ありがとうございます。今年はもう少し短く濃い文章を書けるように精進してまいります。あぁ、戻りたいなぁ・・・。