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2017.01.19
コラム

第540回 鉄紺魂 執筆者・伊藤空夢

 こんにちは。社会学部3年の伊藤空夢(いとう・あけむ)です。昨年12月に発行した『スポーツ東洋第76号』では私の顔写真付きで箱根駅伝の他大分析なんてものをやらせていただきました。先日発行された第77号と共に必見ですよ☆


 さて、先週まで続いた11人の1年生コラム、いかがでしたでしょうか。つい最近まで初々しかった彼ら、彼女らも、もうすぐ先輩になります。新体制の飛躍にご期待ください!

 そんなフレッシュだったコラムから申し訳ないのですが、今週からは熟れに熟れた3年生の引退コラムとなります。私たちの去り際の一筆に、どうかお付き合いくださいm(_ _)m


 前振りが長くなりましたが、今回書かせていただく私は陸上競技部と射撃部の取材を担当致しました。どちらも取材チーフという役職に付かせていただき、多くの貴重な体験をすることが出来ました。今回はその中でも、私がこの一年最も取材することが多かった陸上競技部の酒井俊幸監督から聞いたある一言を基に記していこうと思います。

 私が陸上競技班のチーフになったばかりの昨年4月。長距離の1年生が世界ジュニア競技会の選考会に出場するということで、新戦力を一目見ようと私は一人和歌山県へいました。そのときの取材で酒井監督が話していたことが、半年以上たった今でも強く印象に残っています。それは「これから彼らには、鉄紺らしさを磨いていってほしい」という一言。これを聞いたとき、“鉄紺らしさ?”と感じた私はすぐに聞き返してしまいました。すると、酒井監督は一瞬びっくりしたような顔をしてから(たぶん、「そんなことも分からずうちに取材に来ているのか」って驚いたのだと思います。恥)、こう説明してくれました。


 「泥臭く、日々を淡々とこなし、やるべきことをしっかりやること」


 はじめはなるほどと思いメモを取っていました。しかし、その日の帰りから妙に胸に引っかかり、引退を迎える今でも鮮明な記憶として残っています。それは「泥臭く、日々を淡々とこなし、やるべきことをしっかりやること」というのが、自分の生活にもいえるということに気付いたからです。

 我々、スポーツ新聞編集部には新聞を作るうえで専門的な指導者は存在しません。記事やカメラに関しても同じです。皆、先輩から基礎知識を学び、あとはコンビニに売られている新聞にひたすら目を通すのみです。担当しているスポーツに関しても、全員が全員、元プレーヤーだったわけではありません。見たこともないスポーツを担当し、何も知らないまま取材先へ出向きます。私でいえば、射撃というスポーツがそれにあたります。取材場所が近いからという理由で担当し、射撃に関しては全くの無知でした。

 そんな私でしたが、それから必死になって射撃を勉強しました。射撃に関する資料を読み漁ってはルールを覚え、分からない専門用語があればすぐに調べる。その繰り返しです。もちろん、これは記者として当たり前の行為かもしれません。しかし、元ランナーの私にとってはとても新鮮で、今思えば「泥臭かったな」と感じています。


 大学で競技を続ける前提で高校を選ぶも、それを諦めた私にとって選手の皆さんは憧れの存在でした。だからこそ自分がいけなかった憧れの舞台でプレーする選手たちの、「1%でもいいから力になりたい」と思っていました。

 無論、私の書く記事が選手の記録を伸ばしているなんてこれっぽっちも思っていません。ですが、東洋大を応援してくださる人たちに選手の活躍を届ける、これを思ったときに「私も選手の背中を少しでも後押しできているのかな」という実感がわいてきました。だから、泥臭く頑張ろうと思えました。

 これから先、どんな道に進むか分かりません。それでも、この「鉄紺魂」を忘れず生きていこうと思います。


 最後になりますが、このサークルに入れて幸せでした。毎年日本のトップレベルで活躍する陸上競技部と射撃部に加え、今年は3人のオリンピアンの方とも関わらせていただき、これ以上ないほど贅沢な3年間でした。最高のチームから頂いたたくさんの感動は一生の宝物です。本当にありがとうございました。

 そして、取材先でいつも温かい声をかけてくださった校友会、甫水会の皆様。欠席した授業の内容を教えてくれた友人たち。取材することの楽しさを教えてくれた先輩や、くだらないダジャレを精一杯持ち上げてくれた同期と後輩。取材の日に、若干大きいと感じるおにぎりを持たせてくれた母。


 ありがとうございました。