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2017.09.28
コラム

第576回 心はまだまだ現役 執筆者・稲村真織

 初めまして、こんにちは。陸上、バスケ、レスリング、アメフト担当の1年、稲村真織です。

 

 初めてのコラムで何を書けばいいのか・・・。いろいろ考えていましたが、あまりカッコイイ文章は書けそうもないので私のこれまでについて書こうと思います。私のこれまで、となにかすごいエピソードがあるような感じに書いてしまいましたが人に自慢できるようなものは何も持っていないです。ごめんなさい盛りました。(笑)とりあえず、私の部活の話をさせていただきたいと思います。

 

 私は中学、高校とバレーボール部に入っていました。でも普通に選手をしていたのは中学まで、高校では男子バレー部のマネージャーをしていました。152cmしかない私はいろいろ苦労しましたが、なんとか3年間バレーを続けていました。そんな私に中学は選手だったのになぜマネージャーになったのか、と聞いてくる人が結構います。私自身、バレーは大好きだし順調にいっていれば(ものすごく低い可能性で)高校でもプレーしていたかもしれませんが、中学の時に少し膝を悪くしたこととマネージャーというポジションにとても興味があったということが私がマネージャーになった理由です。

 

 マネージャーといえば皆さんが思い浮かべるのは、可愛い女子が「はい、タオル❤」と選手に差し出しているようなシーンだと思いますが、私がいたチームはタオルをそんなにいちいち差し出している暇もなくひたすらボール出しとボール拾いで汗だくで駆け回る、可愛さのカケラもない忙しさでした。忙しすぎて常に顔が般若か鬼瓦状態でした、女子力はいずこへ・・・。さらに私はただ選手たちを黙って見ていることができず、気の抜けたプレーをしているとすっごくブチ切れるタイプ(たぶん希少種です)のマネージャーでした。マネージャーというのは試合中コートの中に入ることはもちろんできません。ただサポートと応援をするだけです。見ているだけというのはすごくもどかしいことだけれど、外から見ているからこそできることってあると思うんです。親や監督やコーチやアナリストやトレーナー、たくさんの外から見るポジションの人たちが選手を支えるからこそ戦っていけるということを、マネージャーになってから知りました。だからこそ私は選手のお尻をビシバシ叩く存在になろうと思いました、それはもうかなり激しめにドSめに。それが正解かは結局わからなかったけれど、選手に引退の時に「ありがとう」と言ってもらえたのできっと大きな間違いではなかったはずです。・・・たぶん。はい。

 

 今はスポトウというマネージャーよりさらに離れた位置から選手を見るポジションになりましたが、マネージャーのときと同じくらいやりがいを感じます。取材をして記事を書いて新聞をつくることは、普通の大学生とは全然違うとってもレアな体験です。もっともっといろんな選手やサポーターのお話を聞いて、自分でカッコイイ記事が書けるようになりたいです。リハビリの先生に悪くした膝を見て「7080代くらいのおばあちゃんの骨と関節だね」と笑われた(当時15歳)よぼよぼの体ですが、心はまだまだ現役ですのでこれからもご指導と温かい見守りをよろしくお願いします!(笑)

 

 全然まとまっていないし何が言いたかったのかよくわからなくなりましたが、これで私のコラムをしめさせていただきたいと思います。お付き合いいただきありがとうございました!次週からもキャラの濃い1年生のコラムが続きます、乞うご期待です!