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2017.11.05
硬式野球

[硬式野球]スポーツ東洋独占手記 飯田晴海「このチームでよかった…」

 主将兼エースとしてチームを率いてきた飯田晴海(営4=常総学院)。08年以来となる春秋連覇、そして高橋監督最後の明治神宮大会に向けて今の率直な思いをスポーツ東洋につづった。


意志強い目は日本一しか見えていない


 春は2連敗からチームを作り直して8連勝。その後は全日本選手権で一回戦負け。「全日本選手権の悔しさを晴らそう」をスローガンに、秋に向けて練習を積んできました。それもあって、秋の優勝は印象深いものになった。チームが勝たないといけない、何としても優勝したいという気持ちがあった中で、序盤に自分が思うような成績を残せなかった。

 それでも副将の田中将也(営4=帝京)と西川(営4=浦和学院)が野手陣を引っ張ってくれて3年生以下がそれについてきてくれました。選手間ミーティングで誰かのミスをカバーできるようにしようと話していると、徐々に一人ひとりの責任感が強くなった。自分もより姿勢で見せるように心がけた。チームが始まって、「強いチームではなく良いチーム」を目指そうとやってきた。日常生活や礼儀においても隙のないチーム。当たり前のことを当たり前にできるようにしようと。良いチームが強いチームになっていくと思っています。なので、チーム全体がいい方向に向けたことはプラスだと思っています。

 新チーム発足直後に胃腸炎になった。もしかしたらストレスや重圧で免疫が弱っていたのかもしれません。春季開幕前のオープン戦でもなかなか結果が出ずにいて、「野球ってこんなにつまらなかったっけ」と思ってしまった。考えすぎてしまっていたところもあると思う。強いチームでいるには結果を出し続けなければならないし、エースならば結果を残さなければならない。野球だけでなく日常でもきちんとしなければならないと思って、いい意味で犠牲になってやってきた。吐き気がありながらでも練習に出る。ちょっと苦しい時もありましたが、野球の神様は絶対にいると信じてプレーしてきました。

 本当に周りに恵まれた。チームメイトやこれまでの指導者の方々がいるから、今の自分がいる。チームがあってこその飯田があると思っています。たくさんの人に支えられて主将を務めてこれました。なので、優勝が決まった瞬間、チームメイトより少し遅くマウンドに向かっていました。「このチームでよかったな…」と実感していた。みんなの輪を見ていたかったんです。率直にうれしくて喜びがこみ上げてきました。

 もちろんこれからが始まりです。2年生の時、右肩肩関節唇損傷(かたかんせつしんそんしょう)で手術した際、監督さんからいただいた「この経験がお前を成長させる」という言葉を支えにやってこれた。最後の最後にもう一度、監督さんを胴上げするために、一日一日を大切に選手全員で戦っていきます。

 野球ができることは当たり前じゃない。チームメイトやこれまでの指導者の方々、OBや家族…支えてくださった全ての方に、結果で示して喜んでもらえる恩返しをしたいです。

(東洋大学硬式野球部 主将)


◆飯田晴海(いいだ・はるみ)1995年8月30日生まれ。茨城県出身。常総学院高校では3度甲子園出場。175㌢、75㌔。右投げ右打ち。