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2018.01.15
アイススケート

[アイスホッケー]第82号発行直前企画・インカレ準Vで有終した4年生プレーヤー最後のインタビュー


 先日行われた第90回日本学生氷上競技大会(以下、インカレ)で2年間行く手を阻んできた中大を下し、決勝戦に3年ぶりに進出。春の関東大学選手権大会(以下、春の選手権)を5位で始動したチームは、関東大学アイスホッケーリーグ戦(以下、秋リーグ)で3位に順位を上げ、インカレでは準優勝に輝きました。チームをけん引してきたのはひたむきな5人のプレーヤーたちです。そこで、記事には入りきらなかった4年生最後のインタビュー全文をお届けします。



4年間をともにした選手たちと監督、コーチ、マネージャー



・FW山田主将(社4=埼玉栄)

(インカレの総括)正直インカレ合宿が始まってもチームはそんなにまとまっていなくて。恥ずかしいですが。ここまできてまとまっていないのは僕の責任だなってずーっと思っていた中で、試合を通して僕が何かやったってわけじゃなく、みんなが勝手にまとまってくれて、最後チーム一つになれたなって思います。そこが一番うれしいところです。(4年間振り返って)最初の年っていうのもありますし、大学1年目が一番僕の中でいろんな感情が入り混じった年でした。悔しさだったりうれしさだったりそういうのがあって、本当に1年の時が一番いいチームだったなっていうふうに僕の中でずっと思っていました。当時のキャプテンを越えたいなって、謙さんを越えたいなってずっと思っていたんですけど、今年はインカレになってそのチームに匹敵するくらいのチームになれました。決勝で勝ったら越えられるなってところで負けてしまいましたけど。あんまりうまく言えないですが。(同期に対しての最初の印象は)壱皇(成田)に対しては絡みづらいなあって思っていました。僕がライバル視されていたので。二塚に関しては僕1年の時ずっと仲良くて、部屋の階も一緒だったので、一緒に学校行ったりご飯行ったり色々していて。和志(長原)とは可もなく不可もなくって感じで、まあ話さなかったですね。宏仁(梅庭)は誰とでも仲良くしていたので、僕も仲良くしてって感じでした。(今の印象、思い)大学ではこの同期で本当によかったなあって思います。本当にそれだけは何があっても変わらないです。(同期が減ったとき)一人に関しては入った時から留学したいということは言っていました。卒業してからじゃ駄目なのかとか色々聞いていたけれど、本人も意志が固くて。でも僕らもそんな固い意志あるんだったら気持ちよく送り出してやろうよってことで、そこに関しては頑張って来いよって感じでしたね。(後輩のスキルの高さに苦悩したことは)やっぱりなんでこいつらこんなにできるんだろう、とか、自分に出来ないことに目が向いたりとか、あいつらのスキル羨ましいなとか思ったりすることはありました。でも一人一人それぞれに役割があって、僕の役割っていうのは体張ってハードワークするってところ。そこはずっと理解していたので、特にそんなに思わなかったですね。(不作の年と言われて)正直春の選手権で5位だったときは、色んな人に「お前のせいだ」とか、「今年終わったな」とか言われていましたけど、何を春の一個の大会で決めつけてるんだよって僕はずっと思っていて。そういうのをずっと引きずられて、秋リーグの3位も「まあ、3位だよね」って。今に見てろよって、僕はずっとそれは誰に言うわけでもなく内に秘めていた感情だったんですけれど、最後決勝にいって少しは払しょくできたんじゃないかな。優勝はできなかったけれど、少しはそういう人たちを見返せたんじゃないかと思います。まとまりのないチームとか色々言われていたが、最後に一つにまとまって、そういうところが見せられました。(感謝のメッセージ)メッセージっていうよりも、このインカレを通してプレーでちょっと見せられたんじゃないかなって思います。僕がこうやって大学まで進んで十何年もホッケー出来たことにも本当にすごく感謝していますし、こういう環境作ってくれたスタッフとかマネージャー、選手にも感謝しています。なんて言ったらいいかわからないんですけど、とにかく感謝しています。(後輩、マネージャーに向けて)毎年違うチームに変わりますから。もうこの試合で僕のチームは終わりなので、僕がキャプテンのチームはもう終わりで。これからはまだ誰がキャプテンになるとか決まっていないけれど、また新しいチームが始まる。逆にあいつらから言われましたね。ほんとにありがとうございました、来年絶対春から全部勝ちますって。そういうふうに言われたので、わざわざ頑張れって言わなくても、僕がなにか言うことはないなって。大丈夫だなと思いました。マネージャーには僕は一年の時からずっと同期としてやらせてもらって、遠征とかもアルバイトして実費で来てくれて。ちゃんと仕事やれよとか思うときもありましたけど、僕ら本当に助けられました。みんな男臭い中でやっていてそこにマネージャーが来ることでムードが和む部分もありましたし、トータル面で本当に感謝しかないです。(今後の進路は)インカレに入る前から僕自身社会人でもプロでもホッケーにはもう一線引いてっていうところは考えていました。「これがラストゲームだ」って、決勝も「ホッケー人生ラストだ」っていうふうに挑んだので。悔いはないです。就職します!



・FW成田(社4=武修館)

(インカレの総括)インカレ前に1回チームでまとまって、それでこっちに来てからもまとまる機会があって。それがやっぱり、決勝で負けはしたんですけど、準優勝という結果になったのかなって。チームがまとまったことがよかったかなと思います。(準決勝・決勝は)自分は出てないんですが、これはもうベンチを盛り上げるしかないなと思って。必死に声出して頑張りました。(4年間を振り返って)やっぱり、早かったなぁっていうことが一番最初に出てくることですね。大変なこともあったり、楽しいこともあったりといろんなことがあった4年間でした。(途中で同期がやめていって)一応あいつらはやめちゃったんですけど、同期として卒業してからも仲良くしています。まぁでも一緒にホッケーやりたかったな、とは思いますね。(同期に対する最初の印象)最初は(山田)大雅が全然、俺らとからまなくて。1年の終わりに1回ごはんに行く機会があって、そこから話すようになりました。2年生くらいになってやっと話し始めて、打ち解けて、今は普通に話せるようになったという感じ。最初の1年生のときと比べたら、今は考えられないほど仲良くなったなと思います。(4年間共にやってきた同期へ)俺らはホッケーじゃ後輩に残せるものが少なくて、後輩に頼ってばかりだったけど、この7人、5人で良かったなって思います。(下級生がうまいことでアシスタントキャプテンとしてのプレッシャーなどは)ホッケーのプレーに関しては、まぁちょっと落ち度はあったと思うけど、そこだけじゃなくて。チームをまとめることだったり、私生活の面でみんなを引っ張っていこうかなという気持ちでやってきたので、そういうのを来年からも続けてほしいなと思います。(「まとまりがない年」と監督が言っていたが)本当、今年の初めから全然まとまってなくて。その結果、春の選手権が5位だったんで、そこからよくここまでまとめたなって。大雅も含め、4年生全員が頑張った結果かなと思います。まず4年生がまとまってなかったんで、4年生がまとまろうってなったことによって、それを見た後輩たちがまとまったんじゃないかな。(ここまでホッケーを続けてきて)ホッケーを始めたのも親がきっかけでした。親がホッケーをやっていなかったら自分もホッケーをやっていなかったと思うし、ここまでおいしい思いをさせてもらえたのは親のおかげなので感謝したいと思います。大学にいかせてくれたときが一番感謝したときかなと思う。父が東洋大学だったので、ずっと小学生くらいから東洋にいこうかな、とは考えてはいたんですけど。それでいかせてくれたということでも感謝していますね。(今後の進路は)地元の釧路に帰って、社会人のチームでホッケーを続けるつもりです。でももう、こんなガチなホッケーはしないと思います。もう悔いはないほど頑張ってきたのでもういいかなって(笑)。つらいホッケーはもういいかなって。こんな厳しいことはないですね。やっぱり大学はホッケーをしやすい環境で、本当にホッケーだけだったので気持ちの面でも大変でした。(マネージャーへ)1年のときからサポートとかいろいろしてくれて、なんか一言じゃ表せないくらい感謝しているんですけど。やっぱり何が一番うれしかったかっていうと、俺ら同期を一番応援してくれていたこと。そこに感謝しています。(後輩たちへ)ホッケー面に関しては言うことはないんで、来年も頑張ってほしいんですけど。それだけじゃ優勝できないので、やっぱりチームが一つになるためには人間性としての成長をもっとみんなで大事に話し合ってほしいなと思います。



・GK梅庭(社4=北海)

(4年間を振り返って)4年目の春まで公式戦に出ることができず、正直ツラい時期もあったんですがかわいい後輩たちや、熱い同期たち、先輩方に救われて、腐らずここまでやってこれたってことは大きかったです。(同期に対する最初の印象)元々同期は7人いたんですけど、一人一人の個性が強すぎて本当にケンカも多かったし、バラバラで仲悪いまま終わるだろうなと思っていました。2年生になってちょっとしたときから同期で集まる同期会をするようになって、そこからなんとかまとまって、4年目にはそれぞれみんなの性格も理解しているからみんなの良さをチームに共有して、実力的には主軸ではなかったけれど、伝えなくちゃいけないことっていうのは後輩たちに伝えてこれたのでよかったです。(辞めたいと思ったことは)ないです(即答)。(試合に出られなかったツラさは)そこは自分の実力なので、実力不足だったってことで認めているんですけど。後輩GKたちが自分の分も頑張ってくれて、キーパーのみんなとはコミュニケーション取ることが多かったんですけど、この最後のインカレはとくに俺のために頑張るからってよく声をかけてくれましたし、後輩二人(古川駿、水田)には決勝の舞台まで連れてきてくれたことに感謝しています。岩田はインフルエンザでいなかったけど、この1年間やってきたGKのメンバーがこの4人でよかったなと本当に思っています。(試合を客席で見ているときの気持ちは)秋リーグだったら長期期間の大会だから、なんでこんなに波のあるチームなんだろう?と思っていたりして、チームの状況を上から見ていて誰が動けていて誰が動けていないかその選手に何かしらのアクションを与えてその人が少しでもよい方向に動けばいいなぁとか、チームにどんな声かけをしたらよくなるのかなというのを見ていました。ピリオド間も声かけをするために試合はよく見るようにしていました。(決勝が決まったとき)本当にあの中大戦は今までで一番感動して、なんかもう、正直途中から負ける気がしなくて、駿も調子がよかったし、守りも体みんな張ってできていたし、あれは東洋のベストゲームだったと思います。(1年生のときと同じ明大に決勝戦で敗れましたが)前日の夜そのときのキャプテンから連絡があって、そのときの思い、キャプテンの思い、今までの卒業生、OBから借りを返してくれと連絡がありました。優勝できなかったことは先輩方に対して申し訳なかったですが、悔いの残らないくらい自分たちはやり切れたので、僕自身は悔いがなくてみんなにありがとうって伝えたいです。(今後の進路は)東京で就職が決まっています。ホッケーを続けるのは仕事が落ち着いてからじゃないとなかなか。厳しいかもしれない。(親への感謝のメッセージを)5歳くらいのときからホッケー一筋でやってきて、中学校のころは、毎日のように往復2〜3時間かけてリンクに送ってくれていてそこが一番僕感謝している部分です。兄もホッケーをやっていて姉もホッケーをやっていたんですけど、自分が高校に行くときに姉が自分はホッケー辞めるからヒロ(梅庭)にホッケーやらせてあげてくれって頼んでくれて。それで北海高校でホッケーやることになって、親だけじゃなくて兄弟にも感謝したいです。大学に来てからも試合に出られないことが多くて、いつも試合見に来てもらってもベンチ外って事の方が多かったんですけど、それでも4年間自分を怒らないで信じてくれて。あとは親と姉ちゃんが試合見に来てくれたときだけなんでか試合に出れていたりして、そういう親の力ってすごいなと思いました。ここまでホッケーを自由にやらせてくれたことに感謝しています。(マネージャーへ)雑用ばかりさせていていたけど、私生活から仲良しで楽しい思い出ばっかり。マネージャーは大変な思いしてツライ時期もあったかもしれないが、選手のことを思ってくれて感謝しています。(後輩へ)一番長く付き合ってきた3年生はこの悔しさを忘れず、最後の年になるのでインカレだけとは言わないで、3冠とってもらいたい。新しい東洋を見せてもらいたい。2年生はこれからポジション争いが激しくなると思うが、下級生を引っ張って強い東洋をつくりあげてほしいです。


・DF長原(社4=白樺学園)

(1年生のとき以来の決勝戦でしたが)1年生のころにインカレで決勝戦という大舞台に立たせていただいて、優勝はできなかったので今年こそは自分たちが最後なので優勝できればいいなという思いはとても強かったです。(インカレ総括)最初からいっぱい問題のあるようなチームだったんですけど最後の最後でチームが一つになってまとまってくれたっていうのが4年生としては一番うれしいことだし、まとまってくれたおかげで、準決勝では中大に勝てて、こうやって決勝の舞台に立てて、すごくうれしかったです。(同期の方の最初の印象は)最初の印象は個々がちゃんとしたチームでやってきていて、高校の大会とかでちらほら見ていたりもした選手ばかりだったので、上手くやってけるかなあって少し不安でした。個々の我が強かったので。(同期が減って自分も辞めたいと思ったことは)ないですね。減っても増えても結局自分は自分なので、そこでやっぱりチームのために何ができるかって考えたりしましたけど、結局自分が特に変わる必要もないなと思っていました。(一番感謝している人は)もちろん監督コーチスタッフ全員にはとても感謝してますし、やはり貴人さんがいてくれたからこそ、今年の代も決勝までいけることもできましたし、ディフェンスコーチの山口さんも僕が1年生のころから指導してくださっていました。そういった思いでは僕らの代で決勝までこれたのは感慨深いなと思います。(ご両親には)学生生活最後のホッケーなので、ここまでホッケーやらせてくれた両親には本当に感謝してますし、両親がいてくれたからここまでホッケーに集中することができたので本当に感謝しています。(マネージャーさんに向けては)僕ら朝早い練習とか多いのでマネージャーとして仕事しに来てくれたり、いろいろ僕らの雑務とかもやってくれていました。あいつらがいなかったら僕らここまでチームのためだけに専念ということはできなかったので、本当にいろいろ大変な思いをさせて、最後優勝という形で終わらせることはできなかったですけど、とりあえず決勝まで連れてこれたのはよかったなと思います。(後輩たちに向けて)僕ら4年生は出ているメンバーも同期自体の人数も全然少なかったので、そういった意味で決勝まで連れてきてくれたのは本当に感謝してる。今年2位という結果だったので、来年はもうその上しかないので、次こそは優勝目指して頑張ってほしいと思います。(卒業後の進路は)北海道で就職することになりました。(同期に向けて)いろいろ4年間いろんなことがあったんですけど、同期のやつらがいてくれたからこそ、ここまで頑張ってこれたし、めげずにやってこれたので本当に良いチームメイトをもったなと思います。卒業後も頑張ってほしいと思います。


DF二塚(社4=東海大浦安)

(同期に対する最初の印象)僕一人だけクラブチーム出身ですごい劣等感を持ちながら入学して、春合宿でみんなと顔合わせしてこのメンバーでやっていくってわかりました。言い方が悪いんですけど、結構北海道の人ってプライドが高くて同期というよりも1人でポツンと浮いている感じで春合宿を終えた感じですね。(「まとまりがないチーム」について)やっぱり春の選手権が5位という結果からまとまりがないということが明らかでした。結局今3年生が主力で4年生はほとんど試合に出られなくて控えの選手が多いなかで、チームの主導権は3年生が握るような形になってスタッフが言うようにまとまりがなかったので、それをなんとか僕たちが嫌われても良いくらいの気持ちでまとめようと1年間頑張ってきました。(辞めたいと思ったこと)辞めたいと思った時期も1年の春合宿だけで、そこからは徐々にチームに慣れていってこのチームで少しでも爪跡残してやろうっていうくらいの気持ちになりました。(4年間を振り返って)結局は実力社会だなということは痛感したんですけど、それでも練習は絶対試合出てやるぞっていう気持ちでやっていましたし、試合出られなかったときは選手に自分の気持ちを託して一生懸命やってもらったので、悔しいは悔しかったですけど4年間ここでやってきてよかったなと思います。(インカレ総括)初戦からチームのまとまりが見え始めて、すごくいい形で勢いあるまま準決勝で中大にも勝てました。いい流れで決勝にきたんですけど決勝の緊張からかみんな思ったようなプレーが出来ていないのが見てわかって、一生懸命はやっていたんですけど実力が全部出せていたかはわからないです。準優勝で満足してるわけじゃないんですけど、最後準優勝で終われてよかったなという気持ちもあります。(ホッケーは続けるか)来年度、社会人1年目として就職先での仕事に慣れることに集中して、ホッケーは時間が遅くても出来るので、時間をつくってお金にも余裕があればという感じです。辞めるつもりもないし続けるつもりもないですね。(後輩に向けて)3年生以下はこのインカレでの準優勝が最高成績ということなんですけど、僕たちは1年のときに準優勝を経験していて過去最高記録タイということで、これを是非インカレだけに限らず春、夏、秋、インカレで優勝という歴史を残せるように頑張ってもらいたいと思います。(マネージャーに向けて)僕たちの代で人数が少なくてマネージャーを入れないと仕事が回らないということで入ってもらって、4年間雑用などしてもらって苦労かけたと思うんですけど、そう思うからこそ優勝というものを味わってもらいたかったです。ただ、僕は応援に回る一方で何も出来なかったですけど、4年間辞めないでずっと仕事を続けてくれてありがとうと思います。(親御さんや家族への感謝)親には本当に感謝しています。東洋大に入るって決めたのも親が決めたわけではなく、今までどっちでもいいよというスタンスでいてくれていました。やっぱり幼いころから続けさせてくれていたアイスホッケーで東洋大でプレーできたら子育ての成功じゃないですけど、自分の息子がそんな名門でプレーできたらいいなってどこかで思っていたと思うので入学を選びました。アイスタイムは少ないながらも、成長する姿は見せられたと思うので今日で現役生活は終わりますが、今まで応援し続けてくれてありがとうという気持ちです。(同期へ)最初7人から途中で5人になってしまったけど、この5人で最後1年間苦労して、言うこときかない3年生以下をどうしようかってたくさんミーティングしたし、喧嘩して言い合っていた時期もあった。けれど最後インカレに来て4年生が団結した姿を3年生以下に見せることができたことで3年生以下もついていこうって思ってくれたと思うから、みんなと4年間やってきたことは一生忘れないし、これからバラバラにはなってしまうけれどいつかまたどこかで集まれたらいいなって思います。




 4年間、取材にご理解、ご協力いただきありがとうございました。今後もみなさまのご活躍、ご健勝のほどお祈りしております。