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平成30年度東都1部秋季リーグ戦・亜大2回戦
10月23日(火) 神宮球場
●東洋大1-2亜大
試合終了後、中川の目には涙があふれた
試合終了と同時に、その目からは涙があふれた。主将として、スタンドで応援してくれた家族、観客、そして仲間への最後の挨拶。精一杯の感謝の気持ちを込めた「ありがとうございました」。中川(法4=PL学園)の大学最後となる試合が終わった。
監督からの期待を一身に背負い、大学1年生からスタメンに名を連ねた。公式戦デビューは19歳の誕生日である4月12日。立正大の黒木投手(現オリックス)に対して、「インコースをどん詰まりして、バントくらいセカンドゴロでした」と初打席の感触を今でも鮮明に覚えている。
中川が「一番緊張感があったシーズンだった」と振り返った1年秋。当時のエース・原(H27年度営卒=ヤクルト)を要する東洋大は2部リーグで優勝を果たすと、入れ替え戦も勝利し、7季ぶりに1部リーグへ復帰した。「勝ってなかったら今こうして1部リーグで3連覇もできてなかったわけですし。それを全部含めて、1年生の秋のシーズンっていうのが自分にとっては大事だと思うシーズンでした」。
2年生になり、1部リーグ復帰後の1年間は最終週まで優勝争いに絡むも、2季連続であと一歩のところで頂点を逃してきた。悔しさを胸に戦った3年目のシーズン、春には初戦の中大に2連敗するも、怒涛の8連勝でついに12季ぶり17度目のリーグ優勝。高橋前監督最後の指揮となる秋季リーグ戦では2季連続で頂点に輝いた。
4年生になり、主将に指名された。そして杉本新監督就任後の春季リーグ戦では常勝軍団を率いてリーグ3連覇も達成。だが、その夏の取材では「なんとか引っ張っていきたいという気持ちではやっているんですけど…なかなか難しいというか、出来ないことが多いです」とポツリ。 「自分あんまり言うタイプではないキャプテンなので、向いてるか向いてないかで言ったら、たぶん向いてないんですけど(笑)」と、中川は自他共に認める、口数が少なく、背中でチームを引っ張る主将。記者のインタビューやテレビ取材では流暢に答える中川ではあったが、実は「あまり人前で話すのが得意ではないので、ミーティングとかでも何を話したらいいのかわからず、上手く伝えられないというか。多分頭が悪いんだと思います(笑)」と口下手な一面もあった。だが、不器用ながら常にチームをどうしたらまとめられるか、引っ張っていけるかを常に考えて、いつでも全力で主将の役割を全うしていた。
1年春から公式戦へ出場し、リーグ3連覇、4年次には常勝軍団の主将に就任。時の流れは早く、中川もついに大学最後の試合を終えた。「ずっと1年から出させていただいて、打てない時も我慢して使ってくださった監督さんであったり、指導してくださった方に本当に感謝してます」。そして、苦しいことも一緒に乗り越えてきた仲間へ「自分がキャプテンになって、チームのためにほとんど何もできなかったと思うんですけど、本当にみんなにはついてきてくれてありがとうっていう気持ちだけです」。
日本一を目指し歩んだ4年間。だが、その夢は最後までかなわなかった。「最後の最後まで諦めなければ絶対に勝てるところまで行けると思う。この悔しさを後輩たちはしっかり噛み締めて、また来年は日本一になってほしい」と後輩に想いを託し、中川は神宮を去った。
TEXT=永田育美 PHOTO=松本菜光花