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2020年プロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受けた村上(総4=智弁学園)。そんな彼にはセンバツVコンビとして共に名を知らしめた仲間がいた。高校、そして大学の7年間、エースを後ろから鼓舞し続けた相棒・納(総4=智弁学園)だ。村上を語る上で欠かせないこの男が、いま熱い想いを綴(つづ)る。
〜ルーキーズの出会い〜
智弁学園高校に入学したての時、夜に自主練習しようと僕たち新1年生が室内練習場に集められたんです。その時にピッチャーが全員で11人くらいいて、どんな球を投げるか。一人ずつキャッチャー相手に投げるのを見ていました。みんなそこそこ良い球を投げていたんです。でも最後の最後に頌樹(村上)が投げた瞬間、「これは勝てないな」って。周りも同じ気持ちでいたみたいで、それを境に半分はすぐに野手に集中するというのを鮮明に覚えています。それぐらい圧倒的な実力を当時から兼ね備えていました。
このピッチャーがいれば、自分たちの代は打てさえすれば全国相手でも勝てるんじゃないかなと感じたりも。案の定、甲子園優勝を勝ち取り、素晴らしい成績をおさめることが出来ました。
そんな頌樹ですが、やはりダメな時期もありました。2年生の夏前にその年の春優勝した平沼選手(日本ハムファイターズ)がいた敦賀気比高校と練習試合をする機会があったんです。途中までは優勢で、でも終盤に頌樹が打たれてしまって負けた試合。その試合後、監督さんに怒られた頌樹はすごく落ち込み、昼食も食べませんでした。先輩方も優しく声をかけてましたが、隅っこに体育座りで顔はあげられず。その時に、頌樹でも打たれるし、自分自身頌樹に頼りきりのところもあったので…。しっかりしないとって頌樹を壊してしまうという責任感がそこから出ました。あと言いたいのは、とても可愛かったです。
高校時代、本当に色々な思い出があります。しかし高校3年間を見ていて、投手として兼ね備えてる能力は他の選手とは違う、と感じてたのが本音です。
〜戦国東都の門戸をたたく〜
頌樹からボソッと、「1人で大学に飛び込むのは少し気が引ける」というのも聞いた事があります。「あ、一緒で嬉しいんだな」と勝手に思い込み、その時も可愛いなと感じました。個人的に大学では1年目あまり上手くいってなかったように感じてます。それでも頌樹は自分なりに考え、2年生からはコンスタントに結果を残すようになってました。
そこで確信しました。“上でも通用する”と。
そこからの成績は素晴らしく最終的には日本代表になりました。心の底からうれしく思い、壮行試合も見に行きました。
大学での頌樹は1段階も2段階も実力をあげ、本当に手の付けられないピッチャーになったと思います。ドラフト5位指名ですが、7年間ずっと頌樹を見ていてこれほど守ってて楽なピッチャーはいないと思ってるし、プロでも即戦力で投げられると思います。
〜プロへ進む相棒への期待〜
今までは、高校でも大学でも本当に自分の思ったことを頌樹に伝えてきました。でも、もう自分がどうとか言える立場ではないと感じています。本当にもう後はプロ相手に適応できるかどうか。あとはけがさえしなければ活躍出来ると信じています。
プロになっても頌樹らしく。素晴らしいマウンド度胸で立ち向かって行って欲しいと感じています。 そして、ありのまま頌樹でいて欲しいです。
自分が7年間感じていたことですが、頌樹が投げている時は、守っていてもいつも以上に楽しく野球ができます。こいつの為に打ってあげよう、こいつの為に守ってあげよう、そう思わせる愛されキャラなのでプロでもそうなると思います。大学3年の秋くらいから、「頌樹と野球出来るのも、後ちょっとか…」と寂しい気持ちで後ろを守っていました。
7年間、お前の後ろを守れてよかった。
野球もそうですが、ファンも大事にして、球界の愛されキャラになって欲しいというのが願望です。というよりなると思います!
東洋大学硬式野球部 納大地
◇プロフィール◇
村上頌樹(むらかみ・しょうき)
生年月日/1998・6・25
納大地(おさめ・だいち)
生年月日/1998・7・22
企画・編集=谷口遥菜