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第97回東京箱根間往復大学駅伝競走
往路 1月2日(土)大手町読売新聞東京本社前~箱根町芦ノ湖駐車場入口
復路 1月3日(日)箱根町芦ノ湖駐車場入口~大手町読売新聞東京本社前
総合3位 東洋大 11:00’56
往路2位 東洋大 5:30'22
1区(21.3km) 児玉悠輔 1:03'24(9位通過・区間9位)
2区(23.1km) 松山和希 1:07'15 (5位通過・区間4位)
3区(21.4km) 前田義弘 1:03'55 (5位通過・区間8位)
4区(20.9km) 吉川洋次 1:03'39 (5位通過・区間6位)
5区(20.8km) 宮下隼人 1:12'09(2位通過・区間3位)
復路9位 東洋大 5:30’34
6区(20.8km)九嶋恵舜 1:00’05(4位通過・区間14位)
7区(21.3km)西山和弥 1:04’54(4位通過・区間12位)
8区(21.4km)野口英希 1:04’15(3位通過・区間2位)
9区(23.1km)小田太賀 1:10’08(3位通過・区間7位)
10区(23.0km) 清野太雅 1:11’12(区間9位)
■コメント
1区・児玉悠輔(済2=東北)
(レースプランは)序盤は後ろに隠れてラストで抜け出し、先頭と見える位置で渡す。(レースを振り返って)ラスト3kmがかなりキツく、苦しい走りとなった。六郷橋で仕掛けるという良い経験が出来た。(スローペースになることは予想していたか)ハイペースになると予測していた。(ペースの上げ下げが著しい展開となったが)大きいところではペースの差が40秒/km程あり、苦しかったが1500mなどのレースが活きて上手く走ることができたと思う。(集団のなかでは)誰が苦しそうか、楽か、誰が抜け出すかと考えていた。(六郷橋辺りで一気に先頭付近まで出たが)上り坂が得意ではないので、相手のペースに出られてしまうと苦しくなると思った。自分から仕掛けてレースを動かそうとした。(1区で意識していた選手は)順大の三浦選手、早大の井川選手、東海大の塩澤選手、青学大の吉田選手。(良かった点は)2区の松山に走りやすい位置で渡すことができた。ラスト3km、六郷橋を下ってからの粘りが改善点。(西山選手から何かアドバイス等は)序盤は余計な動きをせず、六郷橋からのラスト3kmが勝負、重要だというアドバイスを頂いた。(全日本に続いての1区となったが)松山は上手く集団を利用するのが得意なので、なるべく集団の中で渡せるようにした。(初めての箱根駅伝は)昨年故障でメンバーに入ることができず、悔しい思いをしたので今年は走ることができて良かった。(総合3位という結果を振り返って)昨年10位からの上位返り咲きを掲げて1年間やってきた。清野がラスト巻き返したところで感動し、うれしかった。(今シーズンを振り返って)故障する事なく順調に走れてきたことが良かった。(4年生へ向けて)ずっとお世話になってきた先輩方だったので心から感謝している。(次は上級生となるが)今年度は最低限の仕事しかできなかったので来年度はもっと上を目指して引っ張れるようにしていきたい。(来シーズンへ向けて)箱根駅伝優勝、駅伝三冠。
2区・松山和希(総1=学法石川)
初めての箱根駅伝ということで、昨年の岸本さん(青学大)を参考に序盤は集団に付いて周りを利用しながら、15km過ぎから勝負していけるように考えていた。序盤はペースこそ予定よりは速かったが、集団の中で落ち着いてレースを進める事が出来た。自分で決めた通り15km過ぎから下りを利用して前に出ていったが、予想以上にキツくなってしまい、神大の選手が手招きをしてくれたおかげで粘ることが出来た。最後は前を詰めることができたが、あと1秒日本人トップに届かず、悔しい結果となった。(タスキを受け取ったときは)集団で来てくれることが理想だった。とても安心して走ることが出来た。(日体大の池田選手が出られた時は)まだ余裕があったので付いていくか迷ったが、上り坂がどの程度のキツさになるか分からなかったため、落ち着いて集団で行くことに決めた。(監督からは)権太坂の下りが終わった後、少しキツくなってしまい、ペースが一時的に落ちてしまった時、「ここは休む所じゃない、前、前!」と言われ、もうひと踏ん張りする事が出来た。(良かった点や課題点は)先程述べたキツくなってしまった部分で粘れたこと、ラスト3kmを1人で前を追えたことが良かった。課題点は、権太坂の上りで余裕があったので、もう少し攻めの走りが出来たと思う。元々2区は個人的にも走りたい区間であり、希望はしていたが、志願はしていなかった。走ると決まった時は、将来的にエースとして2区を走りたいので、良い経験が出来ると思いとても楽しみな気持ちになった。(東洋大としては10年振りの1年生からの2区となったが)これは他の選手から言われたことだが、「1年生で2区を任せられるのは信頼されているからだよ」と言われたのでその信頼に答える走りをしなければと感じた。(2区の1年生記録というのは意識したか)レースプランを考える際、昨年の岸本さん(青学大)を参考にしたこともあり、当然狙っていこうと言う気持ちはあった。あと少し届かなかったのが残念。(総合3位については)当初からのチームの目標が3位以内だったこともあり、非常にうれしかった。前評判では予想されていない順位だったこともあり、それを覆せたことは良かったと感じた。(初めての箱根駅伝は)小学1年生から走り始めて13年間夢見てきたレースだった。中継地点に来た時は、ワクワクと感動で心が高ぶっていた。(今シーズンを振り返って)前半は例年通りの悪い流れでけがが多く、思うように走れない時期があった。ここまで復活できたのは監督をはじめとするスタッフさん一同や、チームメイトのお陰だと思っている。最後、チームに貢献出来て良かったと思う。(来シーズンへ向けて)来年は駅伝だけでなく、トラックでも活躍できるよう頑張っていきたい。また、駅伝では今回の記録を超えて、同じ2区で6分台を狙っていきたい。
3区・前田義弘(済2=東洋大牛久)
(3区には)大会2週間前くらいに決まった。前半は余裕を持ちつつハイペースで入って、湘南海岸では耐えてレースを進めるレースプランだった。(レースを振り返って)前半で余裕を持つどころか一杯一杯になってしまい、自分を精神的にも追い込んでしまった。自分の心の弱さが出てしまったレースになった。(松山選手からのタスキリレーは)松山が良い走りをしてるのは分かっていた。先輩として流れに乗っていかないといけないという風に思って走った。(東海大の石原選手が抜けたときは)1年生に先頭を簡単いかれてはいけないと思ったが、向こうには迷いが何も無かった。その点で自分は迷いが出て、身体が反応出来なかったと思う。(単独走のときは)湘南海岸で先頭と詰めるしかないと思っていたので、ピッチを意識してペースを押していこうという考えに切り替えた。(吉川選手へどのような気持ちでタスキを渡したか)特にお世話になった先輩だったので、少しでも良い位置で渡すことだけを考えた。(結果について)みんなからはよく耐えた、粘ったと言ってくださる方も多くいたが自分は勝負する為にこの試合に臨んでいたので力不足を思い知る大会になった。ここの経験を三大駅伝につなげていければ今回の走りも無駄では無かったと思えると思うので、無駄にしないようにまた努力していく。(良かった点は)最低限の所でどんなに悪くてもまとめられる力は昨年より付いたと思う。あとは大きな舞台で力を発揮出来るようなメンタルの強さを養っていく必要があると感じた。(昨年の箱根と比べて成長した点は)攻めたレースが出来るようになったこと。(2度目の箱根は)箱根駅伝は特別な舞台だなというのをとても感じた。特にコロナ禍の大変な中、色々な方のご尽力のおかげで自分達が走れたことを忘れてはいけないと思った。(結果について)昨年10位という結果に終わったが、しっかり1年で定位置まで戻ってくることができた。来年は総合優勝を掲げて頑張っていきたい。(今シーズンを振り返って)イレギュラーなシーズンだったが、色々なことに感謝できるようになった1年だった。(4年生へ向けて)悩んだ時、落ち込んでいる時に相談を乗ってくださったのは常に4年生の方々達だった。精神的にも支えがいなくなってしまうが今度は自分が後輩や同期の心の支えになっていけたらなと思う。次は3年生となり上級生として責任を持って、チームを引っ張っていきたい。また、必ず箱根駅伝で優勝するという決意を持って挑んでいきたい。(来シーズンへ向けて)自分がチームのエースになるんだという気持ちで苦しい時も乗り越えていきたい。昨年の経験を生かし、東洋大の柱になれるように取り組む。
4区・吉川洋次(ラ4=那須拓陽)
(レースプランは)1年生の時に走った4区なので、コースの特徴はよく分かっていた。初めから突っ込むレースはせずに、落ち着いてペースを刻み後半で勝負する。レース序盤から勢いに乗る走りは出来なかったが、苦しさがなくなるまでペースが落ちないようにとにかく耐えた。同級生の給水がパワーになった。特に池田(済4=浜松日体)からは「絶対に諦めるなよ、ここからだぞ、出し切ってこい」と言われ、体も気持ちにももう一度スイッチが入った。(前田選手とのタスキリレーは)前田はチームでも特に信頼をおいている後輩。苦しい時は、前田に相談する事が多く弱い姿を見せられる数少ないメンバー。今年の7月はお互いにタスキをつなげるとは思ってもいなかった。最後の駅伝でタスキをつなげた事がなにより幸せ。(帝京大との並走は)レースが始まる前は「もしかしたら後ろから追い付かれるかも」という最悪な状況も考えた。実際に追い付かれた時は、思ったよりも冷静で、離された後も苦しかったが、最後まで確実に距離を詰めようと思っていた。(最後に東海大を抜いた時は)後半の5kmは、体も動き始めて本番前に監督からも切り替えるポイントとして挙げられていた。なにより、5区の宮下に1秒でも早くタスキを渡したかった。最後の1kmから東海大のユニホームが見えて、4年生として意地でも追い付く気持ちで走った。(監督からは)「最後の箱根駅伝だから、全てを出し切ろう」と言われた。(宮下選手とのタスキリレーは)宮下に負担をかけないように最低限前の見える場所で渡したかった。中継所で宮下が笑顔で待っていてくれた時、苦しいレースを耐えてよかったと実感した。(4区は1年生以来となったが)4区のコースは自分に合っているコースだと思う。1年生の時よりはタイムも遅く、当日のコンディションも難しい点があった。最後の箱根駅伝を4区で出走できたことに満足している。(総合3位について)箱根ランナーとしては総合優勝が最大の目標だと思うが、東洋大学の総合3位という結果には満足している。どの大学よりも価値のあるものを得たような気がする。(良かった点や課題点は)今シーズンの練習から考えると、もっと走れていなければいけないレースだった。自分の力を100%出せる選手になる事が課題。(長期間空いた中でのレースとなったが)昨年は自分にとって、山場の年だった。毎日落ち込む事が多く何もかも上手くいかなかった。チームの頑張りはプレッシャーだったし、参加できない自分に腹が立った。それでも、最後の箱根で一緒に走る事を目標に自分を奮い立たせて頑張ってきた。チームには自分が必要だという自覚も持ったし、なにより最後の箱根駅伝を結果で返す事が、監督・チームへの一番の恩返しになると思った。(東洋大で走る最後の駅伝となったが)自分は東洋でなければ、ここまで成長出来ることは出来なかったと思う。多くの人に心配や迷惑をかけたが、こうして最後の箱根駅伝を終えると、たくさんの人に愛されていたんだなと強く感じた。4年間という年月は思い返すと長く、辛い事ばかりだった。前回の箱根駅伝を10位という結果で終え、最上級生として不安と焦りを感じながら迎えた2020年だったが、コロナウイルスの影響で思うような1年が過ごせず、今日こうして無事に最後の箱根駅伝を迎える事ができたことに感謝している。これまで生きてきて、ここまで本気になれた4年間はないし、僕の人生の財産になった。(同期へ向けて)4年間の中で様々な思い出があるが、全てが新鮮でかけがえのない瞬間でした。一緒に過ごした4年間は一生の宝物です。(後輩へ向けて)大学生活では辛い事がたくさんあるが、東洋大には心強い仲間もいれば、最高のスタッフがいると感じている。与えられた環境を当たり前だと思わず、感謝の気持ちを持ってほしい。(監督へ向けて)4年間お世話になりました。最後まで監督の期待に応える走りは出来ませんでしたが、いつか監督も驚く選手になれるように努力します。本当にありがとうございました。
5区・宮下隼人(工3=富士河口湖)
昨年の通過タイムは意識せず、1つでも上の順位を目指すプランだった。チームは往路2位でゴールでき、うれしかったが区間賞を取れなかったので悔しい。(1区から4区を見て)調子が良さそうだったので、期待していた。(吉川選手とのタスキリレーは)入学時、1対1で寮のルールなどを教えて頂いたのが吉川さん。1番お世話になった先輩だったので吉川さんの頑張りを無駄しない走りをしようと思った。(駒大との並走は)一緒にトップを追おうと思った。(駒大と差を付けたときは)駒大さんより創大さんとの差を詰めようと思っていた。(監督からの印象的な言葉は)「ラスト1km2分50秒でいこう!」(風の影響は)あったが、風による寒さはあまり感じなかった。(往路の結果について)往路優勝をすることができず、悔しい。(2年連続の5区について)昨年同様苦しさもあったが、楽しさや走れるうれしさもあった。(総合3位という結果について)昨年の結果から3位に戻れたのはうれしいが、本来は優勝を目指すチーム。来年は総合優勝を目指したい。(今シーズンを振り返って)例年とは違った1年だったが、良い経験になった。(4年生へ向けて)3年間、たくさんの迷惑をかけてしまった。走りでの恩返しは全然できなかったので来年、総合優勝で恩返ししたい。(来年度は)個人の結果もだが、チームの結果を充実させたい。(来シーズンへ向けて)箱根駅伝で総合優勝し、笑顔で終われるようにする。
6区・九嶋恵舜(済1=小林)
(6区には)3週間前くらいに決まった。普段の練習から起伏のあるコースを積極的に使い、脚筋力を強化するようにした。今西さん(R1年度済卒=トヨタ九州)からは、スタート直前まで電話などで色々なアドバイスをいただいた。特に印象に残っているのは、「1年生らしく挑戦する気持ちで全力でいけ」ということ。(2位でのスタートは)宮下さんがとても良い位置でタスキをつないで下さったおかげで走りやすかった。2位争いをして勝たなければならないと思った。最初の上りの5kmとラスト3kmをポイントとして走るレースプランだった。特にラスト3kmは、ペースを落とさずに走ることが大事ということ。(レースを振り返って)最初の5km、ラスト3kmはしっかり走れたが、下りの走りがスピードが遅くタイムロスにつながってしまった。自分がチームの流れを崩してしまい悔しいレースとなった。また、来年リベンジしたいと思った。今回の反省を忘れずに克服し、チームの力にプラスとなる存在になりたいと強く思った。(駒大の花崎選手との並走は)いつ仕掛けてくるか、勝負のポイントを見極めながら走っていた。絶対に付いていかないといけないと思っていた。(監督からは)「失敗してもいいから思い切って走ってこい」と背中を押して頂いた。その言葉のおかげでチャレンジ精心で走ることができた。(西山選手へのタスキリレーは)前日に西山さんが電話をかけて下さり話す機会があった。そこで「俺に任せて、思い切って走ってこい」と言って下さり、その言葉のおかげで伸び伸びと走ることができた。西山さんには、フィジカルなど色々なことを教えて頂き、感謝の気持ちがあった。(初めての箱根は)箱根駅伝に出たいと目標いうだけでは、勝負できないと思った。来年までに、走って勝負するための実力をつけていきたいと思う。(三大駅伝も初出場となったが)大学に入り、テレビの中の世界が目の前に来て、タスキをつなぐというのを肌で感じたが、一人一人の走りというのがとても大事だと思った。悔しい気持ちを忘れずに、どうすればもっと速く、良い走りができるのか考えながら練習・生活していきたい。(今シーズンを振り返って)1年生らしく、伸び伸びと走ることができた。先輩方にチャレンジするという気持ちを忘れることなく、練習・大会を走ることができた。(来シーズンへ向けて)練習を継続させつつ、1年目より更に練習に対する質や姿勢のレベルを上げていきたい。箱根駅伝で勝負することを忘れず、個人の目標も高くしていきチームの軸となる選手に成長したいと思う。
7区・西山和弥(総4=東農大二)
(7区に決まったのは)1カ月前。(スタート時は)なんとか駒澤さんには追い付こうと思った。ペース等は気にせず、自分のペースで走ろうと思っていた。(レースを振り返って)入りに突っ込んでしまったが、それよりは気持ちで負けてしまった部分が大きい。(東海大に追い付いた時は)早めに追い付きたいと思っていた。(大森選手からの給水は)「前を追え!殻を破れよ!」と言われた。(監督からは)「1km1km大切にしろ!」と言われた。(初の復路となったが)アップダウンが多く、タフなコースだと思った。(4年間の箱根を振り返って)最後は良い形で終われなかったが、4年間箱根駅伝に成長させていただいたと思う。(東洋大での4年間を振り返って)人間として成長をさせてもらった。(学んだことは)素直な心を持つということ。真面目で真剣に陸上競技に取り組める、素晴らしいチームだった。陸上競技者としてだけでなく、人として成長をさせていただいた。(同期へ向けて)この同期でなければ自分は腐っていたかもしれない。どんな苦しい時も諦めず競技に取り組めたのは、同期20名一丸となって支え合えたから。(後輩へ向けて)来年は十分総合優勝が狙えると思う。迷惑ばかりかけてすみませんでした。競技者としてだけでなく、人としても素晴らしい人になってください。(監督へ)4年間、大変お世話になりましたが最後までご迷惑をおかけいたしました。この4年間で学んだことを、次のステージに活かしたいです。
最後に、コロナ禍で箱根駅伝を開催してくださり、そこに参加させていただき感謝いたします。テレビの前でたくさんのご声援、ありがとうございました。
8区・野口英希(工4=松山)
(8区には)12月26日頃に決まった。(走る時と決まったときは)気負わず、自分の走りで貢献しようと考えていた。(西山選手からのタスキリレーは)西山が必死になってつないでくれたタスキを、良い形で次に渡すことだけを考えていた。(レースプランは)序盤の10kmまでは後半に備える走りをし、遊行寺の坂を上りきったあと、いかにペースを落とさず走れるかを意識した。(レースを振り返って)8区のポイントとなるのは遊行寺の坂だが、予想より遊行寺の坂を上った後がきつかった。特に、遊行寺の坂でダメージを抱えたまま迎えるラスト1km手前の坂は大変だった。(3位になった時は)東海大に追い付けたことは素直にうれしかった。ただ、ここまま後ろに付かれて使われてしまわないように、注意して走った。(監督からは)走っているペースから、区間賞が狙えるかもしれないと言われた。自分の走りはストライドが長くなるとスピードが落ちるので、ピッチを上げようと指示された。(小田選手へのタスキリレーは)小田が見えた安心感と、順位を1つ上げて渡せたことのうれしさで思わず笑ってしまった。「いけ!」と伝えてタスキを渡した。(タイムについて)序盤10kmを慎重に走ったので、10kmの通過タイムは予定よりも少し遅めだった。その分が速ければ区間賞狙えたかと思うと少し残念だが、少しでも後輩たちの刺激になればうれしい。(2年生以来の箱根エントリーとなったが)私の場合、1年、2年とエントリーされてはいたが、エントリー後の練習があまり出来ず、走ることはできなかった。4年生になり、自分たちのチームという意識がより強くなり、今年は一つ一つ練習を大切にしてきた。(初めての箱根は)箱根駅伝は自分の中で夢の舞台という意識が昔はあった。しかし、いざ走ってみるとほぼ単独走のタイムトライアルをしている感覚だった。復路は1人で走る力が試されると言われる意味が分かった。(三大駅伝も初出場となったが)自分の場合、暑さが苦手で夏は最低限の走りしか出来ない。その代わり、この冬の時期は調子が毎年上がる。その影響で、箱根駅伝のみエントリーの経験がある。(4年間を振り返って)もったいない時間を過ごしてしまったなと、反省することの多い4年間だった。3年生のこの頃、陸上競技が嫌になってしまい、練習がこなせない時期があった。当時にも、楽しむ余裕を持って練習に取り組んでいたら結果が変わったかもしれないと思うと、もったいなく感じる。(東洋大はどのようなチームか)去年までは、主力に頼り切った中間層の薄いチームという印象だった。自分自身も、あまり力を伸ばせていなかった。今年は、1つ下の腰塚が全日本に出走しているのを見て、全体的な底上げが出来ているのではないかと思う。4年間を通して、自分や周りを客観的に捉えられるようになったと思う。東洋大の選手だけでなく、色々な人の考え方に触れて、自分の考えを持てるようになった。(家族へ向けては)私の場合、3年の3月から4年の11月まで自宅生になった。その時は、食事などの生活面や、競技に対するアドバイスでサポートして下さり、感謝している。(同期へ向けて)4年生には本当にお世話になった。自分は調子の良し悪しが激しく、皆に迷惑をかけたことも多かったと思う。だが、そんなときもいつもと変わらずに接してくれたメンバーに感謝している。(後輩へ向けて)先輩として未熟な自分でしたが、付いてきてくれた後輩達にも感謝している。ありがとうございました。(監督へ)箱根メンバーに起用することに対して不安材料が多い自分を、信じてエントリーして下さった事に感謝している。今年は4年間やって良かったと思えた年だった。ありがとうございました。
9区・小田太賀(済4=浜松商業)
最初で最後の箱根駅伝なので後悔のないようにしたいと思い、チームのために1秒を けずり出す走りをしたいと思っていた。(野口選手とのタスキリレーは)野口がいい走りをしたので、その頑張りに応えられるように自分もいい走りをしようと思っていた。(レースプランは)後半で大きく崩れないように自分のリズムで走ることを意識した。後半で他のチームとの差を縮めたり広げたりできるようにしようと考えていた。スタート前はすごい緊張しましたが、走り出してからはとても楽しかった。目標としていたタイムよりも遅かったので少し悔しい。(レース中は)少しでも前との差を詰めて、後ろとの差を広げられるようにしようと考えていた。(監督からは)後半でしっかりとペースを上げていこうという指示などがあった。最初で最後の箱根駅伝だから後悔のない走りをしろと言われたのが印象に残っている。(昨年9区を走った大澤選手からは)半分を過ぎてからかなり苦しくなるけれど、そこで大きく差が付くから頑張れと言われた。(給水の小倉選手からは)残りの走りを楽しんでと声を掛けられた。(初めての箱根は)すごいあっという間でとても楽しかった。(箱根は)緊張感や雰囲気など普段のレースとは違うものがあった。(4年間を振り返って)色々あったが、素晴らしい同級生に恵まれてとても良い4年間を過ごすことが出来た。3年生まではあまり結果を出すことが出来なかったが、最後の年に結果を出すことが出来て良かった。競技者としてタイムなどの成長よりも、人間として多くのことを学び成長することのできた4年間だったと思う。人として大きく成長することが出来たと思う。4年間の経験を活かして、社会人として頑張りたいと思う。(同期へ向けて)最高の同期でした。(後輩へ向けて)コツコツと練習を続けていれば結果はついてくると思う。最後まで諦めずに頑張ってほしい。(監督へ向けて)4年間本当にお世話になりました。監督のもとで過ごした4年間はかけがえのないものであり、学んだことをこれからの人生に活かしていきたいと思います。
10区・清野太雅(済2=喜多方)
前後の大学と1分以上離れていたので、最初の5kmはオーバーペースにならないように走り、5km以降は1km3分で刻んで確実に3位を狙うプランでした。目標タイムは1時間9分00秒でした。(レースを振り返って)今までずっと練習を継続出来ていた。当日も身体の状態も良かったので目標タイムを出せると思った。しかし、スタートして3km辺りからペースが思うように上がらず目標より2分以上遅いタイムで走ってしまい悔いが残るレースとなった。向かい風や単独走に対する苦手意識があり、まだまだ実力不足だと痛感した。(昨年のエントリーから今回が初出走となったが)素直に嬉しい思いと駅伝初出場という緊張の半々だった。(10区へのプレッシャーは)少しだけあった。(青学大との並走は)1区から9区までの選手が素晴らしい走りをして3位でタスキをつないでくれたのに自分で4位に落とすわけにはいかないと思った。1度離されたが、差が広がらなかったので、絶対にもう一度付けると思った。(監督からは)あまり覚えていないが、「4年生がここまでつないできたタスキだぞ」と言われたことで諦めずに走れた。(最後に青学大を振り切ったときは)最後まで諦めなくて本当に良かったと思った。(3位でゴールしたときのお気持ちは)何とか3位でゴールすることが出来て安心した。青学大に1分以上差をつけてくれた1区から9区の選手の走りに感謝しかない。(チームの結果については)総合3位以内を目標にしていたので、達成出来て良かった。強い東洋を取り戻すための第一歩になったと思う。しかし、東洋大が目指すところは総合優勝。今回の結果に満足せずこれから練習していきたいと思う。(初めての箱根駅伝は)夢であった鉄紺のユニホームで箱根駅伝を走ることができて本当にうれしかった。(どのような経験になったか)改めて駅伝の難しさを実感した。今後、駅伝を想定した練習をしてどんなレース展開にも対応できる力を付けたいと思う。そして三大駅伝全てに出場したいと思う。今シーズンは大きな怪我なく練習することが出来た。5000m、10000m共に自己ベストを更新して成長を感じることが出来た。コロナ禍で色々制限のある中で満足のいく練習は出来なかったが、そういった状況だからこそ練習をできる喜びを改めて感じた。(4年生へ向けて)今年は新型コロナの影響で異例の年になり、チームをまとめるのが本当に難しかったと思うが強い東洋に導いて頂きありがとうございました。(来年度は上級生となるが)力のある下級生がそろっているので、負けないように上級生の存在感を出していきたい。(来シーズンへ向けて)東洋大学は3位で満足するチームではありません。来年は総合優勝します。
・大森龍之介(済4=佐野日大)
(主将としてチームを振り返って)コロナ禍で非常に厳しい中でもみんながよく耐え忍んで結果を出してくれて、感無量。目標としていた3位で無事に終えることができてほっとしている。(どのようにチームを立て直してきたか)「回帰と挑戦」をスローガンとして掲げ、一人一人が陸上とより向き合うようになったと思う。自宅待機中はそれぞれの地域での練習環境に差があり、足並みを揃えることが難しかった。目標とするレースも無く、チームをどう持っていくか苦労した。(主将として意識した点は)どんな主将だったら付いていきたいと思うか、どんな言葉を掛ければ心に響くか相手の立場になって考え、行動や言動に移すようにした。(頼りにしていた部員は)中西唯斗(主務)1年生の頃からマネージャーとして仕事をしていて、影の功労者だと思う。(仲間の走りを見て)とても頼もしく、羨ましくもあった。野口の走りと清野の抜き返してのフィニッシュは痺れた。(西山選手への給水では)「お前こんなところで何やってんだよ。自分で殻を破るんだよ。あと5kmで終わっちまうんだぞ」と厳しい言葉を掛けた。本人も驚いていたそうです。(東洋で過ごした4年間は)とても苦しく、辛く、自問自答の日々だった。私が期待されていたようにしっかり走れていれば西山の負担も減らすとこができたのではという思いもある。それでも周りの仲間に恵まれ、支えられて4年間頑張ることができた。(東洋大は)歴史と伝統があり、常に上を目指さなければならないチームだと思う。それと同時に非常に応援されているチームだということも感じ、それに応えなければならないと思った。(同期へ向けて)ここまで支えてきてくれて本当に感謝している。辛い時も悲しい時も楽しい時もうれしい時もみんなと分かち合うことができて幸せでした。大好きです。(後輩へ向けて)こんな出来の悪い主将でしたが、みんなに付いてきてくれてありがとうと伝えたい。東洋大は優勝しなければならないチームであり、みんななら優勝できるチームになれると思う。常に冗談を言うようなふざけた主将でしたが、笑顔は大切なことだと思う。これからもみんなの笑顔が見たいです。いちファンとして応援しています。(監督へ向けて)東洋大へ誘ってくださり、4年目には主将という役割を任せてくださってありがとうございました。西山、吉川とともに期待したいただいていたのにも関わらず、走ることができずに本当に申し訳ありません。次のステージでチームに刺激を与えられるような結果が残せるように頑張りたいと思います。
・大澤駿(済4=山形中央)
今シーズンは、9月にチームに合流した。始めは、全く思うように走れず、今年はメンバーに入ることすら出来ないと思うことが多かった。しかし、期待してくれる人達や、覚悟持って戦っている仲間の姿を見て、自分も頑張らないといけないという気持ちで、最後の箱根駅伝まで頑張ることが出来た。全日本大学駅伝が終わってから、坐骨神経痛を患った。11月中旬から、毎日が痛みとの闘いだった。みんながたくさん走りこんでいる中で、自分は何をしているのかと自問自答する日々が続いた。箱根まで、調子は戻していくことはできたが、やはり走り込みが足りなかった。でも、自分は今回の出走メンバーがベストだと思うし、走らなかったが今回の結果はとてもうれしく思う結果だった。4年間、思い返すと辛いことの方が多かった。1年生の時は、毎日帰りたいと思っていた。そんな辛い日々の中にも、仲間との楽しい思い出や、支えてくれた人達の顔が思い浮かぶ。この4年間で、心も体も本当に強くなれた。監督、コーチ、スタッフ、そして何よりもチームの仲間に本当に感謝したい。(東洋大で学んだことは)まず、入ってきて叩き込まれた、挨拶や礼儀、凡事徹底の、人間としての基礎、基盤を学ばせていただいた。それがあっての競技生活だったが、学年毎に色々な責任や、役割があり、4年になる頃には、人として自分の在り方を見つけたように感じる。もちろん、競技の力も強くなったと感じる。同期には、本当に感謝している。この同期だったからこそ、やってこれた自分がいるし、今回の総合3位に返り咲いたと思う。自分たちの学年は本当に仲がよく、性格の良い人間が集まったと思う。これからも関係が続いていくと感じる。後輩を見ていると、かつて自分がその時の学年だった頃を思い出す。成長した点で述べた通り、学年毎に役割があり、その時やるべき役割を学年全員で理解し、こなしていくことに目を向けて欲しい。また、横のつながりを大切にして欲しい。チームではあるが、引退した時、本当に自分の財産になるのは同期だと思う。そして、更に強い「鉄紺」を築いていって欲しいと思う。来年にとても期待している。(監督へ向けて)一言で伝えるとすると、「感謝」という言葉が出てくると思う。監督は、一人一人にしっかり向き合ってくれる。自分も本当に正面から向き合って頂いた。自分はあまり尊敬する人は?と聞かれると、いないと答えてきたが、今は尊敬する人は?と、聞かれたら、酒井俊幸監督と答えます。それくらい、自分を変えてくれた縁だったと思う。4年間という間でしたが、ほんとにありがとうございます。