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「箱根でいい顔で走っている姿を見せられるように」。昨年の箱根駅伝(以下、箱根)後、卒業生への思いをこう語った?川(ラ4=那須拓陽)。11年連続3位以内というチームの記録を更新することができず、翌年への決意をあらわにした。しかしその裏には、最上級生になる不安と焦りがあった。
出雲ではアンカーで初の区間賞を獲得
2017年に大学に入学してすぐさま急成長を遂げた?川は、ロードの適性を最大限に発揮しその年の三大駅伝全てに出場した。初戦の出雲駅伝(以下、出雲)を4区区間4位で堂々の駅伝デビューを飾ると、全日本大学駅伝(以下、全日本)では1年生ながら最長区間の最終8区に抜擢。他大学の上級生が名を連ねるなか、唯一の1年生アンカーが区間4位で伊勢路を駆け抜けた。続く、年明けの箱根では、初出場ながら4区区間新記録を更新しチーム4年ぶりの往路優勝に貢献した。初めての舞台で怯むことなく挑戦し続けることで「すごくたくさんのことを吸収できた」と着々と自信をつけた。2年次には全日本こそ出場はならなかったものの、出雲で6区区間賞を獲得。箱根では3区を全うし2年連続往路優勝を果たした。その勢い付いた走りは周囲をも刺激し、チームに欠かせない選手となっていた。
2年生では、3区を任された?川
しかし翌年、3年生になった?川が再び鉄紺のタスキをかけたのは1年ぶりの箱根だった。故障に悩まされトレーニングを思うように積むことができずにいた。出雲、全日本と出走がないままの箱根は「自分に何回言い聞かせようとしても気持ちがどうしてもぶれてしまう」と、拭いきれない不安とともにスタートラインに立った。東洋大は先頭から大きく離れており、レースは例年とは異なる順位での展開。3区の?川は7位から流れを取り戻したいところだが、後方からの選手にリードを許してしまい10位でタスキをつなぐ苦しい走りとなった。レース後、コンディションは決して悪くなかったとしながら「勝負にならなかった」「もう1度切り替えていい顔で終われれば」と冷静に振り返り、最後の1年を意気込んだ。
ところが、その約2ヶ月後から新型コロナウイルスの影響で前例のない環境に置かれた1年は「山場の年」となった。チームとの差にプレッシャーを感じ、暗然とする日が続いた。主将の大森(済4=佐野日大)は「目標とするレースも無く、チームをどう持っていくか」と、足並みをそろえることに苦戦していた。そんな、何もかもがうまくいかない日々にも「最後の箱根で一緒に走る事を目標に自分を奮い立たせた」と、?川の信念は揺るがなかった。出雲は中止となり全日本への出走はなかったが、最後の箱根で、往路優勝を果たした3年前と同じ4区にエントリー。今年は、監督やチームへの恩返しを誓い、スタートラインに立った。前半から上位でレースを繰り広げる東洋大。3区の前田(済2=東洋大牛久)は5位で平塚中継所に駆け込んだ。辛い時の相談相手であるという後輩、前田とのタスキリレーは?川にとってなにより幸せな瞬間だった。激しい混戦の中、後方からきた帝京大に追い抜かれるも、プラン通りに淡々と自身のペースを刻む。後半の苦しい中切り替えなくてはならない局面で、起爆剤となったのは同級生からの力水。「絶対に諦めるなよ、ここからだぞ、出し切ってこい」と声を掛けたのは、競歩部門で活躍する同じく4年生の池田(済4=浜松日体)だ。チームメイトの声援を一身に背負いながら、監督からポイントとあげられていた後半5kmでスパートを掛ける。そして残り1km地点、平塚では前方にいた東海大が見えた。「4年生として意地でも追い付く」とさらに追い込み5位に浮上すると、笑顔で待つ5区宮下(工3=富士河口湖)へタスキをつないだ。
見事、総合3位に戻ってきた東洋大。
箱根総合10位から始まった茨の道を、先陣をきって開拓した4年生は引退し、また新しい鉄紺が構築される。「どんな苦しい時も諦めず競技に取り組めたのは、同期20名が一丸となって支え合えたから」と西山(総4=東農大二)。また、けがの影響で出走とならなかった大澤(済4=山形中央)も「この同期だったからこそ今回の総合3位に返り咲いた」と、学年の団結の強さを語った。戦国駅伝に加えてコロナ禍が重なる厳しい状況下で、強い東洋は復活を果たした。
「箱根ランナーとしては総合優勝が最大の目標だと思うが、どの大学よりも価値のあるものを得たような気がする」。今年の箱根路を走った?川の明るい表情は、卒業生にも届いただろう。
TEXT=水越里奈