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2022.12.29
硬式野球

[硬式野球]「マネージャーは東洋の顔」芳賀優太主務が過ごした硬式野球部での大切な4年間

2022年硬式野球部特集の最後を飾るのは、今年度主務を務めた芳賀優太(法4=宮古)。1年秋に選手からマネージャーへ転向し、裏方として硬式野球部の為に尽くした。「チームに貢献できるなら」。彼の口から紡ぎ出されるのは、硬式野球部への愛だった。(取材日・11月19日、聞き手=宮谷美涼)



ーー初めに、東洋大に入学したきっかけを教えてください

高校の時のOBに紹介してもらって、それで練習会に行って、入学したって感じ。


ーー選手入学ということですが、入ってみていかがでしたか

レベルの高さを知ったというか、県立高校から私立の大学に入るってことで、もっときつくなるということはわかってたけど、個々のレベルの高さとか、改めて実感したね。小口(法4=智弁学園)、羽田野(法4=汎愛)は「えぐいな」とは思った。


ーーマネージャーになった経緯を教えてください

腰のけがっていうのもあるけど、秋の面談で監督さんから、「選手じゃなくて、マネージャーとしてチームを」って言われて。もともと「チームのために」とは思っていたから、「チームに貢献できるなら」という意味でマネージャーになったのかな。


ーーマネージャー転向の話を打診されたときは

言われたときは「4年間ずっと選手として活躍したい」と思って東洋に来たから、ショックっていうのはあったけど。「結果、チームのためになる」って思えば、選手としての4年間より、マネージャーとしてチームに貢献しつつ、自分のためになるかなって思ったから、損的な感情は無かったかな。



ーーマネージャーとなって、変化はありましたか

選手の時は、「自分が良ければいい」っていう感じで思ってたけど、マネージャーっていう立場になって、周りが見えるようになったかな。選手の時は、目の前のことだけだったけど、マネージャーになったことで、広くが見えるようになった。監督にも「選手が気づかないところに目配りとか気配りしなきゃいけない」って言われていたし。




ーー選手からマネージャーということで意識していたことは

(自分は)選手の立場が分かるマネージャーだったから、選手たちの気持ちも分かっていたから、ある意味選手の立場にもなりつつ、スタッフ陣としての対応もしつつやっていたのかなと思うね。


ーーマネージャーとしてベンチ入りするようになってからは

2年生の秋が初めてだったから、いろいろ教わりながら。1年生の春と秋は選手として、ベンチ裏に入ったりの作業はあったけど。選手とマネージャーの動きは全く違っていたから、先輩につきっきりで教わりながら、「これどうすればいいんですか」って。何のミスがもないように、もうしつこいぐらい聞いて、覚えて。ベンチ裏の選手が滞りのないように、動いたり、荷物運んだり。(リーグ戦の)前日とか、2日前ぐらいだと、荷物の準備とかして、欠品とかあったら、先輩に言って、買出しに行ってもらったりしてたし。忘れ物が絶対にない状態にしないといけなかったから。


ーーベンチ裏での主な仕事は

(試合前に)荷物を運んで、その整理と、チーム道具をある程度決まった位置に置いて、ジャグを作っておいて。それが乱雑になると選手も分からないから、チームの道具をある程度綺麗にそろえて、置いていた。



ーーマネージャー業で大変だったことは

下級生の時は、掃除かな。来客が来た時、第一印象が寮の雰囲気というか、グラウンド周りがどうなっているかとか、よく見られることが多いから、そこで汚いと思われたくなかったから。そういう教えも先輩から受けて、しっかり先輩に学びながら、いろいろ教えてもらいながら、やってたっていうのが、下級生はそれが一番かな。


ーー「先輩」という言葉が多く出て来ていますが、一番教わったことは

「周りから、どう見られているか」なのかな。寮の掃除だってそうだし、言葉遣いだって、敬語の使い方とか。電話対応の仕方だって相手の顔が見えないからね。「他者からどう思われるかとか」ということは、一番先輩から学んだのかな。


ーー「周りからの目を気にしなさい」ということでしょうか

 第三者から見られたときに、その人がどう思うかは、その人によって違うわけじゃん。対面で見る印象が第一印象の人もいれば、電話で対応する印象が第一印象の人もいるわけであって。電話対応が雑で、「対応が悪い」って思われたら、「俺のせいで東洋が」って言われるかもしれないから。マネージャーが、来客や初めて来るお客さんに対しては、東洋の顔になるというのもあったし、監督からも「マネージャーが東洋の顔」って言われていたから。そういうのもあって、「他者からどう思われてるから意識しろ」というのは先輩の教えを受けてた。


ーー杉本監督からは、どのような言葉をいただいていましたか

監督の言った、「東洋の顔」はそういう意味もあったのかなと思う。あと、監督がよく言う「目配り、気配り」は、そういうことも含めなんだろうなと。マネージャーだから、周りを選手以上に見て、なんかあったら言うようにって言われていたから。最初のうちは、それを言葉だけで理解していたけど、上級生になるにつれて、監督が言った意味がこういう意味だったのかって思ったな。



ーー主務になってからは

4年になって、主務っていう枠で仕事させていただいて、オープン戦の打ち合わせとか、監督、コーチ、首脳陣の言ったこととか、自分らマネージャーで思ったこととか言ったり、OBの対応、来客の対応、送迎とかもやったり、4年はやっぱり、主務の仕事もしつつ、後輩たちの育成をしたのかなとは思う。田尻(法4=九州学院)にも支えてもらいながら、4年2人だけのマネージャーだったから、後輩マネージャーと、女子マネージャーがいてくれてて、しっかり支えてくれたから、やり切れたのかなと思う。



ーーマネージャーをやっていて、楽しかったことは

4年では、主務でスコア書いていたから、チームの勝ちに貢献しているわけではないけど、チームが喜んでいる輪の中に、ベンチでいれたっていうのが、一番うれしかったことかな。(居場所は)2部だったけど、2部優勝できて、入替戦もいいとこまでいけて。本当は1部に上がって引退したいっていう思いが特に4年は強かったと思うけど、チームの輪の中に入れて、オープン戦でもリーグ戦でも勝利を一緒に喜べたっていうのは、一番楽しかったのかなと思うな。



ーー一番印象に残っている試合はなんでしょう

秋の専修1回戦しかないな。俺の野球人生の中でも、一番の試合だったと思う。専修は1勝したら優勝だし、うちは3連勝したら同等というような立場だったから、選手も緊張していただろうけど、ワクワクの方が大きかった。その時は、チームの状況を見ても、負ける気がしないというか、いい雰囲気で試合に臨めていたし、みんなの顔もよかったから。不安はなかったって言ったら嘘だけど、このチームならやれるなって思ってたから。だから、あの試合が一番だよ。




ーー学んだことは

たくさんあるけど、選手では絶対経験できないようなことをたくさんさせてもらえたことが一番。勉強になったと思う。マネージャーなんて、お金の管理とか、来客の対応とか、電話とか、パソコン業務もあったから、社会人0年目みたいな感じで、早めに選手よりは経験させてもらえたのかなっていうのが一番。普通、選手でやってたら気づかないようなことにもマネージャーをやってて気づけるようになったから、そこが一番なのかなって思った。



ーーリーグ戦ではじゃんけんでの敗北で3回戦はほとんど先攻でしたね

じゃんけんの春は、専修、拓殖、中央だ。で、負け、勝ち、負け。で、秋は国士大に負けて、専修に負けて。で1勝4敗。まあ、勝てなかったです(笑)。勝ちたかったよ(笑)。チームとしても後攻がいいっていうのがあったから、選手としても楽っていうのがあったから、選手に一言いっていいのなら、「申し訳ない」としか言えん(笑)。勝ちたかったけど、勝てんかった。


ーー試合前日から悩んでいましたよね

じゃんけん弱いって思ったことないし、強いと思ったこともないけどね。申し訳ないとしか言えない。最後は選手も「負けたんでしょ?」っていうレベルだったから。橋本吏(総3=花咲徳栄)は、「芳賀さん先攻なんで、点取ってきます!」とか言ってくれたから。まあ、変に考えすぎず、結局先攻で勝ってたしね。勝てたのは、じゃんけんのおかげといっておこう(笑)。


ーー芳賀さんにとって東洋大学硬式野球部とは

名言みたいなの載せたいなあ(笑)。4年間という短い期間ではあったんだけど、たくさんのことを学ばせてもらったことかな。だって、東洋に来ていなかったら、こういう強い私立高校から来ている人と巡り合えることはなかっただろうし、マネージャーという道を示してくれた監督にも出会えて、いろいろな外部の方とつながりもあって、人脈も広まったというか、たくさんのことを学ばせてもらえたもので、大切な存在というか。そういうような感じかな。


ーー小口世代はいかがでしたか

小口世代は、最高だったと思う。監督やコーチ陣は、4年になった小口世代はどうなるんだろうって、不安はあっただろうし、選手たちも思ってたと思うけど。振り返ってみたら、4年間あいつらと生活をしてみて、この仲間でよかったなと思うかな。おもろかったしね。あいつらと一緒にいて。つまらんことはなかったし、暇なときはないし、最高におもろい毎日を過ごさせてもらったなって思う。



ーー同期とは離れ離れになりますが

寂しいね。会えないわけではないけど、各方面でみんないろいろ活躍するわけだから、応援は絶対するし、できれば会いに行って、社会人で試合に出ている人に応援はしに行きたいし、普通の社会人人生を歩む人にも、会いたいというか、一緒に俺も野球から離れるけど、頑張ろうという気持ちはある。


ーーそれでは最後に、後輩に一言お願いします!

1部復帰をして、ぜひ神宮で後輩たちにはやらせたいって、俺は思っていたけど、まあその願いはかなわなかったから、1部復帰をして、日本一になってほしいっていうのと、まあ、その野球がすべてってだけじゃなくて、大学生活っていうのもあるから、何事も楽しめ、ぐらいかな。


◇プロフィール◇

芳賀優太(はが・ゆうた)

生年月日/2000・9・29

身長・体重/173㌢・59㌔ 

岩手の好きなところ/自然豊かなところかな。山・海・川もあって、のんびり生きられる。

釣ってうれしい魚/カレイ (自分でさばいて、カレイの煮つけは、お母さんに作ってもらう)