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2023.02.02
コラム

第805回 私の2年間のスポトウ日記 執筆者・宮谷美涼

 お久しぶりです。最近のあまりの寒さに震えあがっている宮谷美涼です。去年の今頃、先輩たちの引退コラムを読んで、「1年後、こんなに書けるわけないよ」と思っていましたが、そこからいろいろありすぎた1年間を過ごしました。書きたいことを全部書いたため、ものすごい長い引退コラムとなっています(笑)。ご了承ください。



 私の初めての対面取材は、神宮球場でした。当時は野球にあまり興味がなかったのに、何週間も前から、なぜかワクワクが止まらなかったんです。そして訪れた2021年3月30日、私の対面取材デビュー日です。あの日の景色は忘れもしません。同学年の細野晴希が初先発して、試合には負けたけど、一生懸命プレーする野球部の姿に一瞬で惹きこまれちゃって。衝撃でした。


 2戦目を終えて、カメラがほしくなった私は、次の週に買いに行って、何も知識もないまま、とりあえず性能の良さそうなカメラを買いました。すごく重くて、ずっと肩こりに悩まされてました(笑)。


 そこからは、自分のカメラを持って神宮球場に行くようになりました。もう試合が行われるのが本当に楽しみでしょうがなくて。キラキラしている選手たちを見るのが本当に楽しくて。幸せをもらっていました。


高かったこのカメラ


 そんな中、衝撃のニュースが舞い込みました。無観客試合です。なんとか学生記者たちは球場に入れていただき、客席から見ている形でしたが、周りに誰もいない中、撮影するのが本当に淋しくて。


 無観客試合初めての国学大1回戦。ちょうど私のいる一塁側が日陰で、風も吹いてきて、もうすぐ5月なのに、すごい寒くて。そんな中、一人で試合を見ていると、球場全体を襲う陰が巨大な魔物のようで、孤独を感じました。


この日は本当に寒かった


 あの時、日本青年館が夕陽に照らされてオレンジになっている姿がなぜか頭に残っています。「何万人も入る球場で、こんな静かに野球が行われるんだ」ってなんとも言えない気持ちになりました。今となっては、こんな経験した人そうそういないと思うので、誇らしいです(笑)。


 秋になってからは、2部の球場を巡ることになりました。入替戦という目標がない中、イレギュラーなシーズンでの2部は異様なもので、不思議な感覚でした。スポトウ1年目が終わり2022年。オープン戦が始まる3月がようやく訪れました。胸を弾ませながらオープン戦に行って、びっくりしたんですよ。みんなが生き生きしていて。あの雰囲気を見て、「毎日来よう」って思ったし、そこからは今の自分が引くくらい記事書いてますね。愛があればどこまでもできるんだなって実感しました。


グラウンドの桜は本当に綺麗


 そうして始まった春のリーグ戦。とにかく選手が輝いていました。その姿をベンチのすぐ横で見ることが本当に幸せで。でも、毎回ドキドキでお昼ご飯が入らなかったり、みんなのキラキラした写真を見ながら記事を書いてたら、日が昇ってたこともありました(朝5時)。それほど、あのチームに夢中だったんだと思います。2部優勝したときは、「また神宮に行けるんだ」ってここからどのような景色を見せてくれるのか、ワクワクが止まりませんでした。


 それでも最後はまさかの形で崩れ去りました。入替戦の3戦目、最後に打球が抜けていった瞬間、選手たちが目の前で崩れていきました。あんなに頑張ってきたのに、最後はこんなんになっちゃうんだって、落ち込む顔はもう見たくなかったから、本当にショックでした。でも、私は記者で写真を撮らないといけないから。泣きじゃくる選手たちを写真に収めるのは本当に辛くて。気がつけば、カメラ席にいるのは自分だけでした。いまだに私の写真フォルダには、あの場面の写真が何百枚も残っています。辛いから見ないのに、なぜか消せないです。


 入替戦が終わって、気持ちが落ちていた時に知り合いの方に、「はつがいでイベントやるらしいよ」とお話を伺って。それで彼らの顔をただ見たいがために、勢いで「行きます!」って言ったけど、過去、選手がラーメンを食べる企画なんてやったことないし、「やっていいのか?」って思いつつ、ノープランのまま、鶴ヶ島に行きました(笑)。東上線に乗ってるとき、「何すればいいんだろう」とか、「選手はそもそも話してくれるかな」といった不安が多くて、正直、Uターンしようかなとか思っていました!(笑)。


冬に食べて美味しかったけど、名前忘れた


 最初4年が来た時、オーラがすごくて「これはやばい」と思ったけど、一回、選手と話したらもう止まらなくなっちゃって(笑)。そこから学年、レギュラー問わず、いろいろな人に話しかけている自分がいました。気がついたら、自分が一番楽しんでいて、終電ギリギリまで席で選手と話し込んでいました(笑)。おかげさまで帰りはルンルンでした。カズさん、本当にありがとうございます(笑)。


 また野球部取材で、様々な所に足繁く通う中、親しくしてくださった方がいました。広報の金水和昭さんです。金水さんとは、無観客開催の時に、初めて声をかけてくださって、そこから交流が始まりました。


 今年度に入ってからは、試合中もお話ししながら一緒に写真を撮ったり、試合が終わって球場から過去の東洋大野球部の話をお聞きしながら大学に向かったりしていました。金水さんとお話するのがめちゃくちゃ楽しくて。金水さんがいない日は淋しさを覚えるくらい、私の野球部取材を豊かにしてくれる方でした。


 「俺30年カメラマンやってるんだよ」と伺ったとき、カメラマンという形で野球部を支えてきた金水さんにスポットライトを当てたいと思いました。そして何より金水さんが見てきた30年を知りたいという思いがいちばん大きくて。スポトウとしても、過去の歴史を広報目線で振り返ることはないから、やってみたら面白そうだなって、好奇心が止まらなくなり、金水さんに声を掛けさせてもらいました。


お世話になりました


 気がついたら、広報課まで巻き込んでしまいました。インタビュー当日、キャリーケースを持って大学に現れ、写真を見ながら解説してくださる金水さんと、目を輝かせながら1980年代の東洋大の野球部のことを語る、広報課の窪塚さんのお話がすごい面白くて。常に選手が入れ替わる大学野球だからこそ、戦国東都に夢中になるのだろうなと実感しました。


 そして大量の野球部のデータまで貸していただいて、アルバム3つ分ですよ。写真を見たら、もう楽しくなっちゃって。真夜中に写真を見ながらテンション爆上がりしてました。広報の方への取材は、スポトウだからこそ出来たことだから、本当にスポトウに入って良かったなって。


歴史の重みを感じながら持って帰りました


 私の取材に協力してくださった、広報課の木全様、窪塚様、そしてインタビューを快く受けてくださった金水さん、本当にありがとうございました。大学のご支援をいただいて我々、スポトウが活動できていることに感謝しています。


 そんなこんなで硬式野球部に夢中になっていましたが、私がスポトウに入ったのは、三大駅伝を取材したいからだったんです。スポトウで活動するのが今年度が最後だったから、リーグ戦があろうが三大駅伝を制覇したくて、次の日に野球があるのにも関わらず、強行して出雲にも行きました。人生初の夜行バスで13時間かけて出雲に行ったら、まさかの自転車に5年ぶりぐらいに乗ることになって。10㌔以上走ってクタクタでした(笑)。最後には、電車に間に合わなさそうで出雲ドームから出雲市駅まで後輩たちを5㌔以上全力ダッシュさせてしまいました。キツかったけど、めちゃくちゃ楽しかったです(笑)。


海沿い走ってると思ったらまさかの宍道湖


 家に帰った7時間後に、硬式野球の取材で上尾にいたのはとても不思議でした(笑)。「どうしてもやりたい」という根性と意地で乗り切りました。やる気があれば、どこまでも行けますよ(笑)。


 もちろん全日本大学駅伝にも行きました。前乗りした日に、15㌔も歩いて、見事に足にマメが誕生しました(笑)。次の日は早起きして、夢の名古屋のモーニングを食べて、取材に向かって、三重からSuicaが使えなくなって困りまくりました。なんだかんだありながらも、伊勢神宮に着いて、2日間で30㌔も歩いていました!駅伝取材は大変ですね。


まさかの硬券!!


 箱根駅伝は自分がそれぞれスポトウメンバーの配置を考えたり、後輩と真夜中に電話しながら宿を取ったりして、本番が始まる前から大変だったけど、後輩たちに本当に助けられました。当日、私は箱根エリアを担当しましたが、寒さを忘れるくらい喋り倒した記憶があります。スポトウとして最後の取材でしたが、全力で楽しめて、本当に幸せでした。


 私を含む今の世代は、駅伝取材をやったことがなかったので、右と左もわからない状況の中現地に行って、駅伝取材って、割と過酷なんだなと実感しました。でも、一緒に行った後輩たちが場を盛り上げてくれたので、ずっと笑っていた気がします。後輩たち、本当にありがとう!


 今年は様々なことがありましたが、乗り越えられたのは、周りのみなさんの支えがあったからです。


 まずは、新聞製作にあたり、協力してくださった報知新聞社の増村さんです。私共の不手際で、新聞作成が校了日ぎりぎりとなり、本当に迷惑をおかけしました。12月号では、硬式野球部の面を担当したとき、たくさん提案をしてくださりました。おかげさまで大満足の面を作ることができました。本当にありがとうございました。


スマホで撮った写真がまさか紙面の背景になるとは


 そして、硬式野球部取材で一番お世話になった、芳賀主務ですね。3月のオープン戦以降、グラウンドに伺う度に、鶴ヶ島駅からグラウンドまで送迎してもらったり、試合後の選手のコメント送ってもらったりしていました。他の仕事もあって絶対大変だったと思うのに、わざわざスポトウのためにたくさん動いてくださって本当に感謝しています。芳賀さんのおかげで、対面のインタビューも再開することができたのだと思います。野球部取材めちゃくちゃ楽しかったです!!


 毎回取材を受けてくださった硬式野球部のみなさん。本当に優しくて、笑ってくれて、大好きになりました。これからは陰から応援してます。


それから、、、

先輩方へ

 生意気な後輩で迷惑をおかけしました。それでも、優しく見守ってくださって、わがままも聞いてくれて。先輩のあかいれに私は鍛えられました。また私が限界だった時、遠いし暑いのに、わざわざ鶴ヶ島まで来て、私の代わりに後輩を育成してくださり、本当に助かりました。一番上の代になって、先輩の偉大さを思い知りました。カメラまで貸してくださって、頭が上がりません。本当にありがとうございました。


後輩へ 

 スポトウに入ってきてくれて本当にありがとう。

 私は年下が苦手なはずだったんですけど、気がついたら、後輩と遊びに行ったりしていて。いまだに信じられないです(笑)。自分を変えてくれたので、みなさんには本当に感謝しています。辛くなったら、周りを頼ってね。知らない間に自分を追い込んでるけど、1人で抱え込まないでね。また遊びに行きましょう。100号楽しみにしてる❤︎



 私は、心の底からスポトウに入って良かったと思っています。今までどこかで手を抜いてきた私が、真面目に何かに取り組もうと思ったのは初めてだったんです。硬式野球部との出会いで私の人生は大きく変わりました。こんなにも私のやる気を引き出してくれて、夢中にさせてくれてありがとうございました。


 チームが2部にいたとしても、私は幸せでした。

 過去のスポトウ野球班から見ても、コロナ禍で取材形態も変わり、神宮での取材は少なく、いわゆる王道の取材はできなかったでしょう。それだとしても、2部の球場巡りも面白かったし、残酷な入替戦とか、初の無観客試合とかその時にしかできない経験をさせてもらい、硬式野球部にとって激動の時代にいた気がします。そして、創部100周年という節目の年にこうしてチーフを務めさせてもらうことができて、硬式野球部の偉大さを身に沁みて感じました。


最後にもらえた2ショット!


 今までは、カメラのファインダーを通して試合を見ていたので、次からは自分の目で試合を見られるのがすごい楽しみです。でも1部に上がるには、実力だけじゃなくて、運も重ならないと難しいことを知ってしまったから、そんな簡単に1部昇格なんて言えないです。とりあえず、笑ってる顔が見たいな。


 この2年間、硬式野球部に私の想いが届いていたかはわからないけど、読んで少しでもがんばろうって思ってもらえたら、嬉しいです。


2年間、ありがとうございました。

みなさんお元気で。


宮谷美涼





コラム執筆日の今日、2月2日。

スポトウメンバーと会えてご飯できて嬉しかった!

可愛い後輩たち❤︎❤︎

みんな頑張って!!応援してる❤︎






30しゅうねんのたおる、BOXにはろうかな。(わかるひとにはわかる)