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2022年、東洋大学硬式野球部は創部100周年を迎えた。スポトウは特別企画として、硬式野球部を30年以上追い続けている金水和昭さんへの取材を行った。『スポーツ東洋』97号(2022年12月20日発行)では、5面で金水さんが見てきた硬式野球部の姿をお伝えした。今回Webでは、金水さんに行ったインタビュー全文を3日間にわたりお届けする。
金水さんのスポトウ独占インタビュー・2日目は、「戦国東都」について。1部優勝すれば、日本一への挑戦権を手にするが、最下位となれば入替戦行きとなってしまう東都。長年東洋大を見てきた金水さんは、最終戦まで決着がもつれこむこともある「実力の東都」をどう見ているのか。(取材日・11月4日、聞き手=宮谷美涼)
ーー初めに、金水さんから見た「東都」とは
大学の最高峰だと思っていたよ。ドラフトなんかにもなると、結構東京六大学からも指名するから、彼らもセンスはいいんだろうなと思うよ。でも、東都はそんなもんじゃない。2部でもいい選手いるからね。東京六大学は2部もないし、他のリーグの2部にはいい選手はいないから。東都の人間は「六大学に負けたくない」っていう。みんな意識していると思うよ。それはどの監督も思っていると思うよ。
東京六大学とは、全国大会で何度もぶつかり合った
ーー東都には「入替戦」という醍醐味がありますが
自分が関わってない前提であれば、春季とか秋季リーグ戦とかある中で、一番面白いのは、入替戦の第3戦なのね。関わってたら嫌だけどさ(笑)。過去の東洋大の入替戦でも、大体3回戦まで行っていたね。
ーー東洋大も過去、2部に在籍していたときもありますよね
大体1年くらいで復帰してたよ。でも、前回(2012秋~2015秋)は3年、6シーズンいたね。今回はもう丸2年だからね。2部にいるってこと自体が信じられないね。
ーー2部だと神宮球場が使えなくなりますが
前回2部になったときは、最初は神宮第二球場でやってたけど、オリンピックの改修工事で第二球場が使えなくなったから。それで各大学のグラウンドでやろうって。だから、町田に行ったり、栃木に行ったり、いろいろしていたよね。まあ、練習試合みたいだったね。東農大とか、世田谷で都会で、目の前にマンションがあったよ。各大学の球場だから、右翼と左翼が違ったりするんだよね。左翼は長いけど、右翼は短くて、80メートルぐらいしかなくて、左打者からするとホームランが出やすい球場とかあったから。
神宮第二球場での試合
2014年、世田谷の東農大グラウンドにて、先発は原樹理
町田の小野路球場でも行われた
ーーそんな中、7シーズンぶりに1部に上げたのが、原樹理(H27年度営卒=東京ヤクルトスワローズ)投手でした
あの時も3回戦までいって、勝って、最後、泣き崩れたっていう。取材スペースの端で泣いていたからね。1部に上げて泣くっていうのは初めて見たよ。本当は選手をそこまで追い込んではいけないんだけどね。高橋監督も分かっていたから。原は3連投していたし。エース使うしかないからね。
原は3連投で1部に上げた
記者室で涙を見せた
ーーやはり戦う舞台は1部だと
2部に定着しちゃうとさ、2部の野球しかやらなくなっちゃうから。(2022年)春の中大とか見ていると、やっぱり1部にいればさ、それなりの力は出せるじゃない。そこが2部に漬かったところとの違いじゃない。
ーーその1部の舞台で高橋前監督は長く指揮を取り続けました
すごい人だと思うよ。47年間やってんだから。だから、野球部そのものが自分の人生そのもの。大人になってから。大学を卒業して、社会人1年しかやってないよね。日産自動車を辞めて、うちに来ていると思うから。23から69歳までやってたからね。素晴らしいというか、すごいことだと思うよ。
2008年の神宮大会で教え子を見つめる
2017年でリーグ戦優勝後
2011年には執念40周年を祝う会が開催された
ーー金水さんも30年野球部を見てきたことはすごいことじゃないですか
最初は見たくて見てたわけじゃないから、気づいたらずっと見るようになって、抜けられなくなってしまった。「もう一回あるだろ、もう一回あるだろ」って思ってると駄目だね。東洋大は、東都優勝じゃなくて、大学日本一を目指している。東洋大が日本一になれるって、いまだに野球ぐらいしかないと思っているから。
ーー東洋大の強い時代を振り返ってみるといかがですか
東都を2007年春から5連覇して、全国大会では、2007年秋の明治神宮大会(以下、神宮大会)から全国3連覇してんだよ。3連覇したときの神宮大会では、高橋監督が泣いていたね。2007年の神宮大会では斎藤佑樹がいた早稲田に勝って、そのあと、2008年の全日本選手権野球大会(以下、全日本選手権)で東海大に勝ったんだよ。そこが東洋の強かった時代。負けなかった。リーグ戦でも、最初に何点も取られるのよ。今日はダメかなって思うと、九回になったら、1点差で勝っているわけ。だから、負けないんだよね。悪くて引き分けとか。本当に強いってそういうことなんだろうね。点数とられようがなにしようが最後に点取ればいいんだから。
2007年の神宮大会では藤田の一発で日本一に
2008年の全日本選手権決勝では現在コーチを務める乾が先発
2008年神宮大会優勝後の高橋前監督(左)と大野
ーー本日は、その時の2008年の優勝Tシャツを着てきてくださったのですね
日本一になったとき、文京区役所に学長と野球部で挨拶に行くんだよ。そして、そのTシャツを着て、オープンカーで選手たちが大学の周りを回るわけよ。関係者とか、警察の方と一緒に、パレードを誘導したり。キャンパスごとにやっていたね。みんな同じ格好で、朝霞もやったことある。白山、鶴ヶ島でもね。いまそういうことがあればいいんだけどね。
2008年の記念Tシャツ
白山通りで行われた祝賀パレード(2008年春)
鶴ヶ島駅周辺でもパレードが開催された(2008年秋)
ーー日本一を目指すために、2009年にはグラウンド自体もを変えたのですね
グラウンドを神宮仕様に変えたのよ。外野のはね方が神宮仕様でということで、やっぱりクッションボールが違うじゃん。外野に当たった時、ライトレフトは縦横で違うわけだから。やっぱり当たったボールも神宮仕様なのよ。そこが新しいところの芝だけじゃなくて、その辺も考えながら、変えたんだよね。
グラウンドオープニングセレモニーでは東大と戦った
ーー2011年には全日本選手権を2連覇しました
十回裏の小田裕也(H23年度営卒)のサヨナラホームランが忘れられないね。あれ裏だからよかったんだな。(先発の)藤岡貴裕(H23年度営卒)もいっぱいいっぱいだったし。鈴木大地(H23年度営卒)の前に小田がいたんだよ。大地が素振りしてたから、小田が「パーン」って打っちゃって(笑)。大地が打つつもりでいたから。小田がそういういい仕事をするんだよね。
小田のサヨナラ本塁打で大学野球の頂点に
栄光の集合写真
ーー写真を見ると、優勝した時の盛り上がりはすごいですね
テープをみんなで用意して、グラウンドに投げるんだよ、今は、全然そんなのないけど。松沼の活躍がね、結局はすごかったんだと思うけどね。今も56連続無失点っていうピッチャーはいないもんね。それが「投げて勝つ」という高橋前監督を作ったんじゃないの。
2008年の神宮大会
◇プロフィール◇
金水和昭(かねみず・かずあき)
生年月日/1956・6・8
東洋大学2部社会学部卒業
※写真は、金水和昭さん提供
◇金水さん独占インタビュー◇
1日目:~東洋大広報になったきっかけ~「気づいたら抜け出せなくなっていた」
3日目:Coming soon…