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2024.02.18
陸上競技
[陸上競技] 第100回箱根駅伝インタビュー5日目・松山和希選手
松山和希(総4=学法石川)にとって2年ぶりの出走となった「夢の舞台」である東京箱根間往復大学駅伝競走(以下、箱根)。「東洋大の往路のストロングポイント」として酒井監督から起用された4区で、攻めの走りを見せ区間2位を獲得し、有終の美を飾った松山に、東洋大の駅伝主将として戦った今期の振り返りとともに、酒井監督や後輩に向けての言葉を語ってもらった。
・松山和希
ーーレースプランは
前半から攻めのレースで区間賞をねらう。1つでも順位を上げる。
ーーレースを振り返って
前半は順調な滑り出し、後半、特に残り5㌔からは思ったように走れず、ペースダウンしてしまった。
ーーチームの結果を振り返って
総合3位を狙っていただけに残り21秒で届かなかったのは悔しかった。しかし、3位を狙って走れるチームに成長出来たのは良かったと思う。
ーー駅伝主将に任命された時の心境は
あまりチームのまとめ役をやったことがなかったので心配ではあったが、ここでチームを引っ張っていかなければいけないと感じ、任命を受けた。
ーータスキを貰った時の心境は
昨年度走れなかった為、走れることを感謝した。また、必ず順位を上げるという強い気持ちで走り出した。
ーー4区に決まった時の心境は
2区を走りたいという気持ちはあったが、往路から攻めの駅伝をしなければいけないこと、4区で必ず順位を上げることが大切だという戦略もあり、チームの勝利のために4区を走らせてもらった。
ーー良かった点、悪かった点は
20㌔以上の距離のレースを誰かの後ろにつかずに走ったのは初めてだったので自信になった。 夏から秋にかけて走り込みが足りていなかったこともあり、後半でペースダウンしてしまった。
ーー印象的だった酒井監督からの声掛けはどのよう言葉がありましたか
声援が大きくあまり聞こえなかったが、最後の箱根だぞ、という声掛けで最後切り替えられた。
ーー今期を振り返って
トラック、駅伝の両立は出来ず、エース、4年生としてチームに貢献をすることはあまり出来なかったが、最後の箱根駅伝を走りきることができ、悔いは無い。
ーー東洋大に入学された理由は
高校1年の時に東洋大学の合宿に参加させて頂き、その際に練習や雰囲気が良いと感じたから。
ーー4年間を振り返って
決して順調な4年間ではなかったが、スタッフやチームメイト、環境にも恵まれ、幸せな4年間だった。
ーー同期や後輩の選手になにかメッセージをお願いいたします
4年間という時間はあっという間で、一瞬だった。1日1日を大切にし、目標を持って大切に過ごして欲しい。また、チーム、スタッフ、仲間を信じ、お互いを尊重しながら切磋琢磨して良いチームを作って欲しい。
ーー酒井監督への言葉をお願いします
4年間、様々なご迷惑や面倒をお掛けしてしまいました。そんな自分にも最後まで諦めず指導をして下さりありがとうございました。
ーー3回出走された箱根駅伝はどのような大会でしたか
小学1年生の頃から憧れたレースはまさに夢の舞台で、走れて幸せだった。今後また自分のように、自分達の走りやレースを見て少しでも箱根駅伝をめざして走る子供たちが増えてくれたら嬉しい。
◆松山和希(まつやま・かずき)
生年月日/2001・12・4
身長・体重/168・52
走りの強み/集中力、キツくなってからの粘り