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卒業企画6日目は、水泳部で女子主将を務めた山本葉月(法4=花咲徳栄)。高校時代には200m自由形でインターハイを優勝し、大学入学後は女子エースとしてチームに貢献してきた。4年間の集大成を見せた今年の日本学生選手権(以下、インカレ)では、100m自由形で表彰台に。最終種目である4×200mフリーリレーでは日本記録をも上回るペースで次の泳者へつないだ。数々の実績を残しながらも、大学で競技の引退を決めた山本に、水泳人生最後となったこの4年間を振り返ってもらった。(聞き手=鈴木真央)
※剛毅とは…昨年度水泳部スローガン。「時には辛い時期や挫折しそうな時もあると思うが、折れずどんなに困難なことでも怯まずに取り組んでいこう」の意味が込められている。
仲間の応援に笑顔で応える
ーー水泳を始めたきっかけは
兄がもともと水泳をやっていて、私も影響されて。意志はなかったんですけど、やらされていたのがきっかけだったと思います。
ーー大学まで水泳を続けようと思ったきっかけは
高校でインターハイを優勝することができて、そこで「水泳ってこんなに楽しんだな」と思えたので、大学生になったらもっと成長できるんじゃないかなと希望を持って大学水泳に挑戦しました。
ーー東洋大に入学の決め手は
平井先生が監督をやられているのはもちろんなんですけど、高校の先輩が東洋にいたので、(東洋大入学の)お話をいただいて、話を聞いていいなと思ったのがきっかけです。オリンピック選手もたくさんいて、刺激をもらえる環境だなと思ったのもあります。
ーー主将にはどう選ばれたのか
1個上の先輩方と先生方が話し合って決めた感じです。
ーー1番印象に残っているレースは
個人種目の100m自由形で必ずメダルを取らなければシード権獲得が危ないと自分を奮い立たせました。1日目のレースだったため、この後の東洋の流れを作るという意味でも絶対に落とせないレースだったので印象に残ってます。最後のインカレは女子主将という立場だったので責任感もありましたし、後輩たちに「インカレってこんなに楽しんだ」ということも知って欲しくて。選手の立場と4年生の立場の両方で見せていかなければいけなかったので印象に残っています。
100m自由形で見事表彰台に登った
ーーラストインカレの4×200mフリーリレー(以下、8継)を終えた時の心境は
個人の200m自由形が全然ダメなタイムだったので、8継は絶対2分割る気持ちで臨んで、組1位で(最終泳者の)福島心響(営2=豊川)までつなげたかったんですけど、泳ぎ終わって電光掲示板を見た時に自分のタイムじゃないところを見ていたみたいで、本当は2分割れていたのに2分割れてないみたいな。観客席や応援席で応援してくれているみんなを見れなくて、そこでは少しやり残した部分はあったんですけど、あとからリレー終わった時に「やっと2分切れましたね」と言ってくれて「え!切れたの?!」みたいな、そこで2分切れたの初めて知って(笑)終わった後みんなもすごい迎えてくれて、男子の8継があったので応援席に行くと観客席のところにいた花車優(R4年度文卒)さんがめちゃくちゃ泣いてくれてて手を振っちゃいました(笑)
自分のレースでこんなに泣いてくれる人がいることが本当に嬉しかったですし、誰か1人でも感動させるレースができたのですごく良かったなと思います。
レース後、リレーメンバーを抱き寄せる山本
ーー大学と高校で自分の考えなどで変わったことは
高校は実家通いでクラブ練習だったので、学校の子たちと接する機会が少なくて、大学入ってから寮生活でみんな同じところに住んでほとんどの生活を一緒にするわけで、その人とどう接したら上手くやっていけるのかなとか考えるようになりました。だんだん4年生になっていくうちにまわりからの目をすごく気にするようになって、自分がどう見られているのか、どう見せたらチームに良い影響を与えられるかとか。個人的に気を使いすぎてしまって疲れることもあったんですけど、それでも見てる人は見てるので、高校生の時より気を使えるようになりました。
ーーまわりからの目とは
練習中の態度とか高校生の時は全く気にしていなくて、タイムが出なかったらめちゃめちゃ悔しがったりというのがあったんですけど、大学入ってから練習中の態度やスタート前の声出し、レース中の応援とか「すごいな」と先輩から思わされる場面があったので「こんなんじゃだめじゃん」みたいな、大学入ってから高校生のままじゃだめってこういうことなんだなと思いました。
ーー大学に入ってから挫折はあったか
1年生の12月に合宿があって、青木玲緒樹(H29年度営卒)さんや花車優さん、白井璃緒(R3年度国卒)さんなどオリンピックに出場されている選手と学生からは1個上の川端陸椰(R6年度営卒)さんがいて、そこでは自分の納得いく練習を積めていましたが、合宿から帰ってきて私以外の合宿参加者たちは、タイムも順調に出していて、私だけが何も残せず、こんなに選ばれた中での合宿だったのに何をしているんだろうなっていうのが自分の中にありました。そんなことを考えても試合は続いていて、その頃は全く誰にも言うことができなくて、一度挫折を経験して、おおげさかもしれないんですけど人生で1番しんどかった思いをしました。
ーー卒業後も水泳を続けようと考えなかったか
ギリギリまで続けるかどうか悩んでいました。現役中はもうしんどいから辞めようと思っていてんですけど、コーチの方からもう一度考え直さないかとお話をいただいて、そんなこと言ってもらえるとは思っていなかったので、両親や仲のいい子に相談しながら国体までにインターCのタイムが切れたら、とりあえず3月まで続けようかと話になりましたが、切れることなく終わっちゃったので自分の中で区切りをつけて辞めました。
力強いキックが強み
ーー水泳人生を振り返ってみて
私は競技を始めてから波があったので、タイムが出てなかった時期や少し練習が雑になることもありました。大学に入るまで水泳に全然興味がなくて、速い選手の名前を言われても「誰だろう?」って。今じゃ考えられないんですけど本当に分からなくて、自分の結果も全然見返さないでただ泳いでいるだけで、人に興味がありませんでした。大学に入ってチームみんなで生活するようになって、結果も段々見るようになって、やっとそこから私の水泳が始まったんじゃないかなと思います。水泳に興味を持って色んな人の結果が楽しみでライバルが他の大会に出ている時の結果もチェックするようになりました。
真面目に練習し始めたのは2年と少しぐらいかなと思うんですけど、短い期間でも色んなことを吸収できて成長にもつながりました。プレーだけじゃなくて人間関係とかも、東洋だから経験できたんじゃないかなって思います。仲間とぶつかっても、先生から怒られても、その時はすごい嫌な気持ちになるんですけど、終わったあと最後全員で笑えて終えたのですごい良かったんじゃないかなと思います。
ーー4年間を振り返って
水泳もそうなんですけど、人間的な面でも1番成長させてくれた時期でもありますし、真面目に物事を考えるようになった4年間でした。雑な性格というか、投げ出してしまう性格だったので、嫌なことは逃げるところがあったんですけど、(大学では)逃げる場所もなかったのでちゃんと物事を考えて取り組めるようになりました。
ーー後輩たちに向けて
今年のインカレで女子本当にシード危ないと言われていて、そこで私は守りたかったことを守れて、去年から言われていたことで、来年は今年よりも危ないと思うので、東洋の伝統を守り抜いて欲しいなと最後まで頑張って欲しいです。みんな仲良いのでぶつかっても自分の本心で話していってほしいですね。
TEXT=鈴木真央/PHOTO=望月桜、鈴木真央