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卒業企画24日目
卒業企画陸上競技部編、5、6日目の2日間に渡り、1年間チームを引っ張ってきた萩原拓斗(法4=岡崎城西)主将、臼木隼哉(総4=城西大城西)選手、中澤啓太(法4=千葉南)主務の3名による対談をお届けする。
前編では東洋大へ入学するまでの経緯や3人の関係性、彼らが揃って挙げた印象深いレースなどについて話してもらった。(取材日=11月15日、聞き手=近藤結希)
左から中澤、萩原、臼木
ーお互いの印象ー
――まずはお互いの印象を教えてください。
中澤 萩原は、僕が2年生の時に入部したんですけど、その時にみんなはある程度仲いい状態で。僕からしたらトップレベルの選手ばっかりで緊張していた中で、気を使って話しかけてきてくれるのがすごいわかって、気遣いができる人なのかなっていうのが第一印象でした。今は気遣いできるかって言われるとあんまりわからないですけど(笑)でも、後輩から慕われていて、すごくいいやつで、頼りになる同期です。
臼木は反対かな。初めて来たときはあんまり話すこともなかったし、話しづらくて、怖い人なのかなっていう第一印象だったけど、なにかをきっかけに仲良くなって、そこからは結構相談事とかもしやすい同期です。後輩からも慕われているけど、どっちかというと先輩から好かれている、そういう人かなって思います。
萩原 中澤とは最初に会ったのが、大2のシーズン始まる前くらいに体験に来てくれて。今もそうなんですけど、その時から結構自分から動いてくれるタイプだったので。同い年っていうのも知っていて、最初は「動画撮って!」みたいな感じでお願いしたんです。そしたら、2個上の先輩に「体験の子に撮らせちゃダメでしょ!」って怒られたりもして(笑)けど中澤は「いいよいいよ」って言ってくれて、最初から気さくなやつでした。今でもそこは変わらないところです。
中澤 お互いに気さくって思いあってる(笑)
萩原 そうだね(笑)マネージャー業は任せっきりで、中澤が先頭で動いてくれるのでそういう面ですごく助かってたかなって思います。
臼木は…そうですね。第一印象とかもあんまり覚えてなくて、怖いやつっていったら怖いやつですけど(笑)それ以上にもう戦友ですね。400mっていう同じ種目で、同じ舞台でも走ってきたし、記録も似通っている部分もあって。自分自身もすごく意識していたし、プライベートでも頼りになるので1番信頼してたかなって思います。
中澤 臼木はしっかりものです。同期の卒業旅行とかもいろいろ企画してくれて、そういうところが長所だなって。
臼木 中澤は最初は全然話さなくて。
中澤 ほんとにそう
臼木 っていうのも、やっぱりその前に1年間ずっと一緒にやってきた同期の方を優先してしまって。ちょっと悪い意味になっちゃうかもしれないですけど、“途中で入ってきたやつ”っていう風に見てたから
中澤 そうだね(笑)。
臼木 それで話しかけづらくて。でも初めて話したのがインカレの時かな?確か
中澤 そう、関東インカレの時だね。
臼木 その時に僕はマイルだけの出場だったんですけど、「おまえのラストすごい!」みたいな感じですっごいほめてくれて、そこからは僕も単純だから褒められたらうれしくなっちゃって(笑)。そこからいろいろつるむようになりましたね。あとはほんとに頼れます。マネージャーっていう部分でも頼れるし、主務としてもいろいろ仕事をやってくれるし。やっぱり唯一の男性マネージャーだから話しやすいっていうのもありましたね。
萩原 確かにそうだね。
臼木 本音を話せるっていうか。タイム計るにしても動画を撮るにしてもしっかりやってくれているので、頼れるマネージャーです。
中澤 ありがとうございます…。
臼木 萩原は…萩原も言ってたんですけど、ほんと相棒みたいな。
萩原 あっつ俺ら(笑)
中澤 熱いね(笑)
臼木 1年生の時、コロナの影響で寮外と寮生で練習が分かれていたんです。僕も1年生の時は実家から通っていたので、練習パートナーとしても2人で車で川越の競技場に行ったりして。
萩原 僕も寮外だったんです。
臼木 一緒にいる時間も長かったので、自然と会話も増えるし、練習以外のプライベートでも遊ぶことが多かったので。
萩原 確かに確かに。
臼木 で、2年の関東インカレで僕と萩原が一緒にマイルで優勝した時からほんとに熱い展開っていうか(笑)。絶対4連覇しようって二人で話してたので。タイムも当時の東洋大記録で二人で抱き合ってっていう
萩原 あったね。
臼木 すっごい良かった思い出もあるし、主将になってからもさっき中澤も言っていたんですけど、下からもすごい慕われているので、引っ張ってくれて。記録が伸び悩んだところもあったけど、最後の最後に主将の意地でマイルの予選も走ってくれたし、タイムも自己ベスト更新とまではいかなかったけど、自己ベストに近いタイムを出してくれたから…。最後の最後、頼りになるやつです。
萩原 うれしいな(笑)
ー東洋大陸上部を選んだきっかけー
ーー東洋大陸上部に入ったきっかけなどがあれば教えてください。
萩原 僕は高校の時に日本選手権とか、全カレとかを見ていて、やっぱり強い先輩たちがいっぱいいたじゃないですか。桐生さんもそうですし、ジュリアンさんだったり、吉津さんだったり。マイルもずっと連覇しているっていうのを聞いていて。自分も400mでやっていてマイルにすごく思い入れがあったので、強いチームに行きたいっていうのがあって。強い先輩方の姿を見てここに行きたいってすごく思いました。
それで監督に高2の春くらいに連絡を取って直談判して。そしたらここから2年がんばって、高3の時に結果をちゃんと残せたら見るからねって言ってもらって、高2の冬に練習に参加させてもらえることになったんです。そこから実際に参加している時に、他の大学もいろいろ見に行ったりしていたんですけど、他大学よりも監督が選手一人ひとりに向き合って指導していることがすごく伝わって。そういう環境で自分も中・高とやってきていたので、あぁ似てるなって思ったきっかけでもありますし、そういう監督の姿勢がすごく好きになったので、そういった意味でも東洋に行きたいなと思いました。
――それで高3で声がかかって?
萩原 って感じじゃないんですよね。実は。
中澤 それ話した方がいいんじゃない?
萩原 自分、実は一般入部なんですよ。みんなスポーツ推薦とかなんですけど、高3の時、コロナ禍だったじゃないですか。それで大会がそもそもなくて、自分的にも記録を伸ばすことができず、結局声がかからなくて…。
後々聞いた話なんですけど(笑)。高3の時、インターハイの代わりの全国大会があって、その時に臼木は出場していて。その時こいつ(臼木)も自己ベストが48秒0とかで、僕は48秒6くらいだったんですよ。で、もともとは僕も高2の最初から言ってたので、監督とか、土江先生とかもスポ薦で萩原入れてもいいんじゃないかっていう話があったらしいんです。けど、臼木が「東洋行きたい」って言ったので、僕のスポ薦枠が取られてこいつが入ったらしいんです(笑)。
中澤 ほんとは萩原だったのが、臼木の方がタイム速かったから臼木にするかって
萩原 俺はそれを最近知ったんですよ(笑)
中澤 臼木が言わなかったら萩原がスポ薦で入れてた(笑)
萩原 そう、だからその時からバチバチです
一同笑い
中澤 最近監督に言われてた(笑)
臼木 恨まないでね(笑)
萩原 恨んでないよ、結果オーライだから。陸上は記録がすべてだから、全然恨んでるとかはないんですけど。
中澤 そうだね。
萩原 それで僕は一般で入ったっていう感じです。
臼木 僕の場合は中学2年の時にジュリさんが日本選手権で勝ったのをたまたまテレビで見ていて、「人ってこんなに早く走れるんだ」って思って。その時は陸上に興味がなかったんです。本当にたまたまテレビがついていたから見ていたくらいで。でもそこでジュリさんの走りを見て感動して、そこからは陸上に熱が入っちゃって。大学に行くなら絶対東洋っていう風に中学の時点で決めてました。僕の城西高校の先輩にも東洋大に進んだ方がいたので、そういうところでもやっぱり自分は東洋に行く運命なんだろうなって思っていました。
さっき萩原も言ってたんですけど、3年生の時にコロナでいろいろ大会がなくなっちゃって、東洋行くのきついかなとも思っていたんです。東洋で陸上できないんだったら就職って思っていて、そのくらい大学は東洋以外考えていなかった中でほんとにギリギリ声をかけてもらえて。人に恵まれていたおかげで結果的にこうやって中学の時に憧れた東洋に来れて、陸上ができたので今のところは自分の思い描いていた通りの人生かなっていう風に思っています。
萩原君の枠を取ってしまって申し訳ない気持ちもあるんですけど(笑)。それもつい最近知ったので、ごめんね萩原って、でも結果的に2人で一緒に陸上できているので
萩原 謝る必要ないよ
臼木 うん、だから僕は東洋しか考えていなかったですね。
中澤 まず、大学で陸上を続けようとしたきっかけが、これ話していいのかな?(笑)。好きな子が大学でも部活を続けるって言ってて、それを聞いて「俺も大学で陸上頑張るか」って思ったのが1番最初のきっかけで
萩原 邪すぎる(笑)
中澤 受験が終わって東洋に進むことになって、陸上部に入ろうってなったときに、連絡したんだけどやっぱり自己ベストがこの2人とかと比べるとちょっと劣るところがあるから、土江先生から選手としての入部は無理って言われて。じゃあそこから1年間、自己ベストをあげて次の年に選手として入ろうって思って自分で1年間頑張ったんだけどなかなか一人だとうまくいかなくて。そうなったときにXで「マネージャー募集してます」っていうポストが流れてきて、「マネージャーありかもな」っていうので、1年生の3月に体験練習に来たのがきっかけかな。初めてここに来た時に梶原先生に「選手と感動を共有して、彼らのことを思って涙を流せるマネージャーになれるなら、ぜひ入ってほしい」って言われて、自分ならできるっていう確信を持って入部しました。
ー全員一致の印象深いレースー
ーーこれまでで1番印象に残っているレースはありますか。
中澤 あります!僕らが2年生の時の関東インカレのマイルリレー予選です。1走から順に新垣颯斗(法4=桜丘)・服部冴汰郎(スポ4=市立函館)・臼木隼哉・萩原拓斗っていうオーダーで、今の4年生だけ、同期のオーダーで走ったレースで。今でこそみんな46秒台、冴汰郎は200mで20秒台を持っていたりするんですけど、そのときは誰も持っていなかったし、ほんとにこいつらに予選任せて通れるのかっていうムードがチームにあって。でもいざ走ってみたらしっかり着順で決勝残ってきて、「2年生やるじゃん」みたいな。その時僕もチームに入りたてだったので、そこで俺たちの同期すごいんだって。今でも忘れられないなって思います。
萩原 自分も印象に残るでいったらその試合かな。結局かなわなかったんですけど、さっきのメンバーで最後の全カレの決勝走りたいっていう話をして。その時が一番自分の実力に対する不安というか、関カレっていう大舞台で通用するんだろうかっていう不安と、でもちょっと自分たちならいけるんじゃないかっていう自信とっていうのがあって。一番「俺らならいけるんだ」っていう気持ちになった試合かなと思います。
臼木 この流れで2年の関東インカレの予選?(笑)
萩原 か、決勝だよね(笑)
臼木 そうだね。同期で走れたっていうのは楽しかったですし、その時は僕以外の3人はみんなインカレのマイルっていうのは初めてだったんです。僕は1年生の時、予選だけですけど関カレも全カレも両方走らせてもらっていてマイルに対する経験値はあったので、不思議と緊張感はなくて。なおかつ周りにいるのは同期っていうのでテンション上がって。いざ走ったらアドレナリン出まくって、追い上げムード全開で萩原に渡して。萩原もしっかり着順で帰ってきてくれて。当時の2年生4人で抱き合って、「俺らやばくね!?」って雰囲気になったので。
萩原 周りからしたら絶対に怖いと思うんですよね。2年だけのチームで着順で通ってくるって。フルメンバーで着順で通るのもだいぶ難しいって感じだったので。
中澤 今でこそ大学で陸上をやっていれば誰しもが聞いたことある4人だと思うんですけど、当時からしたら、選手ではない僕が言うのも失礼ですけど、誰やねんみたいな。
萩原 ほんとその通りだよ。
中澤 そういう4人で走ったほんとに抑えの抑えの抑えのメンバーみたいな。その4人で着順で入ったので、ほんとにすごいなって思います。
臼木 そうですね。だから印象深いのはその大会ですね。
3人が挙げた2022年関東インカレのマイルリレー予選
左から1走・新垣、2走・服部、3走・臼木、4走・萩原
萩原(左)と臼木(右から2番目)はともに決勝にも出走し、優勝を果たした
ー楽しかった時期ー
ーー大学競技生活の中で一番楽しかったのはいつですか。
臼木 楽しかったとき…いつだろう…
中澤 僕は4年生ですね。最後の年っていうので自分自身も燃えてたし、僕の代はすごいけがをする人であったり、萩原みたいに調子を落とす人もすごい多くて。やっぱり最後の年くらいは同期に活躍してほしいっていう思いで1年間やってきたので。すごい燃えてたというか、一生懸命やれた1年だったから、すごい楽しかったなっていうふうに思います。
萩原 楽しかったでいうなら僕も大4かな。記録もいっぱい出てたので大2って思われがちなんですけど。大2は正直自分の中でコントロールしきれていない部分もあって。今考えれば、完全に自分のことを理解しきりながら記録を出していたわけではなかったと思うんです。ちゃんと自分と向き合って陸上をやれていたのは大4で。
7月くらいに愛知県選手権とかががあって、その時にまたふっと47(秒台)の中盤くらいまでもって来れて。その時にはようやく自分のことを精神的にも肉体的にもわかってきていたので。ここをどう頑張らないといけないとかいうこともそうですし、主将としてようやく走りでも練習でも引っ張っていけるっていう…、いけたかどうかはわからないですけど、引っ張っていこうっていう気持ちになれたっていうのもありますし。
最後は自分らしく走ろうって。へらへらしながら走るのが自分なので(笑)。そういう風なスタンスでいようって思えたのが最後の方だったので、楽しいでいったら大4の7月以降とかかな。
臼木 楽しかった時期か、んー…。
中澤 じゃあ臼木が考えてる間に。最後の1年はほんとに、チームのためにも動いたんですけど、4年生のために動けた1年だったなって思います。
萩原(との話)を挙げるなら、その日が全カレの標準突破の最後のチャンスだったんです。萩原は切ってなくて。僕としてはキャプテンがインカレ走らないのは絶対おかしい、走るべきだって思っていたんです。最後のチャンスで日体大記録会を走ったんですけど、ほんとにあとちょっと届かなくて、僕はほんとにそれが悔しくて。でも最後のチャンスだったからどうしようもなかったんですよ。でもやっぱりどうしてもあきらめきれなくて、その日にある大会をその場で調べたら、中大記録会がやっていて。で、たまたま中大に知り合いのマネージャーがいたのでめちゃめちゃ電話でお願いして、その日にいきなり萩原を走らせてもらえることになって。
萩原 一人で走ったんですよ。
――短距離さんのXで見ました!
萩原 そうそう
中澤 そう、ほんとに中大の人が応援してくれたりもして、思い出深い大会の1つで。結果的には切れなかったんですけど、その日は1日、二人三脚でというか、ほんとに文字通り最後までやり切れた1日だったので、そういうところを切り取っても、4年生のために行動できた1年間だったなと思います。
――萩原選手もそのレースを走れて、良かったですか?
萩原 そうですね。機会をもらったからには記録を狙おうって気持ちだったし…。悔しいじゃないですか、やっぱり。自分もあともう少しだって思っていたので、どう転ぶかわからないけど、もう1試合出たいなって思っていたところに中澤が持ってきてくれて。走っている時もそうですし、終わった後も、いろんな人が僕1人のために応援してくれたっていうのが今でも鮮明に残っていて。これからも忘れないんじゃないかなと思います。
中澤 (臼木へ)出た?(笑)
臼木 うーーん、楽しかった時期…
萩原 そんなない!?
臼木 陸上に関してはずっと苦労していて。関東インカレや日本インカレもマイル優勝メンバーとして走ったんですけど、その時、僕以外の3人よりも僕の力が劣っていたので、優勝したうれしさはあったけど、恥ずかしさというか…。去年の日本インカレでいえば、ジョセフさん、碧斗さん、後輩の小川で、僕1人だけ圧倒的に記録が劣っていたからそういうところでも喜べなくて。もちろん、優勝した、全国1位とったっていうのはうれしかったけど、このメンバーに自分が入っているのが恥ずかしいなっていう風に感じちゃって。陸上でいえばそんなんばっかりでしたね。
今年の関東インカレも、マイルリレーでは僕が最後、前に出られなくて負けちゃって悔しかったし、日本選手権出られるって思ったら肉離れして出られなくなっちゃって悔しかったしで…。悔しい思いばっかりの大学4年間だったので…。ちょっと陸上とは離れちゃうけど、同期皆で行った旅行とかは楽しかったですけど。そうですね…、ごめんなさい、ちょっと素直に喜べる思い出がなくて。
萩原 臼木はストイックなんです。
チームで過ごした日々やチームメイトへの思いをうかがった後編はこちら▷▷▷https://sports-toyo.com/news/detail/id/28060