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2025.03.17
陸上競技

[陸上競技] 令和6年度卒業企画 陸上競技部編 短距離部門対談/萩原拓斗×臼木隼哉×中澤啓太 -後編-

卒業企画25日目


 卒業企画陸上競技部編、5、6日目の2日間に渡り、1年間チームを引っ張ってきた萩原拓斗(法4=岡崎城西)主将、臼木隼哉(総4=城西大城西)選手、中澤啓太(法4=千葉南)主務の3名による対談をお届けする。

 後編ではチームで過ごした4年間や、チームメイトへの思いに迫る。(取材日=11月15日、聞き手=近藤結希)


前編はこちら▷▷▷https://sports-toyo.com/news/detail/id/28058


左から中澤、萩原、臼木



衝突とチームの率い方ー


ーー萩原選手と中澤さんは4年生を楽しかった時期に挙げられていましたが、チームをまとめるうえで、大変だったことや意見の衝突などはありませんでしたか。


中澤 マネージャーとして、大変だったことというか、意識したことはなるべく全員の選手とコミュニケーションをとるっていうことです。マネージャーっていう立場としてもそうですし、男性マネージャーという、より近くで接することができる存在だなっていう風に自負していたので、なるべく普段からコミュニケーションをとるようにしていました。ささいなことから感じられることもいっぱいあったし、監督とか、土江先生は気づかないけど、僕が気づけることもあったので。マネジャーの中で唯一の寮生だったので、日常の会話っていうのは大切にしていました。

 すれ違いとか、けんかはいっぱいしました。ここも全員けんかしたかな(笑)

 

臼木 こいつ(萩原)とは、詳しいことは言わないですけど、大学2年のときに結構けんかして、1、2か月くらい口きかなくて。その時はほんとに「こいつこのやろう」って(笑)萩原の何気ない一言で僕がカチンと来ちゃって、そこから2か月間口きかなかったんですけど、12月くらいに仲直りするきっかけがあって、そこからさらに以前よりも仲良くなったっていう風に感じてましたね。

 

萩原 僕もそれは感じましたね。

 

臼木 1回けんかしたら、そこから腹割って話せるみたいなのよくあるじゃないですか。まさにそれでしたね。

 

中澤 熱いです(笑)。僕、仲直りの瞬間見たんですよ。12月の練習後とかに、僕が練習終わってグラウンド行こうとしたら奥の方で2人がハグしてて。

 

萩原 その時気づいてなかったと思うんですけど、臼木がグラウンドの方行くときに、「ちょっと俺、仲直りしてくるわ」って言って

 

中澤 みんなが後押ししたんだよね

 

萩原 そう、みんな相談乗ってくれてて。「行ってくるわ」って言ったから、それをみんな見てて(笑)とかはありましたね。

 

臼木 それもいい思い出だよね。今考えれば。

 

萩原 うん、いい思い出。正直悪気はなかったんですけど、

 

臼木 そう、なかったんですよ。

 

萩原 でも俺が結構余計なこと言っちゃうときが多いので…。

 

臼木 ここの場合、俺がすごい短気でけんかっ早い性格なんですよ。それも相まって、一瞬で火ついちゃって。

 

萩原 俺もそのスタンスなら口きかないからって(笑)

 

臼木 そう(笑)徹底的だったから「俺からは絶対あやまんねぇ」とか言って。先輩からも「謝れ」って言われたけど、

 

中澤  懐かし

 

臼木 僕も萩原も早く仲直りしてみたいな雰囲気は出されてたよね。

 

萩原 うん、出されてた。

 

臼木 でも絶対謝んないぞって

 

萩原 俺は今更きまずいって気持ちでした(笑)

 

中澤 タイミングがね(笑)

 

臼木 でもそこからかなぁ、以前から仲はよかったですよ、ずっと仲は良くて、

 

萩原 そこからの仲違いだったので。なおさら周りから見ていてもここの作ってる雰囲気もあったと思うんです。僕らブロックも一緒だからなおさら「俺らもきまずいから(早く仲直りして)」って。でも、結局はそこからすごい仲良くなって、自分がけがとかでうまく支えてこれなかったときは練習からすごいこいつが先頭に立って、記録も含めて僕の分まで引っ張ってきてくれて。新垣とかも含めて400ブロックを盛り上げていってくれていたので、すごく信頼できるなって強く思いました。

 苦労したこともありましたけど、最後はこいつらが頼れたなって思います。

 

中澤 …なんだっけ質問

 

――チームをまとめるうえで大変だったことです!

 

中澤 そうだ、結構ずれちゃった(笑)


萩原 でも4年生っていうカテゴリーになってからは割と固まっていた感じがしたので。

 

中澤 大きい衝突とかはあんまりなく、割とスムーズに行ってたかな。

 

萩原 後輩もくせものなので(笑)。それでもまとまってついてきてくれていました。

 

臼木 くせものだけど…すごい彼(萩原)、後輩から慕われるんです。だからなめられてるんだろうけど、まとまるときはちゃんとまとまってくれる子たちだった。そういうまとまるのも萩原の人格なのかなって思います。萩原は人をよく見るから、後輩でも先輩でも同期でも、人の変化にすごいよく気づいて、いろいろ言ってくれるんです。だからそういう面では主将に向いていたんじゃないかなってすごい思うし、苦労が少なかったのも彼だからかなと思います。

 

萩原 うれしいな

 

中澤 先輩・後輩・同期、全員と距離が近いから、ある意味「主将!」って感じじゃない。本当に友達みたいな。気さくに接することができるっていうのは萩原にしかない、今までのキャプテンにはなかった強みかなって思います。

 

臼木 気楽に本音で話せるよね。

 

中澤 その分僕は、前の主将がジョセフさん、拓夢さんっていうすごい人たちの中で、やっぱり競技力的なところでいうと見劣りしてしまう部分もあって。僕は勝手にそこが足枷というか、気負ってないのかなっていう不安はありました。

 

萩原 それはもちろんありましたけど、でもそこの部分って結局は自分の問題で。自分でどうにかしていく部分だと思うので、だからチームをうまくまとめられないっていうのは別だと思うんです。それこそさっき言ってくれたんですけど、自分でも人の変化に気づけるっていうのは思っていて。人のいいところも悪いところもよく見える。人と仲良くなるのも昔からうまい方ではあったので(笑)。

 やっぱり強い主将ってなると歴代の先輩とかを見ていても「ザ・主将」みたいな人が多いじゃないですか。だからそこを自分が間を取り持てたらもっと力が出るのかなって思っていました。それが主将をやりたいって思ったきっかけでもあるんですけど。

 競技面でつらかったこととかもあったけど、チームのマネジメントとかの面でいえばそこは自分が力を出すべきなんだろうなって思ってきました。苦労っていう感じではなかったです。




ー4年間を振り返ってー


ーー改めて、4年間を振り返っていかがでしたか。

 

萩原 自分は入学したとき、自分より記録が上の同期も多かったし、先輩方も活躍されている方たちばかりだったので、正直こここまで行けるというか、主将でチームを引っ張るところまでいけるビジョンは全然なくて。もともと東洋に来たのも、実力はもしかしたら足りないかもしれないけど、それでもやれるだけやってみて良かったら陸上続ければいいし、だめだったらそれは悔いなくやり切ろうっていうくらいの気持ちだったので、ここまで深くチームをまとめる立場だったりとかになるとは思っていなくて。つらい時期もうまくいった時期も、すべて陸上だけじゃなくて、ここからの人生の指針になるような経験がいっぱいできたなと思います。

 

中澤 そうですね、これから人生80年、90年、100年って続いていくと思うんですけど

 

萩原 続きすぎじゃない!?(笑)

 

中澤 その中で今の時点で最も濃い時間だったって断言できます。4年間をかけて人としても、マネジャーとしても成長できたし、4年前にできなかったことが4年間かけてできるようになった。同時にこの日本一速いチームで陸上ができて楽しかったし、他チームのトップ選手とも関われる機会をいただいて、すごい成長できた4年間だったなって思います。こんなに濃い4年間は今までもなかったし、これからも訪れないんだろうなって思います。

 

臼木 僕はつらい4年間だったなって思います。入学したときの自分の中での理想も高くて、4年の時のパリ(五輪)、絶対出るって決めて東洋に来たので、その理想と現実のギャップは結構つらかったです。タイムとしても人にはあんまり言ってなかったんですけど、45秒台を狙っていたので、苦しい4年間だったなって思います。

 でも人には恵まれました。こういう仲いい同期だったり、下の代とも上の代とも、どちらかというと僕は上の代の方が仲良いんですけど、そういう方たちからいろいろ教えてもらったし、監督やスタッフにも良くしてもらったので。苦しいながらも人に恵まれた4年間だったなって思います。




ー同期への思いー


ーーここまで話していただいたことを共有してきた、同期への思いを聞かせてください。


萩原 難しいな、なんだろう…同期への思いか。

 

中澤 でもほかの代に比べても仲良い代だなとは思いますね。

 

萩原 そうですね。それは思うし、あとはやっぱ、みんな結構くせものではあったので。この大学に入ってくる人はくせものが多いです(笑)その中で一人ひとりがいろんな方向で陸上に対して向き合っていて。

 臼木でいうなら努力で人よりも多くって。重谷はけがとかも多かった大学生活だったんですけど、その中で自分の感覚で、ちゃんと自分の理論でやっていて、職人みたいだった。藤原もけがが多かったんですけど、重要なところで結果残したり。服部も結構何でもできちゃうタイプではあったんですけど、あいつ自身もけがが多い中で着実に練習を積んでいって結果を出して。僕も含めてですけどいろんな向き合い方があった。やっぱりみんな一筋縄ではいかなくて、そんな中でも陸上に対して頑張っていこうっていう気持ちがあった世代かなって思います。

 

臼木 第一に仲はいいんじゃないかなって思います。さっき話した同期旅行も何の気なしに「温泉行いきたくね?」っていう話から始まって。今回の2回目の同期旅行も全員参加してくれる予定です。あとはけがが多い代ではあったので、だからこそ分かち合えるというか。けがをすることの辛さはみんな知っているので。

 

萩原 確かに

 

臼木 だからこそ変に焦ることなくできたんじゃないかなと思っています。でもまとめると仲がいい同期ですね。

 

中澤 僕もまとめると2人と一緒です。仲がいいです。そしてけがが多いです。あとはマネジャーとして客観的に見るとちょっと弱い代でもあって。高校から実績のあった選手は重谷と藤原、ギリ新垣くらいで。他は全国大会予選落ちっていう感じだったので、表現を選ばないで言えば「不作の代」だったのかなと思うんです。でも大学4年間を見てみればめちゃめちゃ自己ベストを更新して、最後には臼木は関カレでマイルのアンカーを走ってくれたし、萩原も全カレでマイルを走って主将の意地を見せてくれたし、重谷と新垣も個人種目で銀メダルを取ってくれて。弱い代でもあったけど伸びた代でもあって、同期としてもマネジャーとしても近くで見ていてすごく楽しかったです。だから…大好きです。これからもよろしくお願いします(笑)

 

萩原・臼木 よろしくお願いします(笑)

 



ー後輩たちへー


――最後にこれからの東洋を担っていく後輩へエールをお願いします。

 

臼木 ずっと言っているのは4継、マイル両方学生記録で優勝というのを目標にしているので、来年こそは達成してほしいです。頑張ってください。

 

中澤 僕も一緒です。4継、マイルの学生記録更新でインカレ優勝っていうのは毎年言っていることなので、来年こそは絶対達成してほしいです。

 やっぱり少数精鋭で人数は少ないチームなので、それを活かしてチーム作りをしていってほしい。マネージャーに関して言えばマネージャーの人数も他のチームよりだいぶ少ないので、だからこそマネージャーがチームを作っていくと言っても過言じゃないと思います。一人ひとりが自覚をもって、チームを担って頑張っていってほしいです。

 

萩原 大枠で言いたいことは一緒なんですけど、個人的には後輩たちみんな大好きなので個人が活躍していてほしいっていう気持ちもあります。中澤もさっき言ってたみたいに俺らの代はめっちゃ強い代ではなかったと思うんですけど、目標に1番近いところまでいけた。自分たちの代だけで戦っているわけではないけど、そんな代でもここまでいけたので、もっと伸び代もある後輩たちには王朝を築いてほしいというか…。1個下の代が主体となって、大学っていうカテゴリーの中だけじゃなくて、陸上界全体で見たときに東洋やばいなって思われるチームをつくっていってほしいです。

 もっと先の話をすれば、陸上といえば東洋って言われるように、日本基準でももちろんそうですし、世界へ羽ばたいて東洋という名を知らせてほしい。それだけ大きいことをやってくれる大学だと思うので、そこまで夢見させてほしいなって思っています。



強い東洋はこれからもつながれてゆく


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