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2025.03.26
陸上競技

[陸上競技]「自分が新しい東洋を作りたかった」 期待を背負い続けたエース、石田洸介

 「伝統をつなぐことはできたとは思いますが、本当は自分が新しい東洋を作りたかった」。選ぶようにして紡いだこの言葉に、彼が4年間背負い続けたもののすべてが込められているようだった。


 



一度は競技から離れた石田を奮い立たせた同期の存在


 中学、高校と世代のトップを走り続けてきた石田洸介(総4=東農大二)。「一緒に世界を目指そう」。酒井監督からかけられた言葉が、東洋大へ入学するきっかけとなった。


 中学時代には1500m、3000m、5000mで中学新記録を樹立し、全中やジュニアオリンピックなど数々の大舞台で優勝。高校でも5000mの高校新記録を叩き出すなど輝かしい実績を持つ彼が、鉄紺をまといどんな走りを見せるのか、入学当初から大きな期待が寄せられた。

 その期待に応えるように、1年時は出雲、全日本で区間賞を獲得。大型ルーキーとしてますますの注目を集めたが、箱根駅伝への出走はかなわなず。2年生になった翌年、初めての箱根路に挑んだ。初出走ながらエース区間の2区を任された石田だったが、結果は区間19位。責任感から苦しみ、一度は競技を離れる選択をした。




 そんな石田がもう一度走り始めることができたのには、同期の存在があった。


 彼らが3年生だった第100回箱根駅伝。前評判は決して高くはなかった中で、東洋大は総合4位を勝ち取り「鉄紺の再建」を果たした。その立役者となったのが、石田の同期たちだった。


 「自分に火をつけてくれた同期の走りのおかげで、ここにいる」。彼らの鉄紺らしさを取り戻す走りは、石田が再び立ち上がる原動力になった。




ラストイヤー、順調だったトラックシーズン


 ラストイヤーは順調な滑り出しだった。5月に行われた関東インカレでは、前半から積極的に集団を引っ張り、「怯まず前へ」を体現。6位でゴールすると、続く7位に入った小林亮太(総4=豊川)とW入賞を果たした。

 

関東インカレで集団を引っ張る石田


 ゴール後、2人は肩を組み、応援席へ向かってガッツポーズ。その光景は、待ちわびた彼の完全復活を象徴していた。

 「大きな一歩を踏み出せた」と、充実の表情を浮かべた石田。今でも「新しくスタートして、久しぶりに『やりきった』と思えるレースになった」と、記憶に深く刻まれている。



 翌月に行われた全日本大学駅伝でも石田は3組に出走し、堂々の組トップを獲得。ラスト1000mを手前にロングスパートをかけ、後ろを大きく突き放した走りは圧倒的だった。


全日本大学駅伝予選会、3組トップでゴール


 主要大会に出場し、存在感を放ったトラックシーズン。帰ってきたエースの強さは健在だった。

 



最後の箱根駅伝


 夏を越え、駅伝シーズン。けがに苦しんだものの、全日本大学駅伝では2年時の箱根以来、初めて鉄紺のタスキをかけた。

 「スタートラインに立てたことが大きな一歩だった」。納得のいく走りではなかったが、着実に前へと進む姿に、もう一度箱根路で彼の走りを見られるのでは。そんな期待を抱かずにはいられなかった。


伊勢路でタスキをつないだ



 いよいよ迎えた最後の箱根駅伝は1区にエントリー。しかし、1月2日の大手町に石田の姿はなかった。1区は同期の小林に当日変更。石田はけがにより欠場となった。


 「自分の箱根駅伝は終わったのか」。箱根路へのラストチャンスが断たれたとき、すぐに気持ちを切り替えることはできなかった。

 それでも、「サポートしながら、みんなが段々と調子を上げていく姿を見て、このメンバーに自分の走れなかった思いを託したいなと思いました」。無念の思いは仲間に託し、当日は付き添いにまわった。


 3区迎暖人(総1=拓大一)と9区吉田周(総4=広島国際)の付き添いを終えた石田は、大手町で主将の梅崎蓮(総4=宇和島東)とともに東洋大のゴールを待った。

 四つどもえとなったシード権争いは最後までもつれたが、アンカー薄根大河(総2=学法石川)が他の2校を振り切り、東国大に続いて9位でゴール。勢いよく飛び込んできた薄根を抱き止めた石田の顔には、安堵の笑顔が浮かんでいた。


 「みんなに支えられて20年連続のシード権を確保することができて、本当に救われたなと思います」。

 つながれてきた伝統を守ることの責任を、ずっと感じてきた。今年の箱根駅伝を走った10人が口を揃えたのは「走れなかった4年生のために」ということ。彼の思いはきちんとチームメートに届いていた。 


大手町で薄根を迎え入れた



 箱根駅伝から約1か月、奥むさしの地を楽しそうに駆ける石田がいた。東洋大最後のレースとして石田が選んだのは奥むさし駅伝。同期でチームを組み、最後は笑顔で走ることを決めた。

 石田がタスキを受けて走り始めた時、応援に来た梅崎と小林が「頑張れ」と声をかけながら並走していた。最後はけがに苦しんだ3人が見せた心からの笑顔。それは東洋大でチームの主軸となり、ともに過ごしてきた彼らの大学生活が、苦しさだけではなかったことを物語っていた。





東洋大で過ごした4年間


 「自分はここにきて間違いはなかった」。大学陸上を終えた石田は自分の選んだ道を、そこで歩んできた日々を肯定する。暗闇の中でもがき続けた時間も決して短くはなかったが、苦しい時に手を差し伸べてくれる人がたくさんいた。石田が4年間を表す言葉に選んだのは『縁』。

 「4年間、苦しいことばかりでしたが、それと同じくらい人と人の縁にすごく結ばれた4年間で。東洋大学じゃなかったら、こんなに縁が結ばれることはなかったと思います。支えてくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです」。


結ばれた『縁』に支えられた


 思い描いた大学生活ではなかったかもしれない。それでもこの4年間、戦い続ける石田の姿は多くの人の心に届いたはずだ。そして彼の存在は、確かに鉄紺を強くした。


「最終的な目標は、みなさんの記憶に残る選手になりたいです」。


 日本のトップ、そしてその先の世界を目指すため、石田はこれからも歩みを進める。東洋大でエースとしての期待を背負い、たくさんの夢を見せてくれたこの4年間が、今後の彼の飛躍へのステップであることを願う。

 





TEXT=近藤結希/PHOTO=東洋大学スポーツ新聞編集部

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