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令和6年度卒業企画26日目
この春、東洋大を卒業する陸上競技部長距離部門の4年生。鉄紺の強さを取り戻すために奮起してきた彼らが、大学競技を終えた今、何を思うのか。今年の箱根駅伝にエントリーされた4年生6名へのインタビューをお届けする。
卒業企画陸上競技部編、長距離部門の初日は石田洸介(総4=東農大二)。降りかかる苦難の中で、鉄紺の伝統を背負って戦い続けた4年間について伺った。(取材日=1月15日、聞き手=近藤結希)
――陸上を始めたきっかけは
陸上を始めたきっかけは、保育園のマラソン大会で、ずっと2位で1位になれなくて。勝てないことが悔しくて走り始めました。
――たくさんの大学から声がかかったと思うが、その中で東洋大を選んだ理由は
東洋大学の取り組んでいる練習面であったり、そのほかの食事の面などのコンディションの面であったりを監督に教えていただきました。
また、監督の指導を受けたいということと、世界で戦える選手になりたいという思いがあったので、東洋大学に決めました。
――決め手になった言葉は
「一緒に世界を目指そう」と監督に言っていただいたことがすごく印象的で、それが入学しようと思ったきっかけになりました。
――入学前の東洋大の印象と入学後感じたことは
入る前の印象は、いい意味でキラキラしていないというか、真面目で実直な印象がありました。実際もその通りで、もちろん規律を正さなければいけない部分はありますが、その中でも選手との関係は楽しかったです。また、東洋大学というのはすごく応援されているチームだなと感じました。
――入学時に思い描いていた理想は
理想では、ちょうど大学4年生の時にパリ五輪があったので、そこに出場したいという思いもありましたが、故障も多くなかなかうまくいかない陸上人生だったなと思います。
――1番思い出に残っている大会は
4年生の時の関東インカレ10000mのレースが印象に残っています。
――その理由は
関東インカレで結果を出すまで、まったく結果を出せずに2年間くらいを過ごして、陸上を離れた時期もありました。そこからまた新しくスタートして、久しぶりに「やり切った」と思えるレースになったので、すごく今でも印象に残っています。
――今陸上を頑張れている原動力は
1つは本当に同期の走りのおかげで、もう一度陸上を頑張ろうという風に思えました。あとはすごく人と人との縁に結ばれて、いろんな人が自分に手を差し伸べてくださって、そこからまた恩返しをしたいという風に思えるようになりました。
――4年間の中で思い残していること
そうですね…。いろいろありますが、一番思い残していることとすれば最後の箱根駅伝を走れなかったということです。
――走れないとなったときや、当日はどんな思いだったか
欠場するとなった時は「自分の箱根駅伝は終わったのか」と思う部分もありましたし、もちろんすぐに切り替えることはできませんでした。それでも裏方でサポートしながら、みんなが段々と調子を上げていく姿を見て、このメンバーに自分の走れなかった思いを託したいなと思いました。
当日は3区と9区の付き添いをして、3区は1年生(迎暖人)、9区は同期の吉田があきらめずに走ってくれました。みんなに支えられて20年連続のシード権を確保することができて、本当に救われたなと思いました。
――その箱根駅伝で一番心に残っていることは
特定のというわけではありませんが、3年生以下が「4年生のために頑張ります」とか、「4年生のために頑張りました」と言ってくれたことが、前半は引っ張れてはいましたが、後半は全く引っ張れなかった4年生に対してそう言ってくれて、そういう思いで走ってくれるということに感謝の気持ちでいっぱいでした。
――酒井監督のご指導を受けて
やはり酒井監督の陸上に関する考え方や、陸上以外の人としての考え方に4年間すごく学ばせていただきました。
競技面に関しては監督の期待に応えることができずに申し訳ない気持ちでいっぱいですが、それ以上に人間性の面ですごく成長させていただいて、本当に酒井監督のご指導を受けてよかったと思っています。
――つながれてきた伝統の重さを感じることは多かったか
そうですね。4年間、特に箱根駅伝では2年生の時にシードを落としかけましたし、今回もシードぎりぎりの戦いで、守り抜かないといけない伝統を背負うことの難しさを、今年はすごく感じました。
結果的に伝統をつなぐことはできましたが、本当は自分が新しい東洋を作りたかったと思うところも、後悔していることではあります。人がつないだ、人と人の縁もつないだこの伝統というのはすごく重いなと思います。
――個人としても注目を集める機会は多かったと思うが
もちろん走れない状態でも取材を受けなければいけないというのも何度も経験しましたし、言ったことが有言実行できなかったという部分でも苦しいところはありましたが、他の学生と比べれば自分は結果を残せていない中でも取材をしてくださるというところにすごくありがたみを感じていました。
取材を通して応援してくださるみなさんに感謝の気持ちを伝えることもできるので、その機会を無駄にせずに自分の言葉で東洋の魅力であったり、自分を知ってもらえたというのはすごくありがたかったなと思います。
――色紙の言葉について
大学4年間で本当にたくさんの人と縁があって、いろんな人に支えられた4年間でした。この縁を大切にすることと、この縁に恩返しをしたいという思いを込めて、「縁」という字を選びました。
――同期へメッセージ
4年間苦楽を共にした中で、個人的には同期とタスキをつないで最後は終わりたかったので、そうやって終われなかった悔しさはありますが、みんなと一緒に4年間過ごしてきたことは本当に大切な宝になりました。またいつか会える日があれば、みんなで思い出話でもしたいです。
――後輩へメッセージ
もちろん伝統の重みというのを感じるところもあると思いますが、鉄紺を背負って走れることに喜びを持ってほしいです。三大駅伝で定位置に戻すことや、優勝というのももちろん目指しては欲しいですが、その先の「世界」もぜひ酒井監督のもとで目指していってほしいなと思います。
――自身が目指していくところは
大学生活でやり残したことはたくさんあるので、まずは日本のトップレベルに挑戦していきたいと思います。そこを達成できれば次は本当に目標としていた世界という舞台を目指していきます。最終的な目標は、皆さんの記憶に残る選手になりたいなと思います。
――4年間、どんな大学生活だったか
4年間、苦しいことばかりでしたが、それと同じくらい人と人の縁にすごく結ばれた4年間でした。東洋大学でなければ、こんなに縁が結ばれることはなかったと思いますし、支えてくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
卒業後、大学生活で悔いが残った分を取り戻して、いちOBとして恩返しができるように頑張っていきます。
――東洋大に入ってよかったですか
そうですね。結果的には良かったと思える部分がたくさん見つかったので、自分はここにきて間違いはなかったと思います。