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「(大学)最後の年は心残りしかないです」。そう打ち明けたのは、東洋大学体育会ラグビー部4年の岡本有生(総4=東海大相模)だ。
松葉づえをつく岡本
楕円球とのつながり
中学1年生の頃に楕円球の世界に飛び込み、東海大相模高を経て東洋大に入学した岡本。
「これから上がっていく過程のチームに入って(チームを)強くしたい」。強い願望を持っていた岡本は当時、リーグ戦チーム屈指の実力を持つ付属先の東海大ではなく、2部リーグ上位だった東洋大への進学を決意した。
チームは岡本が入学した年に29年ぶりに1部復帰。岡本は2年時に公式戦に初出場すると、3年時では秋のリーグ開幕戦に出場を果たした。しかし、開幕戦でのプレーで脳しんとうを起こし、「メンバーから外れて、自分のプレーもうまくいかず、3年生の時は後悔が大きかった」。この後悔をバネに、岡本はラストイヤーでの飛躍に懸けていた。
4年生に進級した岡本は着実に練習を積んでいき、春シーズンの交流戦では4試合に出場する。最終戦の日大との試合では大学公式戦初のトライを決め、最後の秋シーズンに向けて順調なはずだった。
4年時の春シーズン、岡本がプレーする様子
秋シーズン目の前でアクシデント
「夏にスタメンになって頑張ろう」。そう気合を入れていた矢先にアクシデントは起こった。8月の菅平合宿中、法大との練習試合で前十字じん帯と半月板を損傷。最後の秋シーズンは試合に出場することがかなわなかった。
「最初はスタメンの活躍をあまり見ないようにしていました。自分的には辛かったので」。これまでけがを負う経験が少なかった岡本にとって、歩くことすらままならない大けがは計り知れないほどの苦痛だった。
秋シーズンの意気込みを語っていた岡本
入院先での出会いで心境に変化
苦痛に悩まされ、絶望の淵に立っていた中だったが、岡本を奮い立たせる出来事が起きる。
それは入院先での出会いにあった。特に岡本の心に響いたのは、同じ前十字じん帯を負傷した高校生ラガーマンの発言。
彼は自身のけがによりチームにマイナスの影響を与えてしまったことを悔やみながらも、「気持ちを切り替えてチームのためにできることを考えて、何か困っている人がいたら助けたい」。そう話していたという。
仲間のために今自分ができることを考える。この姿勢が岡本にとって大きな刺激となり、彼自身も「自分ができることは何か」を考えるきっかけになった。
気づいたことは「けがをしていてもできること」
1週間の入院期間を経てチームに合流すると、気づかされることがあった。
「けがをした人はみんなサポートを頑張っていて、それを見て自分にもサポートできることがあるし、やれることはけがをしても何かあると思いました」
けがでラグビーをすることができなくても、チームのためにできることがある。「今まで自分が人にやってもらったことを今度は自分がやらないといけない」。岡本は最後の秋シーズンを裏方としてサポートに徹した。
チームはリーグ戦を岡本のサポートに応えるように強敵チームに勝利。「素直に同期のプレーやかっこいい姿を見てめちゃくちゃうれしかった」と岡本は当時を振り返る。
苦しかったラストイヤー、それでもーー
もがき苦しんだラストイヤー。仲間の活躍に目を背けたことも、逃げ出したいと思ったこともあった。しかし、この苦い経験は岡本を確実に成長させている。
「今後自分が生きていく上での試練だと思ってそこを乗り越えたら、ラグビー人生としても強くなると思うし、そういったところでも別の視点で考えられるようになった」
「けがに対しての後悔はあっても、努力に関しての後悔はない」。そう強く語った彼の言葉は、日々の地道な練習や、日ごろから欠かさずにメモを取り続けた"競技と向き合う真剣な姿勢"の表れだ。
大けがを乗り越えて、岡本が伝えたい思い
岡本は4月から社会人ラグビーで現役続行予定。新天地での目標は「1年目でプレーヤーオブザマッチに選ばれること」。ルーキーイヤーから躍動することを誓った。
さらに、ラグビーでの競技生活とは別に大けがを乗り越えた岡本には伝えたい思いがあるという。
それは「けがをした人たちに向けてできること」。
「病まないでほしいし乗り越えてほしい、ラグビーだけじゃなくて、けがをした人たちに向けても発信できたら」。岡本の思いは誰かの心に響くはずだ。
苦難を乗り越えた先に、希望の光がある。
岡本はそう信じて、再び楕円の世界に飛び込む。
TEXT/PHOTO=北川未藍