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リーグ戦初の準優勝を果たした2024年度の東洋大ラグビー部。そのチームを1年間先頭に立って率いてきたのが笠巻晴太(済4=北越)だ。
一度は競技から背を向けたという笠巻が、復活し主将としてラストイヤーを駆け抜けるまで。7年間の競技人生をたどる。
ラグビーとの出会い
「なんだそれ」。ラグビーとの出会いは突然だった。
北越高に入学した笠巻は先生と中学からの友人の誘いで楕円球と出会う。当時は「全く興味がなかった」。そう思っていた笠巻だが、中学時代にプレーしていたサッカーは高校では入部許可が下りず、ラグビー部への入部を決意した。
東洋大とのつながりもまた偶然のようだった。当時、北越高の主将を務めていた佐藤航大(済4=北越)の練習を見に福永監督が来た時のこと。笠巻はけがを負っており、タイヤを押す練習をしていた。その姿が福永監督の目に入ったという。
その後、監督から東洋大ラグビー部への入部の誘いが入ったと聞いた笠巻は、その誘いに応えて東洋大に入学した。
客席から見つめた1部昇格の瞬間
笠巻が1年生の頃にチームは29年ぶりの1部復帰を果たし、東洋大ラグビー史を突き動かした。
「感動したのもありましたし、自分も出たかなっていう気持ちもありました」。1部昇格の瞬間は客席から見つめていた笠巻の競技人生を大きく動かす。
「同じポジションだったキャプテンの先輩が、ひたむきに頑張っていて。こういう人になれるように頑張りたい」。笠巻のラグビーに対するひたむきな姿勢は当時の主将の影響にあった。
笠巻の4年間を表す言葉は「ひたむき」
一度は背を向けた競技生活
しかし、すべてが思い通りにいくわけではないのがスポーツの世界だ。
「2年生の時にけがをしてしまって、1年間ほとんどラグビーをしていなかったので悔しい思いしかしていなかった」。
その逆境の日々を跳ね返し、試練の1年間を乗り越えた笠巻。3年時に進級すると先発に定着するが、ここでも試練が降りかかる。
3年時に出場した公式戦でのアクシデントで首を負傷したことだ。
「歩くくらいしかできなかった」という笠巻は、地元・新潟に帰省した。
「何をしているんだろう」。けがの後遺症への「恐怖心」もあり、ラグビーから背を向けた時もあったという。
地元で療養している間、笠巻は自分自身に「なんで自分が東洋大学に来てラグビーをしているんだろう」と問いかけていた。そこで、出てきた答えは「恩返しをするため」。
ここで辞めたくないという思いが芽生えた笠巻。約3か月間の療養期間を経て、再び楕円球を握り始めることを決意した。
主将として駆け抜けたラストイヤー
笠巻はコツコツと努力を積み重ね、チームの主力としてプレーするようになった。すると、ひたむきに競技に向き合う姿勢を認められ、最終学年は主将に就任した。
「恩返し」をテーマに挑んだラストシーズン。開幕戦こそ落とすも、チームは立て直して強敵チームにも連続で白星を勝ち取っていった。
第6節終了時点で暫定3位。他力次第では逆転優勝の可能性も残る中、最終節当日を迎える。
優勝すれば「初優勝」。チームは優勝した時のために「THE FIRST CHANPIONS 2024 俺の恩返し」と書かれたTシャツを用意していたが、無念にも優勝は試合開始前に消滅していた。
それでも、前年度悔しい思いを味わった日大との最終節を快勝に終わり、初の準優勝。ノーサイド後、フィフティーンが客席に例をすると、ものすごい歓声が沸き上がった。
監督と握手をかわす笠巻(右)
届かなかった優勝は「後輩たちがやってくれる」
「結果としては(リーグ戦を)準優勝できたことはうれしい。けど、やっぱり優勝したかった」。競技を引退した今、笠巻が吐露した思いだ。
本気で練習してきた。常に自分を犠牲にして、チームを第一に考えてきた。優勝できる力があっただけに悔しさは募るが、かなわなかった優勝は「後輩たちがやってくれる」。力強い言葉で願いは後輩たちに紡がれた。
リーグ戦最終節ノーサイド後、笑顔を見せる笠巻
「もし、違う大学に行っていたら人のためにラグビーをやっていなかった。けがをした時点でラグビーをやめたんじゃないかなと思っていて。東洋大学に入って、このメンバーだったからここまで成長できたと思う」。笠巻は晴れやかな顔でそう語り、7年間のラグビー人生に幕を閉じた。
TEXT/PHOTO=北川未藍
※明日で年度が切り替わりますが、もう一名本年度卒業生の記事を掲載する予定です。後日HPにアップいたします。掲載が遅れてしまい、申し訳ございません。