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2025.03.29
陸上競技

[陸上競技]「いつかは肩を並べたい」同期の背中を追いかけた 可能性を信じた増田涼太の努力の足跡

 同期の背中を追いかけた4年間だった。「いつかは肩をならべたい」。そんな思いで走り続けてきた増田涼太(総4=広島皆実)。夢の箱根路にはあと一歩届かなかったが、重ねた努力は形になった。


好走を喜ぶ増田(右)



人柄に惹かれ、東洋大へ


 始まりはスポーツが苦手なことだった。中学進学時、部活動を迷っていた増田に、親は運動部に入ることを勧めた。だが、増田は「スポーツが得意じゃなくて。球技がダメだったので、走ることくらいならできるかなと」。消去法で踏み出した道で、才能は花開く。


 中学、高校と「いわゆる“強豪校”ではなかった」というなか、増田は順調に力を伸ばしていった。


 東洋大への入学を決めたのは「いろんな大学の方とお話をする機会があった中で、1番目が合う回数が多かった」から。この場所への一歩目には、彼自身の誠実な人柄が表れていた。




不安を抱えながらも自分の可能性を信じた


 初めての寮生活や、高校までよりも増える練習量に慣れるのには時間がかかった。

 「『このまま記録が伸びないんじゃないかな』とか、『4年間、結果が出せずに終わってしまうんじゃないかな』と思っていた部分はあって、苦しかった」。


 1、2年目は練習になかなかついていけず、抱える不安も大きかった。それでも自分の可能性を信じ、ひたすら練習を重ねた日々。活躍する同期の姿は「目標であり、いつかは肩をならべて走りたいと思ってきました」。

 


 3年目になると、ようやく思うような結果がついてきた。「自分の中で少し余裕が出てきて、楽しみながら競技をできるようになった」。自己ベストも出せるようになり、増田の競技人生は軌道に乗った。


 成長の糸口となったのは、マラソンへの挑戦だった。8月に開催された北海道マラソン2023でマラソン初出場。そこに向けた練習の中で競技力を高めることができたという。

 この後にも増田は在学中にマラソンへ2度出場。42.195kmを走りきるスタミナは、増田の大学競技生活にとって大きな強みとなった。




最後のチャンスへ、外せないレース


 最後の箱根駅伝を控えた小江戸川越ハーフマラソン。箱根駅伝のメンバー選考を兼ねたこの大会に、増田は覚悟を持って臨んでいた。「ここで走れなかったらメンバー入りは厳しい」。最後のチャンスへつなげるためには、絶対に外せないレースだった。


 調整をして、このレースに合わせてきたというわけではない。それでも「条件はみんな同じ」と言い訳はせず、きつい場面でもくらいついた。


 「本当に最後だという思いが1番強かった」。覚悟の走りは結果となり、チーム4番手でゴール。自己ベストを大きく更新し、箱根路へまた一歩近づいた。






最後につかんだもの


12月10日、

16人のエントリーメンバーの中に、彼の名前があった。


29日、

発表された区間エントリーでは、3区にエントリーされた。


 最後に当日変更となり出走はかなわなかったが、夢に見た箱根駅伝は手の届くところまで来ていたことを証明した。


エントリー候補メンバーとして登壇した壮行会



 この日に至るまでに、どれほどの努力があったのだろう。「最後、届きはしませんでしたが、届くラインまでこれたことは自分の中でうれしくて。4年間やってきたことが形になったなと思います」。


 ここまで来るのは簡単なことではなかった。走ることはできずとも、エントリーに刻まれた名前は4年間、必死に走り続けた先で、やっとつかんだものだった。




「4年生でないと経験できない」思い


 箱根駅伝当日は4区の付き添いにまわり、増田に代わって3区を任された迎暖人(総1=拓大一)を平塚中継所で迎え入れた。


 シード権へ、逆襲の流れを作った迎に増田が声をかけると、「増田さんに変わってもらえ(てよかっ)たって思ってもらえるなら、それが1番うれしいです」という言葉が返ってきた。最後を走れなかった、増田の思いを背負っての激走だった。


 「後輩が自分たちのためにという気持ちを持って走ってくれたというのは、4年生でないと経験できないことだと思う」。 

 その気持ちがうれしかった。最後の箱根駅伝は、4年間で1番思い出深いレースになったという。



 それでも、「欲を言えば、箱根駅伝を走りたかったなというのはずっと気持ちの中には残るんだろうなと思います」。増田は控えめに口を開いた。うれしさの中に潜む悔しさは、無視できなかった。


箱根駅伝の1週間後、ニューイヤーハーフに出場




同期と肩を並べて駆け抜けた


 「正直、自分がここまで成長するとは思っていなかったんじゃないかな」。増田はそう微笑む。

 「実績も、自己ベストも、一番持っていなかった」。入学当初、箱根駅伝は遠い夢舞台だった。本当に届くのか、不安を抱える時間もあったが、それでも自分の可能性を信じて進み続けた4年間。その先で、最後は16人のエントリーメンバーとして、仲間とともに箱根路を目指した。


 憧れ、追いかけ続けた同期の背中。追いつきたいと努力を重ねた増田は、いつしか彼らと肩を並べて同じ目標に向かっていた。


 「結果が出ない時も、自分のことを気にかけて声をかけてくれたりしたので、本当に支えてくれてありがとうと伝えたいです」。


 たくさんの人に支えられた大学生活。一番近くで支えてくれたのは、だれよりも身近な同期だった。




世界が広がった4年間


 「すごく自分の世界は広がりました」。


 マネージャー業も兼務していた増田。東洋大で得たものは、競技力だけではなかった。『礼を正し、場を清め、時を守る』。部訓のもとで身につけた人間力は、彼の人生を豊かにするはずだ。

 支える側と支えられる側。つながりの中で過ごした4年間だった。



 「箱根駅伝を走れなかった悔しさは、今後の競技生活で晴らせたらなと思います」。あと一歩が届かなかったその思いは、これからも続く陸上人生の糧に。


 「(東洋大に来て)よかったです。楽しい4年間でした」。晴れやかな表情で語る彼の目線は、すでに前を向いていた。






TEXT=近藤結希/PHOTO=東洋大学スポーツ新聞編集部

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