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お久しぶりです!2年の工藤空です!
1年生のコラム連載中に失礼しますが、スポトウが新体制になったこのタイミングで、今年度初コラムを掲載させていただきます。
男子バスケットボール部の応援はいつも全力!
20名の新メンバーを迎えた東洋大学スポーツ新聞編集部。今年度は、より一層賑やかな活動ができそうだ。この新たな節目と同時に、私は先輩という立場になった。バスケ班チーフとして、「どう後輩にスポトウの活動を引き継いでいこう」と考えていた...。
とはいえ、まだまだ教えられるほどの経験も知識もない私が引き継ぎなど、非常におこがましい。
そう考えていた矢先、ある1つの講演会によって私自身の方向性が見えてきた。その講演会について共有したい。
それは、皆さんご存知、酒井俊幸監督の講演会であった。長年、東洋大学陸上競技部の活躍に貢献してきた酒井監督の講演会は、非常に興味深いものであった。私は、思わずひとつの記事が書けるほどのメモをしていた。
「エース抜きでも勝てるチームづくり」
そこでは、今年の箱根駅伝についてのお話があった。多くのメディアが取り上げた"20年連続シード権"の快挙。半年前とは思えないほど記憶に新しいのは、私だけだろうか。多くの人の感動を生んだこの功績は簡単なものではなかった。エースを欠き、当日4人を変更する不測の事態。この状況について酒井監督も「正直シードは厳しいと思った」と話す。
「伝統の力」
講演内で酒井監督は「伝統」という言葉を何度も口にした。当日変更となった選手の1人、主将でエース梅崎蓮(前長距離部門主将)は、鉄紺の強さを支え続けた。箱根駅伝への追い込みがかかる12月。ひたむきな努力を続けていた梅崎であったが、コンディションが中々上がらなかった。様子が少しおかしいと感じたチームスタッフは、梅崎の母に連絡をしたそうだ。そこでわかったのは、身内の不幸ごとであった。しかし、梅崎本人の口からそのようなことは聞いていなかったと話す酒井監督。彼は、この大事な時期に自分が欠けてしまってはいけないと、主将としての責任を全うし、ご葬式にも出席しなかったそうだ。最後の箱根駅伝では、足の不調によりチームのために辞退した梅崎だが、それは主将として「伝統」を守るための決断でもあったはずだ。
当日変更となった選手の中には、どんなコースかを知らずに走り抜けた選手もいるという。それでも、誰1人も断ることなく前向きであったと酒井監督はいう。「鉄紺」の伝統とそれを守り続けた梅崎の存在が、箱根駅伝の歴史的レースを彩っただろう。
「伝統」と「責任」
この講演会を通し、私は、スポトウの一員として、チーフとして覚悟を新たにした。これまで先輩方が築いてきたスポトウの「伝統」を守っていくこと、そして、これからも「伝統」を守ってほしいという思い。より一層、スポトウの活動に熱が入る。言葉で伝えることが難しくても、私がこの熱量と責任を持って行動することで、活動の引き継ぎになればいいなと考えている今日。
明日も取材へ———
先輩の真似をして制作してみました
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最後に、このコラムがどこまで届くかわかりませんが、日頃から支えてくださっている皆さまに、心から感謝を伝えたいと思います。
取材にご協力いただいている選手やスタッフの皆さま、そして記事を読んでくださる読者の皆さま、本当にありがとうございます。
また、ご寄付や温かいコメントをくださる方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。
ご自身の時間やお金を使って、スポトウの活動を応援してくださることが、私たちの何よりの励みになっています。
大学新聞にしかできないこと、私たちだからこそ書ける記事を届けられるように、これからも全力で頑張っていきます!