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2025.07.14
陸上競技

[陸上競技] 「やれることは全部やった」走り幅跳び・藤原孝輝、7m97で復活の銅メダル!!/第109回日本陸上競技選手権大会 男子走り幅跳び

第109回日本陸上競技選手権大会 兼 東京2025世界陸上競技選手権大会 日本代表選手選考競技会


東京・国立競技場


7月4日(金)~6日(日)



男子幅跳決勝

3位 藤原孝輝 7m97(風−0.3)



 7月4日から6日(日)にかけて、国立競技場で第109回日本陸上競技選手権大会(以下、日本選手権)が行われた。日本のトップ選手たちが集い、日本一の座を争う大舞台。世界陸上の代表選考も兼ねた重要な一戦に、東洋大から12名が挑んだ。

 大会最終日に行われた男子走り幅跳びには、藤原孝輝(総M1=洛南)が出場。7m97のビッグジャンプで、銅メダルを手にした。

 




 けがに悩まされた4年間を経て、今年から大学院に進んだ藤原。5月には1年半ぶりの8m超えを記録し、好調をアピール。東京2025世界陸上(以下、世界陸上)代表を目指して今大会に臨んだ。


 2本目に7m83で3位につけると、3本目の跳躍。会場に手拍子が鳴り響くなか、藤原は力強く踏み切り、ビッグジャンプ。7m97を記録し、観客を沸かせた。

 5本目では8mを超える跳躍を見せるも、わずかに踏み切り板から出てしまい、ファールに。そのまま3位で競技を終えた。




 「惜しい跳躍ばかりだった」。そう振り返る一方で、今大会で得たのは確かな手ごたえ。「今まで本当にけがばかりしていて、あの時こうしていればよかったと思うことがほとんどだった。今日はそういうのが一切ない、やり切ったと思える試合だった」。


 手術も経験し、1年近く試合に出られない時期もあった。それでも、「高校2年生の時に出した8m12が、生涯ベストで終わりたくない」。現在も残る高校記録であり、藤原自身の自己記録でもあるその跳躍を超えるために、競技に向き合い続けてきた。戦ってきた時間は、やっと実を結んだ。


 「ずっともう一回けがするんじゃないかという怖さはあるんですけど、その怖さがある意味ストッパーにもなっている。けがをしないように練習に取り組み続けられたことが、藤原孝輝としての大きな進歩かなと思います」。思うような結果が出せなかったこれまでの日々を乗り越え、藤原は前に進んでいる。


 競技終了後、「やれることは全部やった」。そう話すその姿には、これまでの苦悩と、数多の試練を乗り越えた喜びがにじんでいた。


 



◼︎ 藤原孝輝


 6本全部含めて惜しい跳躍ばかりだったなと思っていて。7m97を跳べて3位には入れたんですけど、その時も上にすごい浮いて、あともう少し前に跳べていたら、1位を取れるような跳躍だったので、本当にあと一歩のつめの甘さが出ていて。5本目もファールなのかファールじゃないのかというところで、うわというような跳躍だったので、もちろん悔しいという思いはあるんですけど、ああしておけばよかったという後悔がない試合はできました。絶対に今までよりは一歩ずつ、前に進めているというのを感じた試合だったかなと思います。

 何度か国立で跳ばせていただいているんですけど、今まで本当にいい思い出がなくて。7m60、跳んで70くらいだったと思うんですけど、今日は今までの試合で一番良かったといってもいいくらいの跳躍ができました。それも日本選手権の規模の観客の多さで、手拍子をしてもらったときもすごく盛り上がって、跳び終わった後の観客の声援も自分に届いて、跳んでいて気持ちがいい試合だったかなと思います。

 まずは今日のこの試合が毎回できるようにすることがスタートライン。そこから10㎝、20㎝とベストを伸ばしていかなければいけないので。アベレージで8mを跳べるようにならなくてはいけなくて、今日は届いてはいなかったんですけど、付近ということで。日本選手権は日本で一番大きな大会ですが、世界陸上を目指すうえではあくまでここは過程でなければいけないので、最後まで世界陸上を諦めずに、頑張っていきたいと思います。


ーー跳躍を振り返って

 6本通して全部、本当にもったいないというか、惜しい試合だったなと。特に5本目とかは、自分でも確認したんですけど、本当に爪一枚分とかの差でファールになってしまった。そこをしっかりと跳べていたら、もう一つ二つ上の順位も取れて、PBも更新できたかなというような跳躍だったので、本当にあと一歩だったなと。でも、悔しいんですけど、今日の試合に、今までの過程も含めて、後悔があったわけではなくて。今まで本当にけがばかりしていて、あの時こうしていればよかったというのがほとんどだったんですけど。今日はそういうのが一切ない、やり切ったと思える試合だったかなと思います。


ーーやりきったというのはこれまでの過程も含めて

 そうですね。全部含めて、やれることは全部やったと思います。


ーーけがというのは

 本当に年によって違うけがで、去年は左ハムを4回くらい肉離れしていて、その前は腰椎分離だったり、恥骨結合炎だったり。椎間板ヘルニアになったこともあって。けがしてないところってどこだろうっていうくらい、ずっとけがしていたので、そういうところをしっかりと治して、けがをしないように練習に取り組み続けられたことが、藤原孝輝としての大きな進歩かなと思います。


ーーけがとはうまく付き合っている状況か

 ずっともう一回けがするんじゃないかという怖さはあるんですけど、その怖さがある意味ストッパーにもなっていて。どこまでいったらけがをするかという瀬戸際が、ちょっとずつわかってきたのかなと思います。


ーーそこまでやり続けられる理由は

 2年前、骨折で手術したときは、本当に1年くらい大会にも出られなかったんですけど、半ば意地みたいな感じで。練習にはいくんですけど、ちゃんと練習できていたかといわれればどうだろうとは思いますが、惰性ででもやり続けていました。高校2年生の時に出した8m12が、生涯ベストで終わりたくないという気持ちが1番強くて。これから先も、社会人でできる限り続けていきたいという気持ちがあるので、しっかりと結果を出して、これから先につなげていきたいという気持ちはずっと持っていたかなと思います。


ーー大きな日本選手権3位になったか

 そうですね。結果としても今までで一番良かったので、本当に進歩のある大会だったなと思います。


ーー世界選手権に向けて

 とりあえず世界選手権の圏内に入れば優先的に権利をもらえる順位はとれたので、ポイント的にあと3試合、もしくは世界選手権の標準記録を突破できるようにこれから先、9月まで取り組むしかないですし、そのために全力を尽くすつもりです。



TEXT=近藤結希

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