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日本女子サッカー界で誰もが憧れる存在。それが、「日本女子代表なでしこジャパン」。そんな女子サッカーの最高峰、なでしこジャパンに新たに名を連ねた北村美羽(食23年度卒=リンシェーピングFC)。なでしこジャパンへの選出は、女子サッカー部創設以来初めてのことであり、彼女の活躍は多くの者に夢と希望を与えた。
2022年の関東大学女子リーグ1部で優勝。その年の全日本大学女子サッカー選手権大会(以下、インカレ)でも見事悲願の初優勝を成した2023年度の卒業生たち。その中の中心選手としてチームに貢献し続けた北村は、卒業後は自身の育ちの巣でもある、ジェフユナイテッド市原・千葉レディース(以下、ジェフ)へと所属を決める。ジェフにとっても新たな戦力として試合の前線に立ち、短い期間でもWEリーグ32試合、WEリーグカップには7試合と出場し多数の試合で活躍を見せた。
彼女のひたむきな努力が花咲いたのは2025年の夏。東アジアE-1サッカー選手権2025決勝大会の出場選手として、サッカー女子日本代表のなでしこジャパンに見事選抜。世代別日本代表選手としても選抜経験のなかった北村だったが、7月7日から行われた東アジア戦では3試合中2試合先発メンバーに入りフル出場。「緊張はしなかった」と語ったデビュー戦では、守備を中心に固め攻守ともにバランスの良いプレーでその確かな実力を発揮した。
また代表入りを発表されたほぼ同時期に、スウェーデン1部リンシェーピングFCへの移籍が決まり、日本代表に続き北村自身の海外進出も果たした。ジェフに所属してから意識していたという海外への意欲が早くも実現したことに驚きつつも、新たなステップに向け、着実な一歩を踏み出した北村。常に自分が今できることを探し続けるその冷静な分析力と確かな実力で新たなチームでも活躍が期待される。
日本代表で背番号7を背負い、試合全体を見る冷静かつ器用なプレーをみせた活躍の核には東洋大の石津監督の教えがあった。自分自身と向き合いながら「楽しむサッカー」を追求し続ける北村選手の心に密着したインタビューを全文公開!
日本代表で背番号7を背負う北村
(ご本人より写真提供)
――思い返せばどんな大学生活でしたか?
女子サッカー部は完全寮制で、40人ぐらいで寮生活してました。サッカーの部員でもみんなとコミュニケーション取りながらあとはその試合後とかも寮でみんな一緒なので、全員で食事しながらまた話したり結構リフレッシュしたりっていうのを繰り返しながらですごい良い関係でサッカーできていたなと思います。自分のサッカーのプレースタイルっていう部分でもすごく東洋大学で学んだものっていうのはすごく活かされてるかなと思います。
――東洋大学に行こうって決めたきっかけは
もともとジェフのアカデミーの下部組織にいたんです。高校時代のリーグで大学生と試合するリーグがあったんですけど、その時に東洋大学とも試合をしていて。正直あんまり大学サッカー知らなくて、ずっとクラブチームにいたので部活がどういったものなのかとかも知らなかったし大学サッカーがどういう位置付けにあるのかとか。例えば、自分の場合は下部組織だったので、トップチームに上がるのがみんなの第1目標でした。そこに上がれなかったから、次どこ行こうってなった時に、大学サッカー行ってみようと思って。それで、東洋大学とはリーグ戦で1回も勝ててなかったので、じゃあ練習参加行ってみようと思って行って、すごくサッカーのプレースタイルが自分に合ってるなって感じたので決まりました。
――1回も勝てなかった大学に行くという発想っていうのはなかなか
やっぱり大学差とか年齢差ももちろんあったとは思うんですけど、試合しててもすごいボールを大事にするし、っていう部分でも惹かれたところは多かったのかな。
――入部した時に何か監督とお話しした事はありましたか
ちょうど私が入部する時に監督が入れ替わったんですね、サッカー部。元々入部しますって決まった時の監督とは違って、その時に当時はまだコーチだった石津遼太郎監督がすごい自分を取ることを結構勧めてくれてたみたいでそういう話は入ってから聞きました。
――嬉しかった?
嬉しかったです!
――現役の活躍振り返ってみていかがですか
3年生の時には全国優勝だったり、関東で優勝したりっていう経験もさせていただいて。東洋大に入って石津監督に教えていただいた部分っていうのは、すごくボールを大事にしながら周りとの連動性を持ってっていうことで、すごく頭が良くなったなっていうところ。あとは、高校年代でも正直すごい目立つ訳ではなかったんで、プレー的にも目立つプレーをする選手ではなという風に自分では思ってたんですけど、目立たない選手なりに試合やチーム、プレーの流れっていうのを作れるんだよっていうのをすごく教わって感じられたので、目立たなくてもいいからチームの為になってるっていうのはすごく自分のプレースタイルに合ってました。東洋大学入ってよりサッカーが好きになりました。
――他の東洋大学女子サッカー部の選手に聞いても考えるプレーをするから頭をすごく使うような事を言っていて、やはりそれはチームで一番大事にされている事なんですか
そうですね。あとはプレーする中でも選手同士で頭の中のイメージを揃えようねっていう話を試合とかよくおっしゃっていて、それってすごく大事だなと思います。自分がやりたいプレーだけじゃチームとしては成り立たないんで。そういった部分ではアイコンタクトだったりコミュニケーションだったり、あとはボールの持ち方だったりっていうことを味方を見ながら、自分の動きも変えるっていう部分では本当にすごい頭を使うし、それが自分でも楽しかったなと思います。
――自分のプレーの基盤になっていくような
そうですね。
――大学サッカーで一番印象に残るエピソードや試合はありましたか
そうですね。でもやっぱりインカレ優勝した時っていうのは、勝ちながら改善していける部分だったり、勝ち癖っていうのをすごい自分の中でも感じられていました。あとはインカレの大会中にコロナが広まってしまって。(コロナに感染して)人数も半分ぐらいになってしまったんですけど、そういった中でも勝てるっていうその強さっていうのはものすごく感じられて良かったなと思います。
――大変な時期でしたね
その時は本当にコロナが2回ぐらい広まっちゃって、大変でした。でも2回ともかからなかったです。(笑)
――学生生活と両立特に難しかったこととかありますか
両立ならではというか、分からないことがあったら先輩にもすぐ聞けますし、レポートだったりっていうのも、話し合いながらできたので、そこはなんか逆に一般生だったら大変だったかもって逆に思ったぐらいです。そんなに心配はしてなかったです。
――では上下関係とかもなく仲の良い部活だった
本当にほぼなかったです、上下関係。もちろんそれがあった方が良いっていう選手だったりチームもあるかもしれないんですけど、東洋はそういうフラットな関係っていうのがより良かったのかなとは思います。
「自分のプレーだけ考える」ジェフユナイテッド千葉時代での気付き
――卒業してから感じたプロと学生の違いは
まずはみんな仕事としてサッカーをしていますし、サポーターさんもいますしっていう中で、1試合に対する勝利への執念というか、プレー以前にそういった気持ちの部分が学生にはない部分だったなっていう風にすごく感じていて。勝ち負けにこだわる部分っていうのが球際の強さだったり、パワー、スピードっていう部分にすごい差を感じましたね。ただ東洋大学でやってた頭を使うサッカーっていうのは逆に言えば、プロ入ってもうまくやる部分でもありますし、合わない選手、合う選手っていうのが出てきちゃう部分は必ずもあるんですけど、でも頭を使えば上手くそこも受け流せるというか、っていうのはあったかなと。
――自分の強みとかって何かこう持ちながらプレーとかできたりしましたか
元々ボール触りながらゲームに馴染んでいくのが得意な部分にありました。もちろん入ってすぐの時とかはボールをなかなか受けられないとかあったんですけど、少しずつ、練習中でも選手たちからの信頼だったりっていうのも徐々に勝ち取っていけば、試合でもすごいボールが来るようになりますし、自分の意見言いながら、こういう時は「こういう所にいて欲しい」って言ってやってくれるようにもなりますし。自分のやりたいプレーだけを貫くわけじゃないですけど、そこはしっかり自分の中でこだわりを持ってやった方がいいのかなとは思います。
――意見言うと、その分ちょっとぶつかることとかあったりしませんでしたか
プロなのでみんな経験持ってますし、持ってるからこそ自分の意見をあんまり曲げない選手とかもちろんいるんですけど。でも全然自分もそんな強く言うタイプではないので、逆にこう受け流して、意見の合う選手と話しながらっていうのでやってました。
――メンタル落ちるタイミングとかあったりしましたか
ありましたね。大学4年の時に強化指定としてJリーグの方に参加しながら大学のほうも参加して(大学と)行ったり来たりの時期があったんですけど、その時は結構Jリーグのサッカーに馴染むのにすごい時間がかかって、ボール受けれないし、自分がやりたいサッカーじゃないなっていう風にすごい感じてしまった部分があって、その時は本当逆にいい経験をさせて頂いてるのに大学のほう戻りたいなっていうのがすごいありました。
――慣れた環境はやはり大切で
そうですね。慣れた環境だったり、自分が本当にやりたいプレースタイルっていうのが、東洋大学の方があるなって感じてしまって。プロってこういうもんだよなっていうのをまだ知らずに入って、変に自分のやりたいプレーだけにすごいこだわっちゃってたとすごい思うので、今はどこに行っても自分のプレースタイルに合うチームっていうのがこうすぐ見つかるわけじゃないっていうのが分かってるので。そうですね、やっぱり慣れだったのかなとは思います。
――落ちた時の自分の対処法や支えてもらったことなどは
それこそ大学に居ながらJリーグに行ってる時はその間に解決策を見つけるのが結構難しかったんですけど、大学に一旦戻ってきたりして、Jリーグに行ってない時間にその状況は良くないなってすごい感じてました。本当はこう思うのはあんまり良くないのかもしれないですけど、逆にあんまり考えないようにしてて。自分のやりたいサッカーができないとか、そういうのはもう流しにして自分のプレーだけに集中しようっていう。「ああ何かできないな」って考えすぎちゃうと逆にこうフラストレーション溜まっちゃうタイプなので、「じゃあもう自分のプレーだけ考えればいいか」っていう風にして、よくも悪くも一旦ちょっとシャットダウンしたんです。でも逆にそれが今は良かったのかなって思います。
――目の前のことに集中してという感じで
もう自分がパスを受けるためだけにとか、ボールが来た時のことだけをもう考えるようになりました。
――同じ東洋の先輩などもいたと思いますが、話などはされましたか
その時はジェフのアカデミーにいた時のチームがトップチームに戻った感じだったので、その時の同期が2人いましたし、同期とかジェフの先輩とちょっと喋ったりしてその時は結構過ごしてたかな。
――知り合いがいるだけで違うというか
もう全然違いました。あとは大学に急に戻ってきた時もみんなすっごい暖かく迎えてくれたとか。もうその東洋大の存在は本当にJリーグに行きながらでもめちゃくちゃ大きかったなと思います。
――特に刺激もらった選手とかいたりしましたか?
大学で言うとやっぱり同期の選手だったり、あとは門脇真依(食23年度卒=RBライプツィヒ・フラウエン)選手が4年の夏ですかね。在学中、海外挑戦で大学のサッカーを辞めて海外のほうに渡ったんですけど、その時はこう単純にすごいなって思って。在学中に海外にして飛び立って、今はその移籍した先でリーグ優勝をして、また新たなステップアップして違う国に移籍してっていうのを見ると、なんか在学中は正直自分とは全然違う世界だなっていう風に感じていたので。真依(門脇真依選手)には真以のやりたいことがあるんだろうなって感じで見ていたんですが、本当活動してると真依の選択って本当に凄かったなって。すごいそれに感化されましたし、話していくうちに自分も海外行きたいなっていう気持ちもどんどん強くなりましたし。そういった部分では真依の行動だったりっていうのは、もちろん真依だけじゃないですけど、自分の中ではすごい大きいかなと。
――北村選手は元々海外を目指してすぐにでも、ってわけではなかったのですか
そうですね。自分はなんかちょっと先の事を立てるのがあんまり得意じゃなくて(笑)。目の前の事やって、その時にやりたいことをやろうっていう風に考えてるタイプだったので。ジェフにいる間も今すぐ海外行くために一旦ジェフに行こうとかじゃなくって、ジェフで頑張ろうと思ってジェフに入ってやっていくうちに、ああ、やっぱ海外行きたいなって思うようになっていう感じでしたね。
――入ってから移籍早かったですよね。
そうですね。自分でも1年半ぐらいかなと思うけど。ジェフにいる間に、結構海外行きたいと欲が出てきたので。そこからはこうどんどん決まっちゃって。いつの間にか海外行きました。
「咲き誇れ!なでしこの舞台 北村美羽選手、初の代表入りインタビュー②」へ続く
取材日=8月19日 聞き手=森花菜