記事

島田舜也投手
島田舜也の野球の原点に迫る
恩師である木更津総合・五島卓道監督の「考える野球」は、選手一人一人の個性を大切にし、自ら主体的に行動できる選手を育む野球だ。その厳しい中にある五島監督の温かさは、島田(総4=木更津総合)の大学野球人生を大きく変えた。横浜DeNAベイスターズ(以降DeNA)より2位指名を受けた今、島田と五島監督に木更津総合硬式野球部による入団祝賀会の場で高校時代の話を聞いた。
12月20日、7年ぶりに木更津総合硬式野球部【第五回 真心会2000〜島田舜也選手 横浜DeNAベイスターズ入団祝賀会〜】が開催。

横浜DeNAベイスターズ入団祝賀会会場
ステージ上には東洋大、DeNA、そして木更津総合の3枚のユニホームが飾られていた。続々と歴代の野球部卒業生(OB)や学校関係者が集まり、参加者は160人。あの頃の懐かしい顔ぶれに、過ぎ去った青春が再びよみがえるかのようだった。笑い声とともに穏やかな時間が流れ、いよいよ真心会が始まる。
木更津総合高校は、1963年創立の木更津中央高校と、1973年創立の清和女子短期大学附属高校が2003年に統合して誕生した、千葉県内有数の私立高校である。両校の歴史と校歌を受け継ぎ、2023年には創立20周年を迎えた。「真心」を校訓に、現代的なコース制やハウス制のもと、人間性豊かな生徒の育成を目指している。
野球部OB会「真心会」は、木更津中央高校時代からのOBを中心に組織され、監督や指導者への感謝と労いの思いを込めて、2、3年に一度開催されてきた。今回はコロナ禍を経て7年ぶりの開催。島田は同校野球部からプロ入り8人目となる。

名将:五島監督のスピーチ
五島監督が壇上に上がると、会場は一瞬で引き締まった。背筋を正す参加者たちに、名将の存在感が静かに、しかし確かに伝わる。だが次の瞬間、「誰だったかな〜」のひと言で空気は一変。「そっちの方、顔が見えねぇなぁ。久しぶりに顔を合わすけど、お前、俺の親父みたいな顔しとるな〜」と特定の参加者をユーモアたっぷりに“いじり”会場は笑いに包まれた。「まぁ、よく来てくれました」と和やかなムードをつくりながらも、五島監督の言葉はなお続く。会場は再び耳を傾け、その一言一言に視線が集まっていた。
五島監督が次に話題に挙げたのは、先月(当時:2025年12月)、千葉県出身のプロ野球選手が2度目の逮捕に至った出来事だった。
「プレーや立ち振る舞いを見ていて、この学校の関係者で注意する人はいなかったのかなと思った」同じ千葉県の高校教師、そして指導者として、厳しい視線を向ける。社会に出れば、評価は待ったなし。「学生のうちに、これはいい、これはダメだとはっきり言ってくれる指導者が必要だと思う」と育成の在り方にも言及した上で、自身の引退までは「いいものはいい、悪いものは悪いと言える指導者でありたい」と、指導者人生の覚悟を口にした。この宣言には、選手一人ひとりの成長と人間性を大切にしてきた五島監督の姿勢がにじんでいた。
最後に五島監督は、篠木(2024年ドラフト会議にて横浜DeNAベイスターズより2位指名)に続き2年連続でプロ入りを果たした島田について話した。「高校時代は篠木、吉鶴(東芝野球部)がひとつ上にいて、どうしても下級生の頃はチャンスを与えることができなかった」と当時を振り返った。最上級生になってから、しっかりと木更津総合の伝統を守ってくれた島田。その成長も評価しつつ、「プロに入ってからは、けがなく、長いプロ野球選手を続けてほしい」と恩師としての願いを口にした。教え子へのエールの言葉は会場中に深く響いていた。

島田とお母様へ花束贈呈
【奥:中学のボーイズ時代から切磋琢磨してきた山中海斗さん(日大4年・硬式野球部)からお母様へ 手前:高校時代にバッテリーを組んでいた中西祐樹さん(法政大3年・硬式野球部)から島田選手へ】
今回、話を聞いたのは、高校時代に島田と寮で同部屋だった1学年下の中西。グラウンドだけでなく、日常生活をともにした中西だからこそ見えてくる島田の素顔があった。
「先輩ですが、気軽に何でも話せる人でした」そう振り返る中西は、島田の人柄についてこう続ける。「マイペースなところはありますけど、一緒に生活していて困ったことはなかったです」年上でありながら距離を感じさせない島田は、後輩に気を使わせないように野球をする時だけでなく、日常生活においてもフラットな関係性を作っていた。
しかし、そんなバッテリー間であっても決して順風満帆な日々ばかりではなかった。秋の大会で敗れた後、2人はともに行き場のない思いを抱えた。その上、島田のケガも重なり、どうしていいかわからなくなった日々が続いたという。この状況に、2人は苦しい状況から抜け出そうと立場や学年を超え、本音をぶつけ合う。その真正面から向き合った経験が、互いを支える土台になり、チームの未来を照らす希望となった。
寮生活、そしてバッテリーとしての日々。中西の言葉からは、島田が仲間にとってどれほど信頼される存在だったのかが伝わってくる。

集まってくれた参加者に向けてスピーチをする島田
島田は、後輩から花束を受け取ると、まずは穏やかな表情で会場に集まった人々へ挨拶をした。そして、話題は高校時代の思い出へと移る。秋季大会で優勝を果たしながらも春の選抜出場はかなわず、最後の夏も決勝で敗退。その舞台でマウンドに立っていたのは自分自身だった。「自分の代で監督を甲子園に連れていくことができなかった」その言葉には、今も胸に残る悔しさがにじんでいた。
島田は、その悔しさこそが大学で野球に打ち込む原動力になったと振り返る。東洋大に進学してからDeNAに指名されるまで、「一日も忘れたことはない」と語り、苦しい時期を支えてくれた周囲の存在にも改めて感謝を口にした。
スピーチの最後には、プロ野球選手としての新たな決意を述べた。先輩たちの背中を追いながらも、自分の夢を大切にし、高校野球で培ったものをこれからの舞台でも生かしていく。「球場のスコアボードに、木更津総合の名前を何度も刻めるような選手になりたい」その言葉に、島田のまっすぐな思いが込められていた。
お兄ちゃんだけどお父さん、野球を始めたのは4歳年上の兄の影響だった。

お祝いに駆けつけた島田ファミリー
島田は4歳年上の兄の背中を追い、小学1年生で白球を握った。プロ野球選手となった今、家族からは「おめでとう」の声が届く。
ひとり親家庭で育った島田を支え続けたのは、母と兄。中でも兄の存在は特別だ。「お兄ちゃんだけどお父さんみたいな存在」島田は兄をそうたとえた。数え切れないほどの試合に足を運び、冷静な助言を送り続けてきた。それは、父親という立場があっても簡単にできることではない。
野球のパートナーであり、人生の道しるべでもあった兄。父親以上の役割を果たしてくれた存在がいたからこそ、島田はコツコツと努力を積み重ね、困難に直面しても前を向き続けることができた。家族の支えを力に変え、彼は夢の舞台へとたどり着いた。
◼︎五島監督・島田インタビュー記事

恩師の五島監督(左)と肩を並べる島田(右)
島田は笑顔で、この会が開かれた喜びを語った。「まずは、うれしい気持ちとありがたい気持ちがあります。歴代のOBがこんなに参加できるのは、当たり前ではないので出席すれば、話す機会がもらえて、今回は自分のために集まって応援してくれたので、この先も頑張ろうという気持ちになりました」
高校を卒業し、それぞれの道を歩んできた仲間たちと、この日、再会した。懐かしさに包まれると同時に、縦のつながりの大切さを改めて実感。島田は、伝統ある木更津総合硬式野球部から元気と力をもらった様子だった。
中学時代から注目選手、数多くの高校の中から木更津総合を選んだわけとは
中学時代から将来を嘱望されてきた右腕・島田。野球人生の大きな岐路となった進学先に、彼が選んだのは千葉の名門・木更津総合だった。
島田が中学時代に在籍していたのは、神奈川県横浜市を拠点に活動する横浜泉中央ボーイズ。日本少年野球連盟(ボーイズリーグ)神奈川県支部に所属し、全国レベルの大会にも出場する実力あるクラブチームだ。その中でも島田は、恵まれた身長と球速のある直球を武器に、早くから注目を集めていた。
当然、進路を巡っては、多くの高校が島田に熱視線を送っていたが、その中で木更津総合が有力候補として浮上した背景には、同じ横浜泉中央ボーイズ出身で、花束を贈呈した山中海斗の兄・山中稜真(2024年ドラフト会議にてオリックスバッファローズより4位指名)の存在があった。山中は、島田の3つ上で木更津総合に在籍。五島監督も「うちのチームに島田と同じシニア出身の選手がいるから、そのつながりでうちを選んでくれる可能性はあるんじゃないかと思った」と振り返る。
当時の木更津総合は、篠木、吉鶴ら実力派投手を擁し、投手陣は潤っていた。一方で、チームとしてはその下の世代を担う投手の育成・確保が課題でもあった。そこで、将来を見据えた中で、素材としての島田に白羽の矢が立った。
島田自身は、木更津総合を選んだ理由について1番は、「親元を離れて独立したかった」と語る。地元・神奈川を離れての県外進学は、大きな決断だったが、そこには明確な覚悟があった。さらに、見据えていたのは甲子園の舞台。「木更津総合なら甲子園を本気で狙えるし、自分にもチャンスがあると思った」その木更津総合の伝統に対する確信こそが、島田を千葉の名門へと向かわせた最大の理由だった。
ドキドキのドラフト会議
ドラフト会議当日。五島監督はテレビの前で、その瞬間を静かに待っていた。
「選手が引退してからは、我々指導者はファンみたいなもの」そう語る表情は、勝負師というより、教え子の晴れ舞台を見守る一人の“大人”だった。
ドラフト間近、グラウンドでは現役の高校生たちが汗を流して練習していた。しかし五島監督の視線は、自然とテレビへ向かう。練習そっちのけと言えば語弊があるが、気にしていないふりをしながら、実は誰よりも気にしている。そんな様子が隠しきれない。
名前が呼ばれるか、呼ばれないか。画面が切り替わるたび、無意識に体が前のめりになる。その姿は、勝敗を読み切る名将ではなく、教え子の未来を願う“ファン”だった。
長年、多くの選手を送り出してきた五島監督だが、この日ばかりは落ち着かない。指導者である前に、誰よりも選手を思う人。五島監督のそんな可愛らしさが、ドラフト会議という特別な一日を、少しだけ温かくしていた。
旅立ってから気づかされる五島監督の教え
驚いたことに、高校時代の島田について話を聞くと、五島監督と島田の両者が「当時は監督の教えの意味を分かっていなかった」と口をそろえた。
五島監督は、島田について「コツコツ努力はする選手だった」と振り返る一方で、「話をしても、本当に分かっているのか分からなかった」と正直に明かす。伝えているつもりでも、届いているのか確信が持てなかったという。指導者として向き合いながらも、どこか手探りの時間があった。
一方、島田自身も当時は、監督の「考える野球」を理解できていなかったという。言葉の意味は分かっても、その真意まではつかめなかった。しかし大学に進み、自分で考えながら野球と向き合う日々を重ねるうちに、「あの時言っていた言葉はこういうことだったのか」と少しずつ監督の言葉が腑に落ちていった。
振り返って初めて気づいたのは、五島監督のあたたかさだった。勝つためだけではなく、常に選手を一番に考えた指導。厳しさの奥にあった思いは、時間をかけて、確かに島田の中に根付いていた。分かり合えなかった過去さえも、今では信頼の証となっている。
「高校での悔しかった経験がなければ今があるかわからない」野球に打ち込む原動力
「高校での悔しかった経験がなければ、今があるかどうか分からない」島田は、迷いなくそう言い切った。
島田は自身の性格を自己中心的で一人で行動することが多く、高校時代はコーチから「もっと周りのために動け」と繰り返し指摘を受けていたと話す。チームを引っ張っていく選手としてこの性格は難問だった。
転機は、高校時代に経験した肘の故障だ。思うように腕が振れず、グラウンドに立てない日々が続く中、五島監督は練習量を求めなかった。技術よりも、野球とどう向き合うか、仲間の中でどう在るべきか――内面に目を向ける時間を与えた。プレーできない時間は、島田にとって自分と向き合う濃密な時間となった。
しかし、高校最後の夏。目標としていた甲子園の舞台に立つことはできなかった。積み重ねてきた努力が結果に結びつかなかった悔しさは、簡単に整理できるものではなかった。
引退後、五島監督は「次のステージで頑張れ。大学で、また輝くチャンスがある」と声を掛けた。結果ではなく、その先を見据えた言葉。甲子園に行けなかった悔しさは、今も胸にある。だからこそ、大学でも野球に打ち込めていた。「あの経験がなければ、今はない」挫折を力に変え、島田は次のプロでのステージでまた腕を振り続ける。
「ゴールは甲子園じゃない」プロ野球選手になった今、現役の木更津総合の選手に伝えたいこととは
プロ野球選手となった島田が、母校・木更津総合で汗を流し懸命に努力する現役選手たちに、まっすぐな言葉を送った。
「ゴールは甲子園じゃない」その言葉には、実体験からくる重みがある。もちろん、甲子園を目指すことは大切だ。しかし、野球人生、そして人生そのものは、その先も続いていく。
「野球を続ける人もいれば、続けない人もいる。でも、高校野球で積み重ねた経験は、社会に出た時に必ず生きる」勝敗や結果だけでは測れない価値が、グラウンドには詰まっている。
大学野球を経てプロの世界に立った島田は、結果以上に「過程」の大切さを知った。「結果だけを追っても意味はない。どう取り組んだか、どう成長したかが、次につながる」。勝つために何を考え、どう行動したか。その積み重ねが、選手を強くする。
甲子園は通過点。その先を見据え、今この瞬間に全力で向き合うこと。その姿勢こそが、未来を切り開く力になると、島田は現役選手へメッセージを送った。
2人に聞いた理想の選手像
島田が思い描く理想の選手像は、結果以上に「人の記憶に残る存在」だ。
熱狂的なファンが多いDeNAの一員として、「愛される選手になりたい」と率直に語る。その根底にあるのは、幼少期の実体験だ。「小さい頃、プロ野球選手はとにかくかっこよかった。今度は自分が、子どもたちにそう思ってもらえる存在になりたい」プレーだけでなく、生き方や姿勢も含めて憧れられる選手を目指している。
一方、五島監督が島田に求める理想像は、現実的でありながら期待の大きさがにじむものだった。
「無理なく、ケガなく、謙虚にやってほしい」そう願いながらも、「ただ、ここぞという場面で、みんなが島田に期待している時にマウンドに立てるピッチャーになってほしい」と言葉を重ねる。相反するようにも聞こえるが、それだけ島田への信頼が厚い証だろう。加えて、「早川隆久(2020年ドラフト会議にて楽天イーグルスより1位指名)や篠木の才能型とは違い、努力型の島田が、プロに入ってどんな風に変化していくのか、楽しみにしている」と更なる精神力を身につけた島田に期待を示した。
愛される選手を目指す島田と、勝負どころで託せる投手としての成長を願う五島監督。その思いが交差した場所が、木更津総合だった。ここで培った「考える野球」と人としての土台は、島田の原点であり、これからの支えでもある。恩師の教えと支えてきた人々への感謝を胸に、島田はプロの舞台で新たな挑戦を始める。
◇プロフィール◇
島田舜也(しまだ・しゅんや)
生年月日/2003・4・30
身長・体重・最高球速/185㌢・95㌔・155㌔
(TEXT•PHOTO = 吉田妃莉)

