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悲願の1部復帰。高橋政権最長の6季の2部生活に終止符を打ったこの秋、彼らはどんな思いを抱いて戦っていたのだろうか。そんな舞台裏に迫った特別インタビューを8日間に渡ってお届けする。
第6日は増渕雅也投手(営4=鷲宮)。今季、2戦目の先発を任されてきた。リーグ最終戦、入れ替え戦共に負けたら終わりの厳しい状況でも「やってやろうと思った」と、マウンド上では見せない内に秘めた熱い思いを語ってくれた。(取材日・11月29日、聞き手・千野翔汰郎)
――今季を振り返って
自分なりにも調子がよくて、原(営4=東洋大姫路)の支えになる投球を目指していていた。原だけに頼っていても勝てないので、1戦目原で2戦目は自分で勝って終わるのが一番いいと思ってやってきた。
――最終カード、入れ替え戦と崖っぷちの中での登板が多かったですが
プレッシャーはすごかったが、開き直って自分の投球が出来たのでよかった。自分はプレッシャーのかかる場面では、逆にやってやろうと思って燃えるのでそういったところも結果につながったのかなと。
――入れ替え戦を振り返って
1回戦は1-0だったので2年前を思い出した。次の日は自分が勝って原につなげたいと思った。正直もっと投げたかったが、自分の力不足ってことにして原で勝ちたかったのではないかと思った。
――試合後は
自分たちが上げることが出来たということで素直に嬉しかった。先輩たちにもお前たちが上げてくれと言われていたので、それが果たせてよかった。
――最後原さんとのキャッチボールの後は何と声をかけましたか
「お前のおかげで1部に上がれた。ありがとう」と言いました。
――2部の3年間を振り返って
ずっと2位とかあと一歩の状況が続いていたので、東都や野球の厳しさを感じた。
――昇格できた要因は
今までと違ってメンバー、メンバー外問わず一丸となっていた。みんな原についていくという気持ちが大きかった。
――印象に残っていることは
4年の秋のリーグ戦が始まる前に監督から「2戦目はお前で行く。」と言われた一言は嬉しかった。夏のオープン戦から落ち着いて投げられていて、監督との信頼関係が高まった。それまでは短いイニングしか投げさせてもらえなかったので、この言葉で自分がやってやろうと思った。
――苦しかった時期は
4年の春。冬から投げ方を変えて、肘を痛めて投げられなかったのが一番悔いが残っている。それでも、みんなから「秋には間に合わせてくれ」と言われていたので、秋にしっかり投げられるようにと思ってやっていた。
――同期に対して
1年の時に落ちて、4年で上げるっていう一番苦労した学年だった。4年生はみんな仲良くて、全員がチームのために何かしようとバッティングピッチャーだったり、サポートしてくれて一つにまとまっていたのが大きかったし、支えになっていた。この代でよかったと思います。
――後輩に向けて
自分たちはもう出来ないので、後輩たちが日本一に向けて頑張ってくれればいいです。自分も都市対抗のマウンドに上がれるよう頑張っていきたい。
――感謝したい方は
ずっと支えてくれた兄と母には感謝したいです。兄には大学の費用とか、野球の面でもサプリだったり、治療器具だったり本当にサポートしてもらった。技術面でも打者心理だったり、ピッチャーとしてのあり方だったりよくアドバイスをもらった。プロも経験していて考え方が全然違うので、入れ替え戦とか苦しいときに力になりました。
――高橋監督の下での4年間を振り返って
監督の下で4年間やり続けられたので、この先どこへ行っても大丈夫だと思う。常に先の先まで考えているので、それが年を取っていくと分かるといっていたが、それもそのうちわかってくるのかな。理不尽なことも沢山あったが、思い返すとよかったなと、感謝したいです。
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8日連続独占インタビュー~昇格の舞台裏
明日、第7日は副将・林悠平のインタビューをお届けします。
硬式野球部の秋の戦いはこちらからご覧いただけます。