記事
平成27年度スポーツ東洋編集長、硬式野球班チーフを務めました浜浦日向です。この1年間、これまでとは比にならないほど多くの方々に支えていただき、改めてこの場を借りて感謝を申し上げます。
さて、私が伝えたかったことは、先週の枦愛子がほとんど書いてくれました。口数は少ないけど、彼女の文章からはいつも『熱』が伝わってきて、そんな文章が大好きだったし、どんなことがあってもその思いにかけてきました。最後まで、素敵な原稿をありがとう。
いくつもの記事を執筆してきましたが私の名前がスポトウに刻まれるのもこれで最後になります。せっかくなので、最後のあいさつに代えて一本の読み物をお届けします。きっと彼の名が刻まれるのもこれが最後です。
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2013年4月、スポーツ東洋に入部した私は大好きな先輩方から1人の選手を引き継ぎました。『間違いなくドラ1と認められる投手に』さすが偉大なる阿部、井出、菊池大先輩ですね。
しかし、そこからは苦悩の2年間。原さんはスポーツ東洋の取材が大嫌いでした。私の取材はそれだけずさんだった。右ひじの痛みから本来の投球を見失う負の連鎖。当時のピッチングを、原さんは「覚えてない」と言います。忘れ去りたいくらい苦しかった時期、そんな思いにすら当時の私は気付けずにいました。
悔しかった。一人の記者として、なんとかして認められたくてやれることは何でもやりました。スポーツ紙の講演会へ足を運び、甲子園へ武者修行にも行きました。少しでも彼のことを理解しようと集めた資料は20枚以上、関係者には片っ端から話を聞いた。思いが通じたかはわからない。それでも、「もう色々話したから、お前には何書かれてもええ」と言われたときは、記者としてこの上ない喜びを得ました。
原さんはいつも「スーパースターじゃないから、自分なんて大したことない」と言います。たしかに豪速球や、どでかい一発で魅了するわけじゃない。それでもその投球は、一体どれだけ多くの人の心を動かしたことか。それは決して誰にでもできることじゃない、だから『ドラフト1位』なんです。身を削っても一部でプレーさせてやりたいと願い続けた後輩たちの心を、王者・東洋の復活を待ち望む多くの関係者の、そしてあなたの戦う姿を見て勇気をもらった人の心を。かくいう私もその一人であり、そんな人が一人でも増えてくれたらいいと思って情報発信を続けてきました。
記事でも紹介した、グラブの送り主で中学時代からの親友という金谷さんには忘れられない思い出があります。中学最後の大会、原さんは腰の治療で病院へ行っていたため試合開始に間に合わなかった。しかし、代わりに先発した金谷さんが打ち込まれなおピンチの状況で到着すると、なんとキャッチボールも2、3球でマウンドへ上がり見事に三振を奪って帰ってきたと言います。スーパースターじゃない、でもいつだってあなたは「みんなのスーパーヒーロー」なのでした。
いよいよ明日、プロ生活をスタートさせますが、やはり私も「頑張れ」とは言わないですね。ただ、これまで通り何があっても、ときには回り道もしながら、自分のやることをやれていればそれで十分。『ジュリ』という名前は、ロシア音楽の声楽家である父・敏行さんが大事にした「世界に通用する〝響き〟」です。目の前のことと真摯に向き合っていれば、藤田明彦監督(東洋大姫路)が繰り返す「日本を代表する投手」へ、きっとまた「神様が導いてくれる」ことでしょう。
スポトウ記者としてはこれで一区切り。これからどうなるかは、私もわかりません。ただ、原さんと、そしてご家族の皆様からいただいた「出会えてよかった」という言葉を支えに、私も『ドラフト1位を取材した者』としてふさわしい人生を歩んでいきます。
3年間、ありがとうございました――。