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2016.03.31
コラム

第505回「新聞を作らせるために東京に出したんじゃない」執筆者・星和典

「新聞を作らせるために東京に出したんじゃない」。この言葉は大学2年生の夏休みごろに、母に言われました。夏休みも、春休みも取材や編集など言って地元の宮城に帰らず、冬休みは箱根駅伝の取材のために11日に東京に戻る。単位もちらほら落とすなど、何百万も授業費を出して長男を東京に出したと思ったら、新聞の話ばかりしてそりゃ怒りますよね。でも、この言葉を言われた時、親と口げんかになりました。でもこれは自分が凄い活動をやっているんだ!と自分に酔っていたんだと思います。今になって、本当に親に申し訳なかったと思います。そして、この言葉を聞いたときは新聞部を辞めてしまおうかとも思いました。そのため、この時期はいつもいつも、「次で最後の取材だ」と思いながら取材していたのを覚えています。でも結局辞めるとは言い出せないまま、北海道でのアイスホッケーの取材になりました。この北海道での取材が終わったら今度こそ辞めようと思い、取り組みました。でずが、この取材で自分のやっていることの、意味が見つけられた気がしました。それはアイスホッケー部の保護者の方々から「取材をしてくれてありがとう」「いつも手紙ありがとう」など本当に嬉しい言葉をいただいたことです。この時に自分の活動が凄いのではなく、読んでくれている人たちがいるから、周りに支えてくれている人がいるから、自分の活動が出来ているんだと思いました。そこからは辞めようなんていう気持ちはなくなりました。「どうやったら読者は喜ぶか?」「どうやったら多くの人に読んで貰えるか?」そのことを考えながらする活動はとても楽しく、充実していました。最上級生になり、チーフになった最後の1年間を突っ走ることが出来たのは本当にこのことがあったからだと思います。本当にありがとうございました。

 

 この3年間は本当に多くの人に支えられました。やりたいことをやらせてくれた編集長。競い合い、楽しく活動した同期。生意気な自分にいつも笑ってかまってくれた先輩。へらへらした先輩に最後までついてきてくれた後輩。「取材ならしかたない」と言って当たり前のように、授業のノートを見せてくれた大学の友達。急な取材でバイトのシフトを代わってくれたバイト先の人たち。自分の原動力となってくれた読者様の方々。努力の意味、頑張る姿のかっこよさを教えてくれた選手の方々。そしていつも支えてくれた両親、本当にありがとう。みなさん3年間本当にありがとうございました。

 

 

 

で、コラムを終えた方が良いのだと思いますが、スポトウでできた繋がりをこれからも大切にしていきたいと思っています。

なので、スポトウは引退しましたがこれからも一個人としての星和典をよろしくお願いします!!